第二一九話 強風、ハロー(一一)
翌日の正午前だ。高鷲重工本社正門前のロータリーには、孝子と麻弥の姿があった。壁際にべったりと寄っている。わずかな日陰に収まって、暑気をしのごうとしているのだ。
「ばかだった。どうして、ここを待ち合わせ場所に指定したんだろう。新舞浜駅の構内で、って言えばよかったんだ」
八月も末とはいえ、まだまだ真夏日の連続である。二人は汗みずくとなっていた。
「本当だよ」
「止めてよ」
「無理。私も、そこまで頭が回ってなかった」
「使えない女」
「お前もだろうが」
使えない女同士がののしり合っていると、みさと、尋道、彰がそろって現れた。
「おう。来たか」
「彰君。久しぶり」
「はい。ご無沙汰してました」
「……そうだ。向こうは、どうなった?」
あいさつの交換が途切れたのを見計らって、麻弥はみさとに声を掛けた。
「まとまったよん。市井さんと静ちゃん、須之内さんも来る」
「もう……?」
麻弥はうめいていた。昨日の今日である。いくらなんでも早過ぎた。
「当たり前じゃん。カラーズの『両輪』をなめるなよ。午前中で、ぱぱっと片付けておいたわ」
「言ったでしょう。この手のことは二人に任せておけば間違いないんだよ」
隣では孝子が威張っている。
「よし。そろったところで、中に入ろう」
五人は正門脇の保安センターに入り、入構手続きを済ませた。構内に入って、目指すのは広大な駐車場の、その先にある巨大な体育館である。
「おお。すごいな。やっぱり高鷲重工の関係者は高鷲重工の車に乗るんだな」
ずらりと並んだ壮観に、車好きの麻弥はつぶやいていた。
「そりゃ、そうでしょうよ、と言いたいんだけど。大前提として、私には重工の車かどうかすらわからない。……ああ。エンブレムとか見てるのか」
応じたのは、みさとだ。
「見なくてもわかる」
「……あんたも、こういうのに詳しかったりするの?」
みさとの顔が孝子に向けられた。
「全然。私はマニュアルを運転するのが好きなだけ。車の見分けは斎藤さんと同じくらいへっぽこだよ」
「それが普通の女子よ。あいつがおかしい」
「何を……あ!」
体育館のエントランスそばだ。関係者用の駐車スペースにとめられた黒塗りの車に麻弥は駆け寄った。
「THI-FSだ。初めて見た。重工のフラッグシップ。御料車のベース」
「……あいつ、なんで車に、あんな興奮できるの?」
「さあ。でも、そういう車だったんだね。納得した。それ、例の、黒須って人の車」
「重工さんの大立者ですからね。お乗りになっていても不思議ではないでしょう。……この中、勝手に入ってもいいんですか?」
暑さにげんなりとしている尋道はエントランスの前に立っている。
「麻弥ちゃん。おはるに言ったらいいの? 着いた、って」
「ああ。電話する」
麻弥が発信した瞬間だ。春菜の応答は早かった。待ち構えていたのだろう。来訪を告げるや、エントランスから出てくるまでも、これまた早い。
「……お姉さん!」
孝子は肉薄した春菜を無視すると、続いて出てきた一団の前に立った。ジャージー姿の女性が一人と、スーツ姿の男性が三人だ。
「黒須さま。昨日は、私の思い違いで、大変、失礼を致しました。どうぞ、お許しくださいませ」
「ああ。いや。それは俺のせりふだ。中村にも言われたよ。俺ぐらいの年のものが、あんなにがつがつしていては、それは勘違いもされる、とね。申し訳なかった」
互いのわびが済んだ後だった。孝子の視線が傍らでたたずんでいた春菜に向かった。
「おはる。余計なことを言って。おかげで、下げなくてもいい頭を下げることになったよ。成敗してやる」
「あっ。お姉さん。ご無体な」
組み付いてきた孝子を受け止めて、春菜は、ほっとした表情である。まだ怒っていたか、と肝を冷やした麻弥だったが、どうやら順序立ての問題だったようだ。確かに、身内の春菜よりも、黒須への謝罪を優先するべきだった。
「雪吹君」
みさとが声を上げた。
「やつらは放っておくとして、この中だと皆さんをよくご存じなのは、雪吹君だよね。紹介して!」
「はい。……自分は桜田大学男子バスケットボール部で学生コーチを務めております、雪吹彰といいます。カラーズ合同会社の皆さんを紹介させていただきます」
進み出た彰が三人を順番に紹介していった。その過程でわかったことだが、三人のスーツの男性、中村憲彦、黒須貴一、木村忠則は、いずれも桜田大学男子バスケットボール部のOBであった。事前の調査で把握していたみさとの機転だったのだ。
そんなこととは関係なく、傍らでは、孝子と春菜の攻防が続いていた。




