第二四九話 フライ・ハイ、カラーズ(一四)
翌日、再び孝子は喫茶「まひかぜ」を訪ねた。今夜は一人だ。涼子と斯波は、今日も付き合ってくれるようなことを言っていたが、謝絶した。というのも、昨日、孝子はやらかしていた。麻弥がアルバイトの日で、自分が送迎と食事の当番だったにもかかわらず、話の合う年長者たちとのおしゃべりにかまけて、すっぽかしたのだ。麻弥と春菜には多大な迷惑を掛けた。今日も麻弥はアルバイトだ。同じ轍を踏むわけにはいかない。
「まひかぜ」横のコインパーキングに車を入れ、五万円なりの高級ドライヤーの化粧箱を脇に抱えて外に出た。吐く息が白い。まさに、冬近し、といえた。
店内に入ったところで孝子の顔は能面へと変じた。先客だ。これまでにも見知った顔以外がいたことは何度かあった。しかし、それらは全てただの客だった。この日の男性は、剣崎、岩城と親しく話している気配がある。知己らしい。
「いらっしゃい」
岩城の声に会釈しつつ孝子は歩を進めた。考えてみれば、すぐに帰るつもりだった。奇貨おくべし。さっと済ませて、さっと出ていくのだ。
「こんばんは。剣崎さん。持ってきました」
先客に会釈しつつ剣崎に化粧箱を手渡す。
「今日はこれで。また時間のあるときに寄らせていただきます。失礼いたします」
孝子は、身を翻そうとした。
「ああ。俺が帰ろう」
「え……?」
脇に置いていたコートを抱えて男が立ち上がった。剣崎ほどではないが長身の、しっかりとした体つきをした相当ないい男だ。ぱりっとしたグレーのスーツがよく似合っている。
「気付いてよかった。危うく、邪魔をするところだった」
「剣崎さん。こちら、何か、勘違いをしていらっしゃいませんか?」
「勘違い? ……この男の自慢の彼女って、あなたでは?」
孝子はむせた。
「ご冗談を」
「ああ。それは失礼、だったのかな。こいつ、やたら自慢するくせに、紹介しろ、って言うと、恥ずかしがりだから、って逃げるんだ。写真も見せないし、ひそかに実在を疑っていたところに、あなたが来たもので、つい」
即座に帰ろうとしたことが誤解を生んだようだ。
「実在はしてます。どうぞ。お掛けになってください」
孝子もカウンターに座った。一応は説明をしておく必要があるだろう。
取り出したのはスマートフォンだ。メモリーにはLBA応援ツアーの写真、動画が収められている。孝子は行っていないが、ツアーの責任者であるみさとに、無理やり送り付けられた。
一度たりとも見ていなかったので、麻弥一人で映っているものがあるか、定かでなかったが、あった。食事中の一こまだ。どこかのレストランらしい。アーティの母、ジェニファーがプロデュースしているとかいう店か。
「……あ。大変、失礼しました。私、神宮寺孝子と申します」
名乗りを忘れていた、と思い出し、孝子は頭を下げた。
「ご丁寧にありがとう。初めまして。氷室勝成といいます。俺は、こいつの友人」
「承りました。氷室さま。これが、うわさの、彼女です」
手渡されたスマートフォンの画面を見て、氷室は目を見張っている。
「お前」
「なんですか」
「ケイティー。氷室君は、舞浜F.C.の選手なんだけど、知ってるかな」
友人同士の対峙の横で。岩城の解説だ。
「いえ。あ。じゃあ、岩城さんの後輩に当たられるんですね」
舞浜F.C.の前身、実業団時代に選手だったという岩城だ。
「うん。大先輩だね」
孝子にスマートフォンを戻しながら氷室がうなずいた。
「そうだ。氷室さま。私、F.C.さんに、高校時代の同級生がいるんですよ」
「まだ若そうだし。新人?」
「多分、新人ではないと思うんですが。奥村君です」
「奥村か。あいつ、学校ではどうだったの? うちだと、相当な変わり者で通ってるんだが」
「全く接点がなかったので。どういう人かは知りません。本当に、ただの同級生だっただけなんです」
かつて思いを寄せてきた相手に、つれない物言いではある。だが、奥村の人となりを知らない、というのは事実なので、間違ったことを言っているわけでもない。
「そうか。……さて。待たせたな」
「待ってませんよ」
またぞろの対峙である。
「実在が証明されたんだ。もう隠さなくてもいいだろう。詳しく、聞こうか」
小学校のころからの付き合いという、一歳違い――氷室が年上である――の男友達の会話は、端で聞いていて快かった。悪口の応酬なのだが、不思議な清廉さがあり、ついつい聞き入ってしまう。警戒して変更した道にも轍があり、まんまと踏んづけた、といったあたりだったろう。




