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未知標  作者: 一族
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第二〇話 春風に吹かれて(三)

 開始から一時間を過ぎたあたりで弛緩しだすのが、このメンバーでの洋楽カラオケの常だった。まず、先駆けの一葉が二〇分ぐらいでつぶれ、ソファに寝転んだまま動かなくなる。その後は、孝子と尋道が交互に歌うも、数曲で二人も満足する。残りの時間は、ぽつぽつとした会話が続き、やがてお開きになるのだ。

「そういえば、うちのおじさんが、お祝いをしたいので、都合のいい日にぜひ、と申しておりました」

 二杯目のアイスティーで喉を潤しながら言った尋道に、ソファで寝たままの一葉が続ける。

「うそだよ。お父さん、孝ちゃんと久しぶりにセッションしたいだけだよ」

「この一年ですっかりなまっちゃったし、しっかり練習しないと」

 郷本きょうだいの洋楽好きの原点となった郷本信之は、孝子にとっても原点と呼ぶべき人物だった。若いころにアマチュアバンドを率いていた経験があり、米国だけでなく、欧州や南米の音楽にまで通じた、音楽そのものの大家である彼は、亡母の手ほどきで基本的な音楽の素養だけは身に付けていた孝子を、次のステップへと導いてくれた。

 孝子にギターを教えてくれたのも信之だった。孝子が所有しているギターは彼に贈られた。家族をリスナー以上に育てられなかった信之は、現れた新星にぞっこんとなって、手取り足取り、惜しみない指導を施してくれたのである。

 もう一つ、孝子には信之に傾倒する理由があった。ギターの指導を受けている時、メロディーに合わせて口ずさんだ孝子の声を信之は、こう評したのだ。

「孝子ちゃんの声はケイトに似てるね」

 自分の低い声を好んでいなかった孝子には、天啓ともいえる言葉だった。好きな歌手と似た声、と言われれば、いくらかでもコンプレックスも薄まろうというものだ。ケイトは、その伸びやかな低音の歌声で知られていた。

 信之の黒々とした、いつも不動のヘアスタイルを、孝子は思い出していた。それぞれの正確な年齢は知らないが、年の差婚と聞いている郷本夫妻だ。郷本夫人が養母と同年代として、五〇、六〇……。かつらなのだろう。しかし、わざわざそれを発露させる必要もない。黙して語らず、の孝子だった。

「早いですけど、そろそろ出ましょうか」

 カラオケルームを後にして、三人は再び舞浜駅の麓に戻ってきた。

「どこかでお茶でも飲む?」

「うちにいらっしゃいませんか。帰りは送りますよ」

「お邪魔するよ」

 海の見える丘までの移動に三人はタクシーを用いた。到着と同時に、玄関が開いて麻弥が顔を見せた。タクシーの車内で孝子が連絡を入れておいたので、待ち構えていたのだ。

「お久です」

「おーう。麻弥ちゃん、久しぶり」

「正村さん、ご無沙汰でした」

 再会のあいさつを経て、場をLDKに移したところで、一葉がパーカーのポケットをまさぐり、白い小箱を取り出した。

「はい。孝ちゃんにお祝い。麻弥ちゃんも、一年遅れでごめんねだけど、お祝い」

「なんですか?」

 二人が小箱を開けると、中には銀色の指輪が入っていた。指輪の腕の部分は完全な円ではなく「C」の型をとっている。

「フリーサイズだよ。よっぽど指が太いか、細いかじゃない限りは入る、と思う。二人なら大丈夫でしょ」

「いいんですか、こんな」

「いいよ。気に入ったら、次からは、気鋭のアクセサリー作家『ICHIYO』さんをよろしくね」

 言われて、指輪の内側に刻まれた「ICHIYO」の文字に麻弥が気付いた。

「これ、一葉さんが作ったんですか?」

「そう。話したことなかったっけ?」

「いえ」

 麻弥は首を横に振り、隣の孝子を見る。孝子も同じく首を横に振る。

「あれ? 孝ちゃんにも話してない? そうだっけ? まあ、何してるんだ、って聞かれなけりゃ、わざわざ私も語らないし」

「一葉さん、どの指にはめたらいいんですか?」

「邪魔にならないのは、利き手じゃないほうの中指か、薬指かな。大抵は左手になると思うけど、薬指なら虫よけに使えるかもね。保証はしない」

 孝子と麻弥はそろって左手の薬指にはめ、手の甲を一葉に向けた。

「どうですか?」

「似合い過ぎていて、虫よけを超えちゃってますよ、それは」

 それまで黙っていた尋道がほほ笑みながら言った。数秒ずつの間隔を空けて、それぞれに浸透していった尋道の発言の意味に、やがて部屋は四人の笑い声でいっぱいになったのだった。

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