第二四〇話 フライ・ハイ、カラーズ(五)
静にとっては、誠に遺憾な展開、といえた。対面で熱した中村は今後の展望を大いに語っている。日本のバスケットボールのために、などとほざいた以上、むげにもできず、身を入れているふりをしているうちに時間は過ぎていく。
……腹が減ってきた。仮眠の前に軽く食べたきりなので、そろそろガス欠気味だ。舌打ちの連射音が脳裏に響くようである。
そこに、
「スーちゃん! 来たか!」
けたたましい大声だ。見ると美鈴が駆けてくる。
「来ましたよー!」
助かった、という思いから、静の声も明るい。
「また、ジャージー」
美鈴は、ここでもジャージー姿だ。朝と同じ白と黒の上下で胸を張っている。
「ここの連中は、みんなジャージーだよ。スーちゃんも参加するようになったら、絶対にそうなる」
「染まりません」
「あっはっは。あ、すみません。お話、途中でした?」
「いや。大したことを話していたわけじゃない。大丈夫だ」
穏やかに返して、中村は微笑を見せる。
「美鈴さん、お昼の途中じゃなかったんです?」
「いや。もう食べ終わって、部屋でごろごろしようかと思って。で、スマホ見たら、スーちゃんの電話に気付いて。そこに、ちょうどみさっちゃんもかけてきて。で、来てる、って聞いて。で、来た」
美鈴は提供された寮の一室にスマートフォンを置きっ放しにしていた。どうりで反応がなかったわけだ。
「そうだ、中村。神宮寺とは、もういいか? ここを案内しようと思うんだが」
立ちん坊となっていた木村が、話の輪に入ってきた。
「ああ。わかりました。じゃあ、私はこれで。明日、いや、明日は金曜だったか。土曜から、よろしく」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
再びの固い握手を経て、静は中村と別れた。……やっと、である。
体育館の案内には美鈴も同行してきた。木村が説明する前に、ここは、そこは、とべらべらやる。
「美鈴さん、知り尽くしてませんか?」
「そりゃあ、暇なときに、うろちょろしてるもん。なんでも聞いて」
「他の子たちより、一カ月遅れての入りのはずなんだけど、誰よりもなじんでる。もしかすると、うちの子たちよりもなじんでるかも。ちょっとした『主』だな」
「中村塾」に二期生が加わったのが九月の上旬で、美鈴の帰国が一〇月の上旬だから、確かに一カ月の差だ。その差を瞬く間に埋める陽性には、静も心当たりがある。
「……アメリカに行ったときも、飛行機の便の関係で、三日ぐらい美鈴さんが先行したんですよ。着いたら、アーティとすっかり仲よしになってて。美鈴さん、すごいな、って」
「ああ。目に浮かぶな」
「まあ、この美人っぷりだしね。どこででも中心になっちゃうよ」
「……すみません、木村さん。うちの美鈴さんがご迷惑をお掛けして」
「なんだ、そりゃ!」
美鈴の笑いが豪快にはじけた。
一通り見て回った後、静たちは木村と別れ、美鈴が提供されている寮の一室に入った。
「うわー。広い」
「一二帖だって」
「そんなに!?」
広々とした1Kの居室に進んだ美鈴は、窓際のベッドにどっかと腰を下ろした。
「座りー」
手招きに応じて、静は美鈴の隣にちょんと座る。
「美鈴さん、ウェヌスでも寮だったんですよね?」
「うん」
「比べて、どうですか?」
「話にならない。ウェヌスの圧敗」
妙な造語で美鈴は表現した。
「六帖ぐらいかな、部屋。風呂は大風呂だし。ここなんか普通の一戸建てみたいな部屋風呂だよ。これだけで価値がある。いいよねえ。ずっと広山さんにかわいがってもらってたんで、誘われるまま、考えなしにウェヌスに行ったけど。もっと研究すべきだったよ」
「お風呂、見てもいいですか?」
「いいよ。入って二番目の扉」
言われた扉を開けると脱衣室だ。もう一つ、折戸をくぐると、これも広い。浴槽、流し共に大柄なバスケットボール選手に対応したものなのだろうか。
ふと静は後輩の高遠祥子を思い出していた。実際に見たことはないが、かつて彼女は、自宅の風呂はドラム缶ぐらいのサイズ、と言っていた。あまりはやってなさそうなラーメン店の一人娘は、会社訪問の際に、この浴室を見ただろうか。見ていたら、さぞ喜んだことだろう。
自分の役得にも思いをはせる。ここなら自分も不満はない。須之内景も、伊澤まどかも、そうであってくれたらいいが。鶴ヶ丘高校女子バスケットボール部の再集合のため、必ず「中村塾」を成功させねば……。
あまりにも長い間、戻ってこず、不審に思った美鈴がのぞきに来るまで静は、一人、空想にふけっていたのであった。




