第二二九話 強風、ハロー(二一)
アリーナに舞い戻った孝子は、早速、中村の元に向かった。彼の隣には、いつの間にか黒須と木村の姿があったが、構うものではない。会釈でやり過ごす。
「や。神宮寺さん。……これは、山寺さんまで。お二人で、どうなさいました?」
「中村さん。一段落したら、お話、よろしいですか?」
練習は再開していた。
「中村。付き合ってやれ」
「中村さん。まずはご自分の責務を果たされますよう」
余計な口利きは必要ない。丁重とは言えない口調で孝子は中村に迫った。
「いえ。雪吹もいますので。大丈夫です」
傍らにいた彰を呼び寄せ、中村は手短に指示を与えた。彰が塾生たちに向かっていく。……入れ替わりで春菜が近づいてきた。
「おはる」
「私も大丈夫です。本当です。私の力を信じてください。で、どうなさいましたか?」
ことバスケに関しては並ぶ者ない達者ではある。不問とするか。どうせ、この後の主役は孝子ではないのだ……。
「無理だろう」
山寺の腹案に対する黒須の評価であった。
「俺の命令で女子部も武藤を出したんだ。よそに、そこまでやってやろうというやつがいるとも思えんな」
「そうですな」
木村が相づちを打つ。
「はい。私が瞳ちゃんの名前を出したのも、まさに、黒須会長がいらっしゃったからでした。もし、中村さんだけだったら、瞳ちゃんの名前は思い付きもしませんでしたよ。黒須会長の顔を貸していただけるのが前提の話だったので」
「中村塾」の結成時に、招集したい選手として瞳の名を挙げた理由を春菜は説明したのだ。
「木村さんも、私に頼まれたところで、無視なさったんじゃないですか?」
「無視はしなかったと思うが、まあ、断っただろう」
「……じゃあ、また、貸してもらったら?」
一歩を引いていた孝子だが、思わず口を挟んでいた。会話の脇で渋面を作っている理想家たちに助け船を出した形だ。
「連盟のほうが日本リーグより立場は上なんでしょう? それとも、全く関係のない組織なの?」
「なるほど。アストロノーツに対するほどではないにしろ、それなりの圧力にはなりますね」
皆の視線が黒須に向かった。
「ほう。そうだな。君がどうしてもと言うなら」
孝子の視界の端で中村がのけ反った。後で聞けば、まだ、その人に、そんなことを、とあぜんとしたのだとか。知り合ってからの時間は、ほぼ同じはずなのに、中村は孝子をよく理解していた。それに引き換え重工の大男は学ばない。
「言いません。おはる。招待状を書こう」
孝子は黒須を視界の外に追いやると、春菜に正対した。
「招待状、ですか……? あ。私が認めた選手に、ですね?」
「そう」
「わかりました。やりましょう。中村さんのバスケへの親和性を考えたら、全日本のメンバーに送ればいいのでしょうが。木村さん。アストロノーツは、これ以上、持っていかれたら迷惑ですよね?」
「それは、な」
「……木村さま」
「は」
ぎくりと木村が孝子に向き直った。
「いえ。違います。招待状の話ではありません。もし、北崎の誘いに応じる方がいらっしゃったときは、こちらへの入場を認めていただけますか?」
木村の視線が動いた。孝子の視界には映っていないが、彼の上司をうかがったのだろう。
「いいぞ。やれ」
黒須の声がした。
「はっ。神宮寺さん。大丈夫です」
「ありがとうございます。……お二人は、どうされますか?」
立場上、難しいというのであれば、無理にとは言わない。「至上の天才」ならば、どんな無法だって通す。勝手にやらせてもらうが。
「……神宮寺さん。『中村塾』を始めてしまっている私ですよ。今更、気にするような立場はありません」
中村の宣言に山寺も呼応した。春菜、中村、山寺の連名で招待状が書かれることが決まった。
「そういうことなら、中村。急かしてすまんが、あさってまでに俺に渡してくれないか。俺のほうで先方のチームに渡そう」
「それは、ありがたいのですが。木村先輩、あさって、というのは?」
臨時の総会が開かれる、と木村の返答であった。
「ああ。神宮寺さん。あさっての総会は、みかん銀行さんの要請で開かれるんですが、この名前に聞き覚えはございませんか?」
知らない。孝子は木村に向かって首を横に振ってみせた。
「みかん銀行シャイニング・サンでは、どうでしょう?」
「……全日本選手権で鶴ヶ丘と当たった?」
昨年度の全日本バスケットボール選手権大会の三回戦だ。舞浜市立鶴ヶ丘高等学校女子バスケットボール部対みかん銀行シャイニング・サンは、前者が快勝を収めたカードだった。
「はい。ご名答です。おそらく、みかん銀行さん、脱退です」
よくある母体企業の経営の効率化に加えて、深刻な成績不振も理由の一つとか。確かに、日本リーグのチームが高校生にねじ伏せられててしまうのはいただけない。
「地銀の経営も厳しくなるばかりですしね」
話はここまでとなった。喫緊の話題は「中村塾」の招待状についてだ。よもやま話をしている暇はない。みかん銀行シャイニング・サンの名は、孝子たちの脳裏から速やかに消失した。二日後、臨時総会で招待状を配り歩いてきた、と木村の報告があった際にも、同チームの名を思い出した者はいなかった。この時点において、みかん銀行シャイニング・サンの動向は、その場の誰にとってもよそごとであったのだ。致し方ないといえばない。




