第二四五話 フライ・ハイ、カラーズ(一〇)
正午の集合は、この時期のゴルフではかなり遅い。練習場での打ち込みの後、休憩を挟んで、アウトのみのハーフラウンドをプレーする。後発は存在しないので、遠慮は必要ない。全て初心者ぞろいのカラーズ勢に対する黒須の配慮であった。
クラブハウスに入ると、ロビーのあちこちに人がたむろしていた。午前のプレーを終えた人たちが、午後に備えているのだろう。
「よし。フロントに行こう」
黒須たちがやってきた。と、まず、ロビーにいた人たちのうちの何人かが、続いて、その何人かに気付いた何人かが、というふうに動きだした。
「行こうか。あれ、長いんだよ」
それを見た黒須夫人、顎をしゃくりつつ夫の黒須からつと離れた。途中、振り返ると、先ほどの人々が黒須の周囲に輪となっている。彼にあいさつをするために動いていたようだ。
「あのおじさん、重工でもそこそこ有名な人なの。で、このコースに来る人って、基本的に重工の人ばかりでしょう。ああなっちゃう」
従う孝子たちに向けての説明だった。
「放っておくべし。ゴー、ゴー」
ここで、フロントに直進していった一行の姿を、来訪者たちと談笑していた黒須が気付いた。
「おーい。置いてきぼりにするなよ」
孝子、振り返って、ひらひらと手を振ってみせた。隣の黒須夫人も倣う。遠くでは黒須が大きく両手を広げて、肩をすくめていた。
黒須との再会は、ウエアに着替え、ロビーに集合したときだ。
「お。いいな。しゃれてるな。郷本君もいい格好をしてるが。同じところか」
「GT11ですね。妹たちが契約している縁で、私たちもひいきにしてるんです」
孝子たちはGT11のウエアを調達していた。GT11ロゴの入った色とりどりの帽子と、同じく色とりどりの上着を白いパンツルックに合わせたが、みさとだけは自信家らしくミニスカートで決めている。
練習で見事な腕前を見せたのは黒須夫妻だ。元アスリートの黒須と、その手ほどきを受けた清香の打つ球は、共によく飛ぶ。取っ掛かるのが早かったためか、唯一のレフティー、孝子も悪くはない。一方で、それ以外の三人は甲乙の付け難いへっぽこがそろった。体格をいかして振り回すのはいいが、技術が追い付いていないために、あさっての方向に飛ばす麻弥。体格で麻弥に劣り、そのくせ勢いはそれ以上ときて、「しあさって」なみさと。前の二人とは逆に、思い切りが悪いせいでスイングに力がなく、近場にボールを落とす尋道。ひどいものだ。
「君たち。特訓が必要だね。私が教えてあげようか?」
大きな口をたたいているのは孝子だ。練習場では、比較的、見るに堪えたがための態度だった。クラブハウス付属のレストランで一服の際の一幕である。
「うるさいな。あんたぐらい、すぐに追い抜いてやるわ」
「黒須さま。斎藤は、以後、お宅に侵入禁止で、お願いしますね」
「お前、ひきょうだぞ」
「正村も追加で」
そこここで起きる応酬に、黒須夫妻の笑いは絶えない。
いよいよ初心者四人にコースデビューのときがやってきた。孝子たちのパーティーは最終スタートだ。
「……君たち。本当に特訓だな。俺が鍛えてやる」
へっぽこ三人衆のせいで遅々としてはかどらないプレーを、苦笑交じりに黒須は嘆いている。
「存分にしごいてください」
「君も、比較的、ましなだけで、いばれるほどのものではないぞ」
「事故を装ってクラブで殴りますよ」
心温まるような会話に、清香の笑いがはじけた。女性四人と距離の出ない尋道を含むパーティーは、このとき、第四ホールのレディースティーにいた。
「昨日までだって楽しくて仕方がなかったのに、本番になったら、どうなっちゃうんだろう、って思ってたけど、本当に、期待どおり。貴一さんも、そうだったでしょう? だって、こんなにはしゃいでる貴一さんを見るのって、久しぶりなんですもの」
夫婦の視線が絡み合ったようだ。
「昔、大きなお仕事が、うまくいかなくて」
「タカスジェット」にまつわる話だろう。しかし、四人は口を挟まない。
「おっきなおじさんが、空気が抜けたみたいにしぼんじゃって。ひどいときなんか、一カ月ぐらいうちを出なかったり」
黒須は無言でホールの先へと視線をやっている。
「世捨て人みたいな生活を続ける貴一さんを見ているのはつらかったけど、私には何もできなくて。……こんなとき」
途中で切れたせりふに込められた万感が明らかになるのは、少したってである。
「二カ月、ちょっと前ぐらいかな。面白い子がいる。なんだか、昔みたいにぎらぎらした感じで言うのね」
しらっと孝子が見ると、目が合った黒須は首をすくめてみせる。
「その子に中村君が助けられた、って。もう、大喜びよ。私たちを合わせたような、剛柔自在の子だ、なんて。女の子を褒めるのに、使う言葉なの、って思ったけど。若くて、生きのいい子と触れ合えて、うれしくて、たまらなかったのね。私のせいで貴一さんには子供がいないから」
はっと孝子は息をのんでいた。これだったのか。自分に対する黒須貴一の関心の理由は。こんなとき、の続きは、肉親がいてくれれば、とでも続いていたのだろうか。
それにしても、清香の発言だった。責任の所在をあえて明らかにするとは、思い切った告白といえた。
「清香さん。もういいだろう」
いつもの豪放な声ではない。深い響きが黒須の口から発せられた。
「うん。正直、年なんて孫とおじいちゃんぐらい離れてて、話も合わないことだらけだろうし。押し付けがましくて、面倒な人だと思うけど。よかったら構ってあげてね。みんなも、お願いね」
他の三人は黙礼を返したようだが、孝子には、どうしても見過ごせない一点があった。初口で清香は黒須に対して、そうだったろう、と同意を求めていた。つまり、それ以前は、彼女のみの所感だったのではないか。ゴルフシミュレーターを使うため、入れ替わり立ち替わり黒須宅に出入りした者たちの感想を総合しても、清香が孝子たちとの交流を楽しんでいたのは間違いなさそうだ。こちらを優先したかったし、するべきだ、と思った。巡り巡って、これが、もう一つの願いをかなえることにもつながっていくはずなのだ。
「そうおっしゃいましても。本当に面倒なおじいちゃんですよ、黒須さまは。なので、子と母ぐらいしか離れていない奥さまに、よろしく取り結んでいただきませんと、私たち、困ってしまいます」
「あ……」
清香の顔にはきれいな三つの丸ができていた。そして、見る見る、柔らかに解きほぐれていく。孝子の真情は通じたようだった。
「うん。そうだね。母ぐらいの私が間に立ってあげないと、困っちゃうね。みんな、私を頼ってね」
活況を呈したパーティーで、黒須だけが複雑怪奇な表情でたたずんでいる。喜悦の中にも、わずかな疼痛がある、といったあたりか。
「そんな年は食っとらんがなあ」
おじいちゃん呼ばわりが不満らしい。
「せっかく盛り上がってるところに。空気の読めない人。これだから、おじいちゃんは」
孝子にかっとにらまれて、黒須は天を仰いだ。
「わかった。わかった。気を若く持つよう心掛けるよ。だから、おじいちゃんはやめてくれ」
「いいでしょう。じいじ、で手を打ちます」
黒須貴一の敗北であった。




