第二三九話 フライ・ハイ、カラーズ(四)
自室での仮眠を終えた静は、身だしなみを整え、LDKに顔を出した。時刻は正午前だ。LDKでは美幸がノートパソコンに向かっていた。つけっ放しのテレビでは、誰それという芸能人の不倫が、どうのこうの、とやっている。
……義姉のテレビ嫌いは、母のイエロージャーナリズム好きが原因だった。まさに、今、流れているような内容を、義姉は心底、嫌悪しているようだ。そこを起点として、十把ひとからげにテレビそのものの排除に至るのは義姉らしい短兵急としても、赤の他人のほれたはれたに興味を抱くようなことが、いい趣味とは思われない。
人ごとを飯の種にする、総じて信頼できないやからから静を守る――そんな義姉の発言が、ひいてはカラーズの対外的なつれなさ、その象徴である傘と盾の「アンブレム」につながっていった。遠因、となったことを、母は認識しているのだろうか。
「おはよう」
しかし、口に出したのは、ただのあいさつだ。人の趣味にけちをつけるのも、また、いい趣味とは思われない。たで食うなんとかもなんとか、ともいわれることであるし、不問が最もよい。
「あら。もう少し寝てるかと思った。どこか行くの?」
寝起きらしからぬ静に気付いたようだ。
「うん。高鷲重工に行ってこようかと思って」
「送る?」
「いや。一人で大丈夫」
「そう」
静、にっと笑う。
「嫌なことは、さっさと済ませておこうと思って」
「ああ。中村、って人だっけ。孝子さんの顔をつぶすようなまねはしないでよ」
「それは、もちろん」
「帰りは? 市井さんと一緒?」
「さすがに美鈴さんは待てない。夕方に麻弥ちが春菜さんたちを乗せてくるはずだし、拾ってもらう」
美鈴は午前中から「中村塾」の終了まで、ほぼ丸一日を重工体育館で過ごしているのだ。今朝は、一緒に乗せていって、と申し出たが、あまりの長尻に、静、実はげんなりとしていたりする。
「わかった。……静も車の免許、取ったら?」
「ああ。そうだね」
「もうちょっと街中なら、別に持ってなくてもいいんでしょうけど。ここぐらいの田舎だと、ないと不便よ」
「うん……。美鈴さんに付き合って、一日中、高鷲重工にいるのも、正直、ちょっとどうかと思ってたんだ」
「じゃあ、手続きしておくわね。……オートマで、いいでしょう?」
「うん。お姉ちゃんや麻弥ち見てると、マニュアルとか、運転できる気しない」
その後、美幸に手配してもらったタクシーに乗って、静は高鷲重工の本社へと向かった。到着して、しまった、だ。当然といえば当然であったが、正門には守衛が配され、部外者の静がおいそれと入り込めるような雰囲気ではない。頼みの美鈴も、いくら電話しても反応がない。誰か、と片っ端から電話をしていると、斎藤みさとが応答してくれた。
「ほい。みさとさんですよ。静ちゃん、お帰りー」
「はい。ただいまです。今、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。SO101にいる」
「お仕事中ですか?」
「うんにゃ。午後は講義ないし、居座ってるだけ。どしたー?」
「えっと。今、高鷲重工に来てるんですけど、中に、どうやったら入れるかな、って。美鈴さんにいくら電話しても出てくれなくて」
「ほほう。行きますか」
「はい。行ってきます」
「よし。しっかりね。今、どこ?」
「正門、だと思います」
「わかった。じゃあ、そのまま待ってて」
電話の後、しばらく待っていると、構内から大変な勢いで正門に向かって駆けてくるスーツの男性だ。あの人か。身構えていると、やはり、だった。
「やあ。ようこそ。アストロノーツの木村だ」
名乗りに次いで名刺を受け取り、静は身を硬くした。アストロノーツの部長、木村忠則といえば、かの黒須貴一の大学の後輩にして中村憲彦の先輩。つまり、静の恋人である雪吹彰にとっても先輩に当たる人物だ。役得の達成のために粗相は許されなかった。
「すみません。突然、お邪魔して。今日は一日、休んでるつもりだったんですけど、気がはやっちゃって。せめて、ごあいさつだけでも、と思って、来てしまいました」
「それは感心。いつ、日本に?」
「今朝です」
「よし。まずは、こっちだ」
招き入れられたのは正門脇の保安センターだった。入構許可証の記入である。
「今日は、これを使ってくれ。帰るまでには、私のほうで期限の長いものを用意しておこう」
「お願いします」
保安センターを出て、静は広大な駐車場の、その先にある巨大な建造物を指した。
「木村さん。あれが、体育館ですか?」
「ああ。上の階に選手寮があって、部屋を提供するので、合間の休憩などに役立ててほしい」
「ありがとうございます」
駐車場を抜けた二人は体育館に入った。
「今は、皆さんは……?」
木村は腕の時計に目を落とす。
「午前の自主練を終えて、食事中、かな。一応、アリーナを見ていこうか」
のぞいたアリーナに選手、は、いなかった。隅に三人、何やら話し込んでいる。そのうちの一人、白いポロシャツに黒いスラックスという上下の男の存在に、静は胸中で息をのんだ。
「おーい、中村」
木村の声に反応した中村憲彦の動きが止まった。木村の隣の静に気付いたのだ。静は小さい会釈の後に、中村に歩み寄る。
「ご無沙汰してました」
「ああ。……戻ったと市井に聞いていたが、まさか、今日、会えるとは」
「休んでいようかとも思ったんですが。気がはやって。せめて、ごあいさつだけでも、と思って」
「そうか……」
「中村さん」
「うん」
「日本のバスケットボールのために、私も力を尽くします。必ずユニバースに行きましょう」
依然として中村の存在には、しっくりいっていないのなら、長口上はぼろを出す危険あり。手短に、一気に、締めるべし。
こうして、みさとと尋道による合作の宣言案の披露を終えた静であった。顔合わせで中村と何を話せばいいだろうか、とみさとに泣き付いたところ、尋道と共に考えてくれたのだ。先ほどの、みさとの、しっかりね、は、このことだったのである。
感極まった様子で手を差し伸べてきた中村に、静は固い握手で応じた。しめしめ、としか言いようがない。みさとも尋道も、本当に頼りになる人たちだった。




