第一九二話 きざし(一四)
出番のない麻弥と尋道が無言で控えていると納倉が戻ってきた。テーブルに盆が四つ置かれる。若者たちの盆には大きな湯飲みに入った抹茶と抹茶の粉末の入った升が乗っていた。美幸の盆は湯飲みのみである。先ほどの美幸の、私は、に続くのは、甘いものはいい、で、対する納倉の、わかってます、となったわけだ。
「これ、中はチーズケーキ。すごくおいしい」
升を指して麻弥は小声で言った。依然として眼前で展開されている激戦をはばかってである。
「正村さんは、こちらは初めてじゃないんですか?」
尋道も小声だ。
「うん。孝子に連れてきてもらった」
「……初めて正村さんを見たときは衝撃だったなあ。孝子さんが、すごい美少年を連れてきた、って驚いたものよ」
「なんですか、美少年って……」
会話に入ってきた納倉は、自分のおかっぱ頭を両手でぎゅっと押さえ込んだ。
「初めてここに顔を出したときって、ベリーショートで、美少年チックだったじゃない? それが、いつの間にか、こんな美女になっちゃって。最近の変貌には山下が一枚かんでるって話だけど、そうなの?」
「変貌って、大げさな」
言いかけて麻弥は隣の尋道に顔を向けた。
「さっき、下の美容院で見てもらってる、って話をしただろ?」
「ええ」
「そこの店長さんが、山下さんっていって。納倉さんと、二人とも、おばさんの後輩だって」
「そう。納倉さんが私の一つ下で、山下さんが五つ下ね。さあ。召し上がれ。斎藤さんも」
三人が一斉に抹茶とチーズケーキに取り掛かる横で、美幸は納倉と会話を始めた。
「納倉さん。この子たちは、孝子さんと一緒に静のマネジメントをやってくれてる子たちなの」
「ああ。カラーズっていう……?」
「そう。今日はね、カラーズを査察するために、この子たちを呼んだの。というのも、孝子さんが、全然、私を関わらせてくれないのよ」
「あら。それは、孝子さんらしくないような」
「いえ。むしろ、らしい、のよ。今が報恩のとき、なんて息巻いてるの」
「ああ。そういう」
口ぶりで、納倉は孝子が養女であることを承知しているのだ、と麻弥は知った。
「カラーズの経営状況が、まるで見えなくて。かといって、どうなってるの、とも聞きにくいじゃない? で、この子たちよ」
「いかがでしたか。カラーズの現況は?」
飲食の手を止めて、身を乗り出したのは尋道だった。
「そうね。外から見る限り、よくやってるように見えていたし、内情を聞かせてもらって、実際、よくやっているのはわかったけど、いかんせん、規模が小さい。このまま推移すれば、二年後には何人かがカラーズを離れざるを得ない事態になるわ。いろいろ考えている最中かもしれないけど、たった二年で社員を養えるようにするのは、なかなか大変よ。就活もあるし、カラーズだけに注力するのは難しいわね」
みさとと麻弥の手も止まった。大学受験に失敗して、一学年遅れている孝子以外、麻弥、みさと、尋道の三人は、今年、三年生である。指摘どおり、就活の時期だ。
「そうなると、何かしらの対策が必要になりますね」
さらに尋道は前のめりとなる。
「うん。そこで、私よ。私をこっそりカラーズに入れて。見返りとして、カラーズをもっと大きくするための稼ぎの口を授けましょうよ。そうして、大きくなったカラーズに、そのまま入っちゃいなさいな。どう?」
「二年後にいなくなる候補の筆頭としては、ありがたいお話ですが、一点、よろしいでしょうか?」
「ええ。どんな?」
「カラーズにはCOOの斎藤がいます。本当に優秀な方で、現在のカラーズの形をほぼ一人で創り上げた、といってもいい傑物ですが、もし、おばさんに加わっていただいた場合の役割分担は、どのようになりますか?」
突如、名前を出されて、COO氏、目を見開いている。
「斎藤さんの優秀さは知っています。実は、斎藤さんも、私の狙いの一つなの。これは、カラーズとは直接、関係のない話だけど、うちが今、お願いしている税理士の先生が、かなりお年を召してらしてね」
「なるほど。斎藤は税理士志望です。今の税理士先生の後釜に彼女を据えるお考えなんですね」
「ええ。自分で言うのもなんだけど、鶴ヶ丘の田舎者なりには物持ちで、ね。といっても、このビルとか、双葉の老人ホームとか、小粒がごちゃごちゃあるだけで、高が知れてるけど。将来的には、斎藤さんに、そういったあたりの取り扱いをコンサルできるようになってほしい、って思ってるのよ」
「将来的には、ということは、もしや、お嬢さま方の代への布石でしょうか?」
尋道の指摘に美幸はぽんと手を打ってみせた。是認したのだ。
「つまり、おばさんのカラーズ参加には、神宮寺さんのサポート以外にも、斎藤の獲得と、お嬢さま方のブレーンとして期待する彼女に、カラーズの経営を通じてコンサルの腕を磨かせる、といった狙いがあるわけですか」
打てば響くような調子が続く。麻弥、みさと、納倉は、唐突に始まった対決を、言葉もなく見守るだけであった。