第二二八話 強風、ハロー(二〇)
体育館に戻った孝子は山寺と共に、一階の、緑に臨むカフェラウンジへと足を運んだ。窓際の席に手荷物を置いて、いったんは椅子に座った山寺だったが、すぐに立ち上がるとカフェラウンジの隅を示した。
「社長さん。何か、お飲み物をお持ちしましょうか?」
カフェラウンジの隅には種々の自動販売機が並んでいた。飲料、アイスクリームなどはよく見掛けるものだが、プロテイン食品の取り扱いがあるのは、さすがといったあたりか。
「いえ。結構です」
「では、私は失礼して」
「……山寺さんって、結構、自分で動かれる方なんですね。LBAのオールスターのときもそうでしたし」
自動販売機の前に立つ背中に声を掛けた。
「ええ。動き過ぎだ、と下の者にはよく突き上げられますが。確かに、こういうボスの下にいては、やりにくいでしょうな。でも、現場が好きなんですよ」
「ご立派だと思います」
「ありがとうございます」
山寺はラージサイズの紙コップを手に戻ってきた。漂ってくるほのかな香りから、コーヒーと知れた。
「お待たせしました」
椅子に腰を下ろすと、まず紙コップの中身を、ぐいっと山寺はやった。
「しかし、『中村塾』とは、すごいことを始めましたね」
「ですね。でも、こういう動きが出てきたのも、わかる気がします。年度の後半は全日本の活動がほぼないんですよね」
「そういうお考えから塾の設立を提言されたんですね?」
「……していません。山寺さん、松波先生に何を伺ってきたんですか? 『中村塾』を始めよう、と言い出したのは北崎ですよ」
「おや……」
「『中村塾』って呼び方も、あの子です。そういえば、最初は、仮に、って言ってたんですよ。いつの間にか正式名称みたいになってますけど」
「ははあ。……私の聞いた話では、まず、『中村塾』に池田を出してくれ、と北崎が言ってきたんだそうですよ」
山寺は指を使って彼の知る限りを繰りだした。
「『中村塾』とはなんだ、と松波さんが返すと、『中村塾』は自分を始め中村さんのバスケをよく知らない者に彼のバスケを伝えてもらうための場だ、と」
以降、山寺の独白は、
「『中村塾』の中村は全日本の中村君のことか? そうだ。神宮寺さんに頼まれて中村さんと協力することになった」
と続いていった。
「私の勘違いでしたか。確かに松波さんは、神宮寺さんが『中村塾』に関わっているとはおっしゃっていなかった。お二人は息がぴったりじゃないですか。それで、てっきり、あなたのお膳立てで北崎が動いたものとばかり。失礼しました」
山寺は頭を下げた。孝子が『中村塾』のキーパーソンという誤報は、舌足らずと早合点の産物だったようである。那古野のじじい改め松波治雄翁は無実であったわけだ。
「実は、私も『中村塾』に関わらせてほしい、と思っていたんですよ。市井をアメリカに送り出すときに協力させていただいた縁もありますし。ちょっとした腹案もあって、ですね。そこに、ちょうどキーパーソンと思っていた神宮寺さんと巡り会えて、これはついてる、と喜んでいたのですが。残念でした」
嘆息交じりに山寺は語った。
「……どういった腹案だったんですか?」
「ええ。『中村塾』の門戸を、もう少し広げたら、というものだったんですが」
「広げる?」
「挙国体制、といいますか。参加者を募って、規模を大きくするんです。日本リーグも始まりますし、全日本そのものとは、なかなかいかないでしょうが、それに近いものになるよう努力するべきなんですよ」
基本的に一二人で一つのチームを構成するバスケットボールだ。そのうちの六人だけを先行して招集するよりも、この際、全日本の候補者たちも一堂に集めてはどうか、というのだ。理にかなった話ではあるのだろうが、「中村塾」設立の目的からは外れる。
「大丈夫です。誰だって初招集のときは全日本の初心者ですよ。来年四月に合流してきた全日本組と改めて融合を図るよりも、来夏の世界最終予選会に向けて、今からみっしりやるほうが、絶対にいい」
熱弁は止まらない。通年に近い期間の合宿を断行して、素晴らしい成果を挙げた他競技のナショナルチームを例に引くなどして、山寺は門戸の開放を熱く語っていた。
「世界最終予選会では絶対に失敗は許されません。既に男子はユニバースの出場権の獲得に失敗しています。今は女子が日本のバスケットボール界の希望なんです。打てる手は全て打っておくべきでしょう」
絶対に、失敗は許されない。中村も言っていたことだ。山寺もまた同じ志を持っている。日本のバスケットボールの未来を憂えているのである。
「中村さんに掛け合ってみてはいかがですか。お話ししたとおり、私はキーパーソンでもなんでもありませんが、紹介ぐらいならできますよ」
「あ。それは、ぜひ」
すっくと孝子は立ち上がった。中村と山寺の意気投合は間違いない。問題は、二人の考えに呼応する者のありやなしやだが、そこまでは関知できない。このときの孝子が考えていたのは、そんなことであった。




