第二四二話 フライ・ハイ、カラーズ(七)
「そういえば、黒須さま」
黒須夫人から食後の茶が振る舞われ、皆が一斉にこれに向かったことで、ぽっかりと空いていた間は、みさとによって埋められた。
「なんだ」
「重工さんには男子のプロチームがあるそうですけど。もし雪吹君が、女子部は嫌だ、って言ってたら、そちらを紹介していただけたんですか?」
「しない。女子部しか駄目だ」
「なぜでしょう?」
「月下氷人を引き受けようか、って相手だぞ。どうして男子部なんぞに行かせねばならんのだ。……どれ。茶のさかなを提供しようか。あっちに移らんか?」
黒須が指したのはリビングのソファだった。全員、湯飲みを手に移動する。
「斎藤君が言った男子のプロチームというのは、舞浜ロケッツのことだが、やつらと女子部の違い、わかるか?」
「え……。プロと実業団、って話じゃないんですよね?」
「もっと根本的な話だ」
バスケットボールに通じている彰も考えあぐねている。みさとといえども厳しいか。……と思っていたら、みさとが手を打った。
「ああ。ロケッツさんは子会社なんですね。で、アストロノーツさんは、重工さんのチームなんだ」
「そうだ。男子部は重工の子会社で、女子部は重工本体が抱えるチームだ」
「差が、ありますか?」
「ある。元々は、男子部のほうが上だった。ところが、プロリーグに参加するに当たって、独立しなくちゃいけなくなってな。リーグの規約にあるんだ。リーグの会員たる者は、バスケットボールチームの運営を主たる業務とする法人に限る、ってやつが」
黒須の視線が若い後輩に注がれた。
「――雪吹」
「はい」
「中村は、まあ、俺との付き合いも長いから、俺の愚痴なんかで重工がどんな会社か、だいたい知ってると思うんだが」
中村は黙したまま、薄ら笑いを浮かべている。
「体面とか、ヒエラルキーとか、そういうことに、とにかくこだわるんだな。重工って会社は。男子部の運営法人は、当然、重工の傘下だ。依然として重工グループの一員ではある」
黒須は、ここで茶を一口、含んだ。
「しかし、重工本体ではない。プロになる前の男子部は野球、サッカーと並んで、重工スポーツの御三家だったんだが、今では女子部よりはるかに格下だ。重工のヒエラルキーでは、な。……妹は、木村には会ったか? 女子部の部長の木村忠則」
「はい。昨日、お目にかかりました」
「あいつ、以前は、男子部の部長ポストを巡って、後輩に競り負けた、って、そりゃ、悔しがっていたもんさ。でも、プロ化が決まった途端に、貧乏くじを引かずに済んだ、ってほざきやがったからな」
「えっ……!」
「子会社とか冗談じゃない、って。まあ、俺なんかの感覚でも、いくら古巣とはいえ、子会社になるなんて、ていのいい島流しだ。かわいい後輩を、そんなところにはやれないさ」
「なるほど! そういうことだったんですね!」
「納得してくれたか」
「はい。すごく興味深いお話でした。……雪吹君。今の話、ちゃんと聞いてた?」
「はい」
「そういう、重工イズム、みたいなもの、しっかりとたたき込んでもらわないとね」
「はい。黒須先輩。ご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます」
「おう。任せておけよ」
四人は午後九時を過ぎたあたりで黒須宅を辞した。明日は朝一で「中村塾」だ。参加者の三人に配慮を、と孝子が言い出して、お開きとなったのだ。
帰りの車内では、みさとがばか笑いをしている。
「さすがの私も、いきなりの月下氷人は焦った」
「そう」
孝子は素っ気ない。カラーズに関わる人たちに道を示したい、旨の協力をみさとに要請された上での行動だったらしいが。
「じゃあ、お姉ちゃん。今日とか、実は、無理してくれてたの?」
静は助手席から振り返って、後部座席の孝子に声を掛けた。
「素だよ。素。基本的に、イエスか、ノーか、しかないんだよ、私には。ゆっくりとか、じっくりとか、性に合わない。基本的に交渉とかに向いてないと思う。そう思わない?」
「基本的には、ね。でも、相手が黒須さんみたいな人だと、あんたみたいなほうが受けがいい」
「どうだか」
海の見える丘で孝子とみさととはお別れだ。みさとは一夜の宿を借りるという。
「おやすみ。あまり遅くまでおしゃべりとかしないのよ、未成年ども」
孝子の言葉に送られて、車は動きだした。
「さて……」
高台から麓へと下る長い坂道の途中で、彰がつぶやいた。
「え……?」
「あまり遅くまでじゃなければ、おしゃべりしていい、っていう、お姉さんのお許しだよね。さっきのは」
「……そ、そうなの?」
「でしょう。今日のこととか、とっくりと話し合ってみたら、って意味だと思ったんだけど」
「ああ……」
「少し大回りで帰ろうか」
「……うん」
この夜、静が鶴ヶ丘に戻ったのは、午前零時になんなんとするころであった。通常であれば、一時間弱もあれば十分な新舞浜鶴ヶ丘間の距離だ。それを三時間近くもかけたとは、遠大な大回りといえた。




