表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未知標  作者: 一族
22/710

第二一話 春風に吹かれて(四)

 舞浜市立鶴ヶ丘高等学校の体育館では、午後の活動を終えた女子バスケットボール部が後片付けの最中だった。隣のコートでは女子バレーボール部がまだ活動中である。普段はどちらの部も男子とコートを折半して使用しているので、コートをフルに使用できる長期休暇中の練習には熱が入る。現に、女子バレーボール部は時間を延長していた。女子バスケットボール部も、いつもなら活動中の時間だが、この日は顧問の長沢美馬(みま)教諭が所用で延長時間の監督ができないため、早めの上がりになったのだ。

「おい。さっさとモップ掛けを終わらせてくれ。時間がない」

 壁の時計を見て長沢が言った。

「焦ってる? まさか、彼氏? ないな」

 モップ掛けしていた静のつぶやきに、長沢が駆け寄っていって尻に一発を見舞う。

「お前は、私をなんだと思ってるか」

「多分、美人寄りなんだけど、あんまり男受けはしないような」

 引っ詰め髪と化粧っ気のない顔は健康的で、ジャージーの上下と一八〇に近い長身も相まって、まさにアスリート然とした長沢だ。

「静、後で泣かす」

「先生。私たちが後は見ます。上がってください」

 静の隣で言ったのは、長沢を上回る長身の須之内景(すのうちひかり)だった。景は女子バスケットボール部の副部長、静が部長である。

「まあ、そこまで緊迫はしてない。でも急いでくれ」

「どっちなの。先生、本当に彼氏? だったら、私たちに任せてよ」

「いや。OB。じゃなくてOGか。ごちそうしてくれるんだって。おまけにお泊まりも。うれしいね。ご飯は何度かあるけど、お泊まりまでは初めてだわ」

「バスケ部の先輩ですか?」

 一年生の高遠祥子(たかとうさちこ)も話の輪に加わってきた。祥子は静の小中高に渡る後輩で、美形選手として名高い存在だ。

「うんにゃ。私のクラスだった子よ。私の担任史上で最強のコンビね」

 くすり、と景が笑った。

「わかりました。歌劇先輩たちですよね」

「なんだ、歌劇って?」

「男役と娘役みたいな二人なので」

「ああ。あいつら、そんなふうに呼ばれてたの? まあ、確かに歌劇的ね」

「誰よ、景」

「お姉さんと正村さんのじゃないですか?」

 現二年生が一年生の時の最上級生だった孝子と麻弥を、景は知っている。昔から静と親交のある祥子は、無論、孝子や麻弥と顔見知りだ。

 その歌劇先輩の男役のほうが体育館に姿を見せたのは、数分後だった。

「正村、よく来た。孝子は?」

「ガンテツ先生の所です」

「こら。ガンテツじゃない。岩佐先生でしょ」

「お姉ちゃんが岩佐先生に、なんの用があるの……?」

「ガンテツ」こと岩佐哲二(てつじ)教諭は、教科では国語科、校務では生徒指導を担当する、極めて厳格な人となりで知られた鶴ヶ丘高校の名物男だった。

「三年間副担だったんで、あいさつ」

「麻弥ちは行かなかったの? お姉ちゃんとは三年間、同じクラスだったでしょ?」

「絶対に、行かない。上履きのかかとを踏んでて怒られたのを、私はまだ根に持ってる。あの人の顔なんか二度と見たくない」

 麻弥の渋面に、長沢以下、近くにいた女子バスケットボール部の面々も大笑いである。

「まあ、仕方ない。実際、危ないんだし。あの人は理屈に合わないことは言わないよ。私でも叱る」

「長沢先生なら私も素直に聞きます。ガンテツは頭ごなしで腹が立つんです」

 敬称も付けずに吐き捨てた麻弥に、長沢も渋い笑いを浮かべるしかない。

「麻弥ち。お姉ちゃん、一人で大丈夫なの……?」

「先生。孝子の救出をお願いします。私は車で待ってます」

 硬い表情のままの麻弥は、じゃあな、と静たちに言い置いて体育館を出ていった。

 理屈に合わないことは言わない、という長沢のガンテツ評は事実である。故に、品行方正の孝子が、頭ごなしに締め上げられる事態は起こらない。麻弥をはじめとする岩佐に恐れおののく生徒たちは、彼を猛獣か何かと勘違いしているようだが、頭ごなしをやられた側には必ず、その隙があるものだ。……今の麻弥に指摘しても、おそらく納得しないだろうが。また、楽しいお泊まり会の前に、わざわざするには及ぶまい。

「……でも、年を取ると、そういう人のほうが、しきりに思い出されたりするんだよね」

 三〇歳が漏らすには、やや不釣り合いな、老成した述懐の後、長沢は体育館を後にした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ