第二〇六話 きざし(二八)
東海岸への遠征を終えたエンジェルスがレザネフォルに帰還したのは、ツアー一行の到着の翌日だ。チームメートと別れた静とアーティは、その足で「LASUフロント」に顔を出した。ロビーで一行を待つ二人のうち、アーティが少し膨れっ面だった。理由は、自らの物忘れである。アーティは、今日、春菜に会えると思い込んでいたのだ。しかし、帰りの飛行機で静の一言が炸裂した。
「ハルナは先にサラマンドに行くって話したじゃない」
すぐさまの反応がなかったのは、覚えがあったのだろう。サラマンドに向かった者たちは、強行軍による疲労を計算に入れて、現地で二泊した後、レザネフォルに戻る、というのは当初の予定どおりであった。春菜を自宅に呼び込んで、ジムでの一騎打ちを堪能する気満々だったアーティ、当てが外れて、以降、ずっと、この顔、をしている。
しけた面が崩れたのは、飛び切りの陽性のためだった。
「アーティーーー!」
ほとんど体当たりの勢いで突っ込んできた細身の少女に、さすがのアーティも面食らっている。
「ナミね!?」
初対面だが、明るくて、少し無遠慮という静の紹介を記憶していたのだ。
那美を抱えたまま、アーティは居残り組に近づいた。ただ一人、初対面ではないみさとの前に立って、にやりとする。
「ミサト。前は、よくも私の顔を見て逃げたわね」
コミュニケーションツールを通じた交流の最中に、みさとの犯した失策をアーティは覚えていたのである。英語をしゃべれない、とみさとは尋道にアーティとの会話を押し付けたことがあった。
「逃げてない! 逃げてないよ! ヒロを呼んだだけ!」
「エディとは、よく話してるくせに。私は無視するなんて」
「アーティ。ミサトに意地悪しないで」
言葉に詰まったみさとに静は助け船を出した。
「怒ってないわよ。英語、話せるじゃないの。練習したの?」
「ええ。頑張って勉強したの。通じてればいいんだけど」
「大丈夫。わかる」
みさとも抱え込むと、アーティは美幸と博にあいさつする。英語は話せない、と静が伝えていたので、ここでは淡々と交流を終えている。
最後に、彰だ。アーティは日本人男性の平均をはるかに上回る長身である。その自分よりも、さらに高い彰を、感心したように見上げ、声を掛けた。
「高いじゃない。ダッドと同じくらい?」
「うん。それぐらい」
横合いから答えた静を、ちらりと見やってきた。
「それにしても、スー。フレンドとは言ってたけど、ボーイフレンドとは言ってなかったじゃない?」
説明不足を指摘されて、かっと赤くなった静に無邪気な追い打ちがかかる。
「アーティ。ただのボーイフレンドじゃないよ! フィアンセだよ!」
もちろん、那美だ。
「ナミ!」
アーティの視線が、彰、美幸、博、と順に動く。
「……まあ、そうよね。ミユキやミスター・ジングウジと一緒なんだもの。当然、許された仲よね。生意気な。私、デートだってしたことないわよ」
それはそうだろう。なんだかんだで箱入り娘の、おまけに頭が高い、この金髪女に比肩する相手というのは、なかなか存在はするまい。
「アーティ、うらやましいのー?」
見上げられて、アーティは那美の頬をつねる。
「ダッドより稼いでるなら、うらやましいかもね。私、ダッドよりも稼ぐ人じゃないと付き合う気はないの」
「シニアは、どれくらいお金を稼いだのー?」
「さあ。一番高い時で二〇〇〇万ドルぐらいじゃない? 子供だったし、よく知らない」
彰は笑いながら首を振った。
「無理です。一生かかっても、そんなに稼げない」
つたないながら、なんとか答えた彰に、アーティはウインクで応じた。
「じゃあ、駄目ね。スーと仲よくなさいな。セレモニーには呼ぶのよ」
言って、高笑いする。
顔合わせの後は、再び昨日の「Jenny's」だ。食事が済むと、再びホテルに戻る。ここには静も加わって、翌日までゆっくりと家族との時間を過ごす、という流れだった。あまたの名所を誇るレザネフォルの観光は、サラマンド組が戻ってからのことと決まっていた。




