第一八五話 きざし(七)
LBAのシーズンが開幕した。先陣を切るのは美鈴である。イリノイ州シエル市に乗り込み、シエル・エアロズとの一戦に臨む。試合開始時間は、現地の金曜午後八時。日本では土曜午前一〇時だ。SO101にはカラーズのフルメンバー六人に加えて、各務智恵子、長沢美馬、神宮寺那美、須之内景、高遠祥子、伊澤まどかといった面々が集った。総勢一二人。完全に定員オーバーになっている。
「ちょっと狭いので。僕と雪吹君は出ます」
「えー? 郷さんと雪吹君は見ないの?」
「見ますけど。男が二人だけなので、お察しください」
そう言って郷本尋道と雪吹彰は去った。これで一〇人。まだ多いものの、少し余裕ができた。
「押し掛けてきちゃって、なんか悪いことしたな」
立ち上がった長沢が室外に出て、すぐに戻ってきた。
「大丈夫だった。いちゃいちゃしてたわ」
「え!? やつら、何してるんですか?」
「肩を寄せ合って、スマートフォンで見てた」
「お。ちょっと見てくる」
みさとが飛び出していった。こちらは、そのまま帰ってこない。みさとなりの配慮だったのだろう。
放送が始まった。アメリカのスポーツ専門局の提供するインターネット配信ということで、音声は英語だ。
「映った!」
那美が叫んだ。紫のユニフォームの集団の中から、ひときわ細さの目立つ背番号「11」、市井美鈴が画面を占めたのである。背番号「3」のアリソン・プライスと、顔を寄せて何やら話し込んでいる。
「スタメンですね。――『AとAの場外戦』の原因となった、この日本人は、今日、その価値を証明しなくてはならない、なんて言ってますよ。これは試合後の手のひら返しが楽しみじゃないですか」
実況の口上を訳した春菜が鼻で笑った。そして、試合はまさしくそのとおりの展開となったのである。
シエル・エアロズには「スカイスクレイパーズ」と呼ばれる二人の長身選手がいる。レイチェル・コックスと徐明霞だ。合宿でシエル市を訪れていた全日本チームも、この二人には思うさまにしてやられているが、美鈴はものともしなかった。
試合のレポートとしてカラーズが公式サイトで紹介した実況の手のひら返しは、次のとおりである。
「流星の雨が降り注いで、シエルの街は灰燼に帰した」
サラマンド・ミーティアのチーム名にかけた圧勝劇への称賛だ。一〇本のスリーポイントシュートを含む四〇点を挙げた美鈴は見事に、その価値を証明したのだった。
翌日に行われたレザネフォル・エンジェルスの開幕戦も、負けず劣らずの展開となった。二枚看板の承認を受けて躍動した静が、本拠地ザ・スターゲイザーの観客たちに向けて、あいさつ代わりのトリプルダブルを披露したのだ。得点、アシスト、スティールの三部門で二桁を記録したのは、ポイントガードらしい達成の仕方だった。
鶴ヶ丘の神宮寺「本家」に場所を移していた応援者たちの集いでは、教え子の活躍を目の当たりにして、長沢が感涙にむせんでいる。盟友、後輩たちも目を潤ませている。思いは波及して、濃密な沈黙の時間が続く。
「よし。夏の予定だったが、待てん」
唐突に言うなり、各務がフィーチャーフォンを手にした。
「リサのところに行く」
レザネフォル州立大学女子バスケットボール部コーチであるリサ・ファローの名を各務は出した。短い英語でのやりとりの後、通話を終えた各務が孝子に顔を向ける。
「お前たちは、どうする?」
「それはもう、カラーズ、行かねば!」
みさとが首を突っ込んできた。
「パスポートがない」
孝子は首を横に振る。
「みんなは?」
麻弥、春菜、尋道も同様に首を横に振る。彰は思案顔だ。
「どうした、雪吹君は」
「いえ。高校の時に遠征で取ったパスポートが、まだ期限は大丈夫だったかな、と思って。ああ、でも、お金が」
「それは出張扱いになるでしょ! なるよね?」
「行く気満々だな」
「しかし、このみさとさん。これだけ騒いで、実はパスポートを持っていないのであった」
その場の全員がずっこけている。
「来週にはちょっと間に合わないだろうけど、いずれ行ってみたいし、これを機に取っておくかな。みんなも取ろうぜ」
「雪吹は来るか?」
「個人的な意見ですが、開幕早々にルーキーがボーイフレンドとあいびき、というのは避けたほうがいいと思います。いくらだって下卑た方向にものを考える人はいるでしょう。静さんも未成年ですし」
こういうところに頭が回るのは、カラーズではまず尋道だ。
「そうかもしれんな」
「はい。今回は控えておきます」
「夏に予定してるの。彰君。その時に一緒に行きましょう。私と一緒なら親公認よ」
「それがいいと思います」
美幸の言に尋道もうなずいた。
「はい。お願いします」
「長沢先生は夏の大会の後なら、お時間は大丈夫ですか?」
「え? はい。ある程度なら」
「じゃあ、日程はできるだけ早くに決めますので、招待させていただけないでしょうか。その間は部活もお休みになるでしょうし、高遠さんと伊澤さんも一緒に」
何やら起こりそうな気配に、一同が美幸を注視する。
「各務先生も、夏にもう一度、いかがですか。須之内さんも、ぜひ。野中さんにもお声掛けしてね。取りまとめはカラーズに任せるわね。飛行機のチケットとか、宿泊先とか、パスポートを持ってない人のケアとか、お願いね。そうそう。来ないとは思うけど相良先生も、一応、誘ってみて」
舞浜大学女子バスケットボール部の主務、野中、神宮寺家の顧問弁護士、相良ら、静のLBA挑戦に尽力してくれた人たちの名前が飛び出した。この場にいる人たちともども参加となれば、二〇人近い規模のツアーとなる。大ごとであった。早速、場の中心に躍り出たみさとが、各人の意向やら、スケジュールやらを聞き回っている。観戦中とは異質の、しかし、同程度の熱気が辺りには立ち込めていた。




