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未知標  作者: 一族
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第一九話 春風に吹かれて(二)

 高層ビル群を従えるようにそびえ立つ舞浜駅の、その巨大な駅舎の麓に、孝子は立っている。舞浜駅南口交番前を、孝子は郷本きょうだいとの待ち合わせ場所に指定していた。交番前の少し開けた場所には、孝子の他にも人待ち顔が数人いる。

 孝子はほとんど交番に密着していた。自分が人目を引きやすい容貌である、という事実の認識がある。そして、自分が決して人当たりのよい人間ではない、という、これも事実の認識がある。立ち位置は無用の摩擦を生じさせないための知恵だ。加えて、イヤホンを着け、難しい顔をしていれば完璧、とは正村麻弥氏の助言であった。

 孝子は左手の腕時計を見た。待ち合わせ時刻の午前一〇時には、まだ一五分ほどある。視線を四五度上げると、晴れ渡った空だ。

 と、その時、不意に、孝子の真正面に長い黒髪の女性が出現した。横方向から、しゃがんだままで孝子の目の前まで近寄り、最接近したところで垂直に跳んだのだ。驚いた孝子は、思わず後ずさって、交番の壁に背中をぶつける。

「一葉さん……!」

 自分の肩口ぐらいの身長の女性に、孝子は抗議の声を上げた。

「ごめんね。私の想像を超えて孝ちゃんが驚いたよ」

 実年齢より一〇は若く見える童顔に満面の笑みで、郷本きょうだいの姉のほう、一葉は言った。

「余計なことはしないほうが、って言ったのに」

 あきれたような口調は、全てにおいて中庸、といった印象の男性だった。ベージュを基調とした上下も、しっかりとのりが利いているが、あくまでも地味だ。郷本きょうだいの弟のほう、尋道である。

 一葉と尋道は並んで、孝子に小さく頭を下げた。

「すみません。遅くなりました。一葉さんのせいです」

「起きたら髪が爆発してたんだよ」

 一葉は腰の辺りまでの見事な黒髪の所有者だ。

「まだ約束の時間前ですよ」

「でも、ものすごく怖い顔してたよ。二人で、まずい、まずい、怒ってる、って」

 孝子は麻弥氏を心の中で呪った。白い顔の一面に紅が乗る。黙り込んでしまった孝子に、その場の最年長者は場をつなごうとする。

「見て。おそろい」

 くしくも、グレーのパーカーにデニムパンツ、スニーカーの組み合わせが一致していた孝子と一葉だった。

「孝ちゃんも、こんな格好するんだね。スカートのイメージしかないんだけど。ああ、わかった。麻弥ちゃんの影響だ」

「はい。同じものばかり買って、嫌な顔をされてます」

 スカートはあまり好きではないが、養母の好みに配慮して、とは、この場合、余計な説明だろう。親愛なる麻弥氏のせいにする孝子だった。

「そろそろ行きましょう。着いたら、ちょうど開店時間になるでしょう」

 尋道の言葉に、孝子と一葉は頷いた。

 南口から東回りに五分ほど歩いた所にあるテナントビルの地下が、孝子たちの行きつけのカラオケルームだ。予約していた部屋に入ると、追うようにしてオーダーしたドリンクを男性店員が運んできた。受け取って、彼の背中を見送った一葉がつぶやく。

「名前知らないけど、あの人も長いね」

「初めて入った時も、あの人でしたよね」

 きっかけは、孝子が高校一年生の梅雨時だった。委員会の日で麻弥と帰宅時間がずれ、一人で昇降口にいた孝子の耳に、あるメロディが、かすかに聞こえてきたのだ。その時、昇降口には、先に靴を履いて出ていこうとする男子生徒の姿しかなかった。

「ケイト?」

 振り返った男子生徒が、郷本尋道だった。

「はい。今日は『土砂降りの水曜日』なので」

 母が好きで、その影響で自分も好きになった夭折の米国人歌手の楽曲を、意外な場面で聞き、孝子は興奮を抑えられなくなっていった。ある世代以上には絶大な知名度を誇るケイト・アンダーソンも、死後三〇年以上が経過して、孝子の同年代は基本的に範囲外だ。それを知っていたから、孝子は大親友の正村麻弥にも自分の嗜好を詳しく語っていなかった。

「郷本君は、ケイト、よく聴くの?」

「いえ。ケイトだけを特に、というわけではなく。父親が洋楽好きなので、その影響で。広く浅く、ですね」

「例えば?」

 尋道が、二、三、と挙げたのは、孝子もよく知る著名な歌手たちの名だった。さらに尋道は孝子にとって聞き捨てならないことを言った。父親がレコードの収集家で、ケイトのレコードも自宅にある、と。そして、近所に住んでいるだけの、この日、初めて会話した男子生徒の自宅に、孝子は押し掛けたのだった。

 外が真っ暗になるまで居座った孝子は、郷本夫妻の見送りを受け、郷本きょうだいの随伴を得て、自宅に戻った。

「ねえ、孝ちゃん。今度、カラオケ行こうよ! 洋楽カラオケ!」

 別れ際、すっかり気安くなった一葉の誘いに、孝子は大いに頷いていた。あの日から、じきに四年がたつ。

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