第二二四話 強風、ハロー(一六)
八月の末日、孝子と麻弥はみさとの要請を受けてSO101に顔を出した。今後の高鷲重工との付き合い方について話し合いたい、というのだ。なお。みさとから、春菜を連れてくるな、と名指しがあったので、彼女を自然に除外できる「中村塾」の活動中となる午後一〇時が待ち合わせの時間となった。
「正直、あの子にはバスケだけやっててほしいわ。カラーズの経営には関わらせたくない」
孝子、麻弥、みさと、尋道とワークデスクに着いたところで、この談合の発起人が口火を切った。
「……正直、危ないよね。あの口さがなさは。私も人のことは言えないけど」
「黒須さんへの態度か。まあ、あんたは、娘盛りととして、まっとうな対応と言えなくもないし。中村さんも、理解してくださってる感じもあるし。でも、もう少し愛想がいいと、私、うれしいかな。何しろ、カラーズにとっては大きなチャンスだ」
「高鷲重工との付き合い方、って要するに、黒須さんとの付き合い方、って意味でしょう?」
「うむ。ありていに言えば」
「私、あの人、好きじゃないんだけど」
「ハルちゃんみたいな無礼を働かなければいい。取りあえずは」
ここでみさとは両の手のひらを打ち鳴らした。
「よし。始めよう。さっきもちょっと言ったけど、私としては、黒須さんとよしみを結びたい、って思ってるんだ。何しろ、あの大重工のナンバースリー。四〇代の半ばで高鷲重工の取締役に抜擢された切れ者。今は、八年前の件があって、ちょっと昼あんどん気味らしいけど、私たちが目覚めさせられたら、かなり、すごいよ」
「八年前ってのは、なんだ……?」
麻弥の問いに応じたのは、みさとではなく尋道だった。
「『タカスジェット』です」
「……郷本君も斎藤さんとぐる?」
「いいえ。この手のスケールで斎藤さんに伍するなんて、僕にはできません。一般常識として、黒須さんが『タカスジェット』の初代の事業責任者だった、ということと、ロールアウトに失敗して、八年前に、その立場を追われた、ということを知っていただけです」
「タカスジェット」は、高鷲重工業株式会社が手掛けた小型旅客機の名である。この「タカスジェット」、開発の苦闘ぶりが、とにかく有名だ。略称の「TJ」は「飛ばないジェット」の意だ、などとやゆ、嘲笑されながら、予定の倍近い年月と倍近い予算をつぎ込み、高鷲重工が半ば意地になって完成せしめたのである。……さすがに時間と金を使っただけあって、その使用感は極上と称されるが、一連の事業活動をペイさせるためには、気の遠くなるような台数を売りさばいていかなければならないとか。「タカスジェット」とは、そういう代物だった。
「……麻弥ちゃん、どうしよう。私たち、間接的に、一般常識がない、って言われたよ。傷付いた。泣きそう」
「かわいそう。お前、もう少し言葉を選べよ」
「何を人ごとみたいに。麻弥ちゃんも、一般常識がない、って言われてるんだよ」
「郷さんって、時々、めちゃくちゃ冷たいよね」
「どうして斎藤さんにまで絡まれないといけないんですか」
全員が失笑で閑話休題となった。
「……『タカスジェット』って、飛び始めたの最近だよな。そのニュースは見た記憶がある」
「重工は戦闘機とか、ロケットとかの開発経験は豊富だけど、民間機はさっぱりだから、外部の人材を大々的に招いて、っていうのが黒須さんの方針だったみたい。でも、当時の重工の総意として、オーケーが出なかったんだ。重工の単独でできる、重工に不可能はない、って。うちの父親に言わせると、重工はとにかく見え坊なんだ、ってさ」
「黒須さんが予想されたとおり『タカスジェット』はなかなか飛ばなかったんですね。七年間、ですか。期限内に成果を挙げられず、黒須さんが追放同然の扱いでバスケットボール連盟に出向させられたのが、八年前の話になります。でも、黒須さんの後を受けた人が、三年ぐらいたったところで白旗を揚げまして。黒須さんは正しかった、重工だけでは不可能、外の血の導入か、撤退か、と。『重工の人間宣言』なんて、当時は騒がれましたね。僕たちが高一ぐらいの話です」
カラーズの「両輪」のリレーを孝子と麻弥は黙って聞いている。
「その人間宣言で、黒須さんの名誉は完全に回復したわけね。重工も、戻ってきてください、って最敬礼でお出迎えしたんだけど、黒須さん、すっかりやる気なくしてて。もう構わないでくれ、余生はゴルフ場で過ごす、なんて言ったんだって。ああ、そうだ。黒須さんって、すごいゴルフ好きらしい。お誘いがあったら行こうね」
「……は?」
「そういう話は後にしろ。で、続きは?」
眉をつり上げかけた孝子を麻弥が制した。
「うん。結局、度重なる復帰要請に折れて、黒須さんは重工に復帰したのね。でも、連盟にいたころから引き続いて、なんにもしない。兼務で続けてる連盟の会長職も変わらず。まさに、さっき言った昼あんどん状態よ。その人を再点火できたら、カラーズ、すごいことになる。この機会は逃しちゃ駄目なんだ。一気に行こうよ」
「……零細企業は大変だね」
「そうなのよー。バスケで身を立てられそうなハルちゃんと雪吹君以外は、せめて養えるぐらいのカラーズにしたいの。できる範囲で協力してね」
しらけていた孝子の表情に変化が起きた。少なくともカラーズに対する愛着めいたものは持っているらしいのである。みさとの巧みな話術だった。
「そうだね……」
「といって、無理をして愛想よくする必要はないんですよ。らしくない。神宮寺さんは、いつも眉をつり上げているぐらいが自然です」
「……麻弥ちゃん、どうしよう。私、怒ってばかり、って言われたよ。傷付いた。泣きそう」
「いや。事実じゃん」
「なんだと」
始まった取組のそばではみさとと尋道が腹を抱えているようだ。談合は平穏裏に終わる気配であった。




