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未知標  作者: 一族
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第二〇五話 きざし(二七)

 一方、同じころの日本では、神宮寺「新家」の一階、四畳半の和室に敷いた布団を起き出した孝子が、大きく伸びをしていた。昨夕から孝子は「新家」に泊まっている。夕方の便で出発したツアーの一行を見送った足で、鶴ヶ丘にやってきたのだ。ツアーに参加しなかった養父と義理の叔母の生活を見るためである。家事はからきしだめ、と胸を張るような二人だった。

 身だしなみを整えた孝子は、部屋を出て、LDKに向かった。朝食ならびに昼食の弁当の準備に取り掛かる。午前六時になろうかというところで、階上で寝ていた隆行が下りてきた。

「もう起きてるの?」

「そっちがねぼすけなだけ」

「何がねぼすけだい。今日はすごい早起きだよ。いつもは美幸が起こすまで起きないし」

「いばるなー」

 訳あって、戸籍上は養女と養父などという続柄になっているが、孝子と隆行は血のつながった娘と父親なのだ。孝子にとっての隆行は、自分が生まれる前に死んだ、と亡母に聞かされていた父親であり、隆行にとっての孝子は、かつての恋人が自分に告げることなく育んできた娘であった。孝子の亡母にして、隆行のかつての恋人の岡宮響子が底意地を発揮した結果、行き違うことになった親子の仲は、全く悪くない。二人きりとなれば、このようにぞんざいな交歓となるぐらいに、だ。

 親子が舌戦を繰り広げていると、パントリーの勝手口からノックの音がした。「本家」の美咲がやってきたのだ。

「おはようございます。美咲おばさま」

「美咲ちゃん、おはよう」

「おはよ」

 Tシャツにハーフパンツ、サンダル履きにぼさぼさの髪といういでたちの美咲は、そそくさと「新家」に上がり込むと、リビングのソファにダイブした。

「できたら、起こして」

「美咲ちゃん……。私の時間に合わせなくてもいいんだよ。孝子に、作り置いてもらったらいい」

「そんな迷惑を掛けるぐらいだったら、食べません、ってば」

 このざっくりとした義理の叔母が、孝子は大好きだ。隙のない養母より話しやすい、とも感じている。重厚な愛情を注いでくる養母には、どうしてもしゃちほこ張ってしまう孝子も、時折、涼風のように頬をなでては通り過ぎていくだけの人には、自然に接することができる。誠に気が置けない人なのだ。

 朝食は午前六時半に始まった。午前七時になると隆行が出勤していき、居座ってだべっていた美咲も、午前八時前には、こちらも出勤のため「新家」を去った。

 一通りの家事を済ませると、夕方まで自由となる。夕食用の買い物がてらに、というには少し遠出のし過ぎだろうか、孝子が向かったのは舞浜大学千鶴キャンパスのインキュベーションオフィスSO101だった。SO101には郷本尋道が詰めていた。鶴ヶ丘に戻って美幸の代行を、という孝子に、ならばカラーズの業務は自分が、と請け負ってくれたのである。

「どうされました?」

「陣中見舞いに」

 迎えた尋道に、途中のコンビニで買い込んだ栄養ドリンク、ゼリー飲料の入った袋を手渡しながら孝子は答えた。そこそこ長い付き合いのこの男が、食欲の希薄な人であることは承知している。特に夏場は、その度合いが激しいと聞くので、これらのチョイスだった。

「ありがとうございます」

「どう?」

「さすがに少し落ち着いてきましたね」

 ここのところ、カラーズは圧倒的な量の問い合わせのさばきに忙殺されていた。原因は、日本放送公社がLBAオールスターゲームを放送したため、だ。深夜の録画放送という扱いではあったものの、その威力はすさまじいものだった。ゴシップ的な性格の強かった「AとAの場外戦」は、すぐに忘れ去られていった。しかし、今回のオールスターゲーム出場は、静と美鈴が実力で勝ち取ったものだ。女子バスケットボールにおける世界最高峰の舞台で活躍する日本人という事実に、二人の類いまれな容貌が決め手となって、暴発である。

「衰えた、衰えた、なんて言われ続けて、何年ぐらいたったんでしょうかね。それでも、まだまだテレビの存在感って大きいですね」

 問い合わせのリストを見ながら、尋道がつぶやくのを孝子も聞いている。

「大丈夫? 私も入ろうか?」

「大丈夫です。まあ、全て、斎藤さんさまさまなんですけど」

 七月の月末から八月の月初にかけて、斎藤みさとは目を見張らんばかりの働きを見せた。

 一に、自分の前期考査。

 一に、カラーズの決算。この時期に決算日を定めたのは、みさとの頼りとする両親の事務所が閑散期で、種々の助言を受けやすい、という理由だ。

 一に、自分の税理士試験。

 一に、ツアーの手はず。

 これら全てを滞りなく回しつつ、カラーズの通常業務までばりばりとこなしていくさまは、超人的ですらあった。

「出発前に、ほとんど斎藤さんが片付けてくれましたのでね。僕も、あれぐらいパワフルだったらな、って思いますよ」

「あんな人が周りに二人もいたら疲れるよ」

「確かに。……と、まあ、そんなわけなので、そこまで多忙でもないわけです」

「はい」

「なので、例の件の中間報告を」

「例の……?」

「岡宮鏡子のマネジメントです」

 再び、手を染めなくてはならなくなった岡宮鏡子の活動を、せめて、カラーズへの貢献と結び付け、一石二鳥を狙う。この舵取りを、カラーズ一、目端の利く尋道に依頼していたのだった。手始めに、剣崎龍雅、エディ・ミューア・ジュニア、相良一能弁護士、以上三者に彼が岡宮鏡子のマネジメントをつかさどる旨、伝えておくようにと言われて、そのとおりにしておいたが、この男、どの程度、やってくれたのか……?

「どうなりました?」

「以後、剣崎さんとエディさんが、岡宮鏡子の活動に関して、神宮寺さんと折衝することはありません。相良先生と僕が受け持ちます。相良先生、着手金はサービスしてくださるそうですが、実費と報酬金は払ってください」

 なんと、ほとんど話は終わっていた。

「はい。それは、もちろん」

「次に、動きがあるのは、冬になると思います。エディさんとアートが来日して、レコーディングを行う予定です。立ち会いぐらいは、お願いしてもいいでしょうね」

 なんのことはない。お安いご用である。

「近くなったら、またお伝えすることも出てくるでしょうが、今は、以上です。ああ。そろそろお昼ですね。差し入れ、いただきます」

「どうぞ」

 よくぞやってくれた。尋道を用いたのは大正解だったようだ。ご満悦となった孝子は、栄養ドリンクの栓、ゼリー飲料の封、と次々に開けては尋道に手渡していった。瓶とパウチ容器を両手に持った尋道の迷惑そうな顔といったらなかった。

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