第二一〇話 強風、ハロー(二)
静岡県静海市にて開催されたバスケットボール女子アジア選手権大会。決勝戦のカードは日本対中国だ。
第一クオータにして、いきなり試合は激しく動いた。全日本チームはLBAで活躍する中国チームの徐明霞に、いいようにインサイドを荒らされる一方で、必殺技であり、同時に生命線である、ロングレンジのシュートが思うように決まらない。二本、三本と連続して外れるスリーポイントシュートに、まどかは嘆息だ。
「……これ、やばくないですか?」
「うーん。まだ、第一クオーターだけど……」
中国チームのディフェンスの強固さに手を焼いて、というのではない。しっかりと、自分たちの形を作った上で外している。自滅だ。
これが神宮寺静なら、ヘッドコーチである中村憲彦への私怨もあって、全日本チームの苦戦にも、ふん、と鼻で笑っていたかもしれない。しかし、二人はアンダー世代の全日本メンバーだ。姉貴分である全日本チームの苦戦は、心楽しいことではない。
二人をアンダー世代の全日本チームに招集したのは、当時のヘッドコーチの中村だ。
「おめでとう。私と関わりがある、って無視されなくて、本当によかった」
毒気に満ち満ちた祝辞は、静が贈ってきたものである。その、私、と関わりのある須之内景も、一度は呼ばれているのだ。的外れな一言ではあった。そうも言いたくなるぐらいに、静の中村に対する恨みは深かった、という証左の一つ、だったのだろう。
中村は、自らに敢然と叛した静と景には冷然と報いた一方で、静に最も近しいと目されていた二人の後輩については、これを正当に評価し、遇した。事実、中村は任期の途中で全日本のヘッドコーチに転身したため、二人が指導を受けた期間はごく短いものだったが、その時までの記憶の蓄積は決して悪いものではなかった。……全国屈指の実力者でありながら、日の目を見ない先輩たちへの後ろめたさは、ずっと胸の内にくすぶり続けている。しかし、バスケットボールを愛する者として、中村憲彦率いる全日本チームを応援する。これが二人のスタンスだった。
さて。
一〇分ほど経って、息せき切って浄が帰ってきたころには、二人はすっかり意気消沈して、ソファにもたれていた。
「……お帰り、浄君」
「ただいま。……どうしたの?」
「……負けそう」
うーん、とくぐもった声を返しつつ、浄は提げてきたコンビニの袋をひっくり返した。シュークリームやらプリンやらがテーブルの上に転がり出る。
「こんなのでよかった?」
「うん。ご苦労。……あんたは?」
「途中で食べた」
「あいよ」
もそもそと二人が食べる横では、甘味に興味を示したミックと、その肉薄を阻止する浄の攻防が行われている。
淡々と時間は過ぎていった。テレビでは、もはや絶望的な点差となった試合が続いている。
「この監督、静さんとけんかしてなければ、って思ってたりして」
厳しい顔で、コートに向かって声を張り上げている中村憲彦が大写しになったとき、浄が言った。
「うん……? 浄、中村コーチのこと、知ってるの?」
「バスケ界でも名の知れた姉ちゃんの弟だし? バスケには、ちょっと詳しいよ」
うそつけ、先輩と話をするときの種にしたいだけだろう、と内心で毒づいているまどかだった。その証拠に、姉と弟が二人だけのときに、バスケの話なぞ出たことがない。
「静さんがいれば、自動的に北崎さんと須之内さんもいるわけで。そしたら、この試合、全然違ったんじゃない?」
「浄君、本当に詳しいね。……うん。先輩と、浄君の言った二人と、それから、市井さん」
「そうだった。市井って人、北崎さんにこてんぱんにやられて、それで、アメリカに修行に行ったんですよね。でも、その人が今はアメリカの得点王なんて。北崎さんは、どれだけすごいんですか」
愚弟、確かに、ちょっと詳しいじゃないか……。不純な動機の割には、よく調べている。感心しかけたところで、まどか、ふと思い出した。
「あ。そうだ、先輩。向こうで、すごい動画を撮ってきたんですよ」
「動画?」
「北崎さんがアーティをぼこぼこにした動画」
「えっ!?」
表現のまずさで場はしばしの混乱である。一対一で春菜がアーティに完勝した動画。これが正しい。まどかはスマートフォンを取り出すと、祥子に最も見やすいように持つ手を調整した。すると、これを見ようと首を伸ばしてきた浄の顔が祥子の顔と並ぶ。
愚弟、どさくさに紛れて……。
「おら。先輩にくっつくんじゃねえ」
「いや。こうしないと見えないんだって」
「お前は別に見なくてもいいの」
「なんで。俺もバスケに興味が……」
「二人とも、静かにして」
姉弟はそろって首をすくめる。
テレビの中では、四〇対六八で第四クオーターが始まっていた。この後、点差は縮まらず、最終的に全日本チームは五二対八五の大差で敗れるのだが、スマートフォンにくぎ付けとなっていた三人は、その結末を見逃した。再生が終了し、録画済みの一覧に戻った画面に気付いて、異口同音にこう言うのだった。
「そういえば、試合は?」




