第二四一話 フライ・ハイ、カラーズ(六)
帰国の翌日、静は孝子とみさとに連れられて日本バスケットボール連盟の会長、黒須貴一を訪ねた。それは全く突然の誘いだった。「本家」で行われていた慰労会の間隙を縫って言い付けられたのだ。
「詳しいことはスマホに送る」
待っていると夜更けにメッセージが届いた。明日の夜、あいさつのために黒須宅へ向かう。案内は孝子とみさとでする。夕方に彰を迎えに派遣するので、一緒に来い。デートだ、と言って誰の同行も許すな。……だそうだ。那美のわがままを懸念しているのだろうか。少し早めに彰に来てもらえば、妹が下校してくる前に家を出ることは可能だろう。「新家」に居候している美鈴は大人だ。そんな野暮はすまい。
「近いうちに妹のあいさつを受けてやって、って予定を聞いたら、すぐに来い、って。最初は、昨日、とか言ってたんだよ。あの人は、本当に強引」
今回の急変について、後部座席の孝子がぼやいている。この日、黒須宅に向かう車は、彰が彼の父親から借り出してきたものだった。孝子のウェスタは池田佳世の迎えに使うため、麻弥に託しているので使えないのだ。
まず、彰が鶴ヶ丘までやってきて静を拾い、次いで、舞浜大学千鶴キャンパスに向かい孝子とみさとを拾う、という順序で四人は合流した。新舞浜駅ターミナルビルへの到着は、午後七時を少し回ったころになった。
「……二人とも、慣れてない?」
地下駐車場から、エレベーターホール、黒須宅のある六四階まで、孝子とみさとの先導は流れるようで、静の問いも当然といえた。
「結構、お邪魔してるんだ」
言いながら、みさとはドアホンを鳴らす。応答したのは女性の声だった。
「奥さま、参りました」
「いらっしゃーい、二人とも。妹さんと雪吹君も、ようこそ」
扉が開き、静とほぼ同じ背丈の女性が四人を迎えた。黒須夫人だ。
広い玄関、広い廊下を抜けると、リビングでは黒須と中村がソファに座っていた。その向こうには「高鷲島」を中心に据えた新舞浜の夜景が広がっている。
「おう。来たな」
「やあ」
車内で注意を喚起されてはいたが、中村の存在に顔を引きつらせかけ、ぺこり、と一礼で静は表情を隠した。黒須貴一と中村憲彦は桜田大学の先輩と後輩で、自宅に居候させるほどの親密な仲だ。中村との関係も、いつまでも、目をふさぎ、鼻をつまんで、とはいかないのかもしれない。そんな打算を、ひそやかに働かせている静だった。
「まずは飯にしよう」
黒須の号令で夕食が始まった。
「神宮寺君」
食事のさなかだった。反応しそうになって、静は思いとどまった。自分ではない、という予想は当たっていた、黒須が話し掛けた相手は孝子だ。
「はい」
「わざわざ雪吹も連れてきた、ってことは、あれか。二人は、いい仲か」
「はい。今のうちに披露しておいて、いずれ月下氷人をお願いできるように、とたくらんでました」
孝子以外の全員が噴出した。みさともだ。義姉の独断らしい。
「いいぞ。いつだ」
「まだ、いつとは決まっていません。妹は、ようやくアメリカでの一年目を終えたばかりですし。義弟も、まだ二年生なので」
「確かにな。お前たち。この黒須貴一が確かに引き受けたぞ」
静と彰、へどもどとするしかない。
「……そういえば雪吹は指導者志望だったな」
ぽろりと出た黒須の一言に、静は身を硬くしている。
「はい」
「教師か?」
「そう考えてます」
「男子か。女子か」
「それは、どちらでも。なかなか自分の意志で、どうこうできることでもないと思いますし。男子でも、女子でも対応できるよう勉強しているつもりです」
「そうか。じゃあ、重工に来い。女子部だ」
静、一人で体を打ち振るわせている。みさとと尋道が義姉を動かしてくれたのだろうか。まだ、詳細はわからぬが、とにかく、彰は高鷲重工に誘われた。いきなり、役得だ。受けて! 今すぐに受けて! と静は内心で絶叫していた。
たけり狂う静の隣では、彰が静止している。唐突に進路についての決断を迫られたのだ。無理からぬ状況ではあるのだが……。
うんともすんとも言わない、言えない彰に、場はしらけだしていた。黙々と食事を続けていた孝子が顔を上げた。
「彰君」
「は、はい」
「先生がやりたいの? 指導者がやりたいの? どっち?」
「それは、指導者です」
「だったら、黒須さんのご厚意に甘えたら? 女子部っていうのに困ってるの?」
「いえ、そういうわけでは……」
「はっきり答えなさい。そんななよなよした人に、誰が付いていこうと思うの」
「は、はい。いえ、それはないです。……重工さんの女子部は日本でも最強豪といっていいチームなので。そんなところに、いきなり入っても、って不安があります」
「それなら安心しろ。いきなりコーチにする、とか、そんなむちゃはせん。再来年には中村が女子部を率いる。こいつの下で修行しろ」
「はっ……?」
すっとんきょうな声は中村本人だった。
「なんの話ですか、先輩……!」
「お前、任期が終わったら、浪人だろうが。重工に来い。そうだな。一〇年か。一五年か。そのころには木村も一線を退いているだろう。お前が木村の跡を継いで、次のヘッドコーチに雪吹で、どうだ」
年の離れた先輩と後輩は困惑もあらわに見つめ合っている。
「いいですね。中村さんの下でのコーチ修行。いいと思います」
「いや。神宮寺さん。私は……」
「黒須さまのお誘いを断るんですか?」
「そうだ。俺の誘いを断るつもりか?」
連続で打ち込まれて、中村、天を仰いだ。
「中村君。観念して。悪い先輩を持った、って思って。ね」
清香の参戦で、包囲網は完成した感であった。
「……雪吹。俺の下で、やってみるかね」
「はい。中村先輩、よろしくお願いします」
ほうけた表情で先輩と後輩が手を握り合う。眺める静は感慨無量だ。恋人を高鷲重工に送り込めた、ようだ。どうやら中村に対して、目だの、鼻だの、とこだわっているときも過ぎたようだ。これからは彰の先輩として立てていくしかない。十分なリターンはある。できるだろう。




