第一八二話 きざし(四)
「裏ビデオ」が手に入った。
そんな言い回しで、北崎春菜は舞浜大学女子バスケットボール部監督の各務智恵子に水を向けてきた。
「……ひどかったか?」
「最初をちょっと見ただけですけど。かなり」
奇妙な問答の意味するところは、レザネフォル・エンジェルスと全日本チームの練習試合の映像が手に入った、だ。五月の大型連休が明けた、この日。陽光の差し込む、舞浜大学千鶴キャンパス教育人間学部棟五階は各務の教授室での一こまである。午後四時を回り、部活に向かおうと部屋から出かけたところに、春菜の急襲を受けた各務だった。
「なかなかレポートが出てこないようだし。何かあったんだろうとは思っていたが、な」
全日本チームがサラマンド・ミーティアとレザネフォル・エンジェルス両軍との練習試合を実施した、という話は、もちろん日本にも伝わっていた。このうち、ミーティア戦のレポートは、試合のあった翌日に発表されている。一方、エンジェルス戦のレポートは、数日が経過した今も音沙汰がない。どうも、ひどい大差で負けたらしい。うわさは各務の耳にも入っていたが……。
「どこに行けばいい? お前らの基地か?」
「はい。そうなんですけど、各務先生にお願いがありまして」
「なんだ」
SO101には映像を視聴する機器がノートパソコンしかない。大型のものを、という話は以前からあるのだが、いつもCEOの曖昧な態度で流れてしまっている。
「お姉さん、テレビ嫌いなんですよ。家にもないですし。でも、このままだとLBAのシーズンが始まっても、ノートパソコンかスマホで、ってことになりかねないんです」
そんなわけなので、各務が買ってSO101に置いてくれ、という春菜の「おねだり」だった。
「最新機器に弱いおばさんが今回の試合を機にして、ついでにLBAも見たいので置かせた。これで完璧。お姉さんも納得です」
「お前、ばかにするなよ。テレビのチャンネルぐらい、さすがに変えられるわ」
「LBAは普通のチャンネルじゃやらないですよ。インターネットとか駆使しないといけないらしいですけど。各務先生、テレビでインターネット見る方法とか、わかりますか?」
「春菜。テレビ、買ってやる」
「ありがとうございます」
ATMで下ろした現金を春菜に託した各務は、その足でクラブハウス棟の更衣室に向かった。五四歳になる各務だが、針金のように締まった体は、今も教え子たちと共に汗を流していることのたまものだ。
体育館に入って二時間余りが経過したころ、部員の須之内景が各務に近づいてきた。
「先生。お姉さんが……」
見ると、体育館の壁際に神宮寺孝子が立っている。愛弟子である長沢美馬の教え子で、見目麗しく、きっぷもいい彼女は、各務のお気に入りであった。
「おう。バイトの上がりか」
汗を拭いつつ近づいていくと、なぜか孝子は、にっと笑う。
「各務先生に苦情を申し立てに来ました」
「どうした。……ああ、テレビか。全然、見ないんだって?」
「それはいいんです。私がいないところで見るのは、その人の勝手です」
ここで孝子が、さらに、にっと笑った。
「各務先生。試合の映像ですけど、この後に見られますか? そうでしたら軽食を用意して、皆で見ようかと思ってるんですけど」
「わかった。終わったら行く。そういえば春菜は? そっちか?」
「叱ったので、ちょっと小さくなってます」
そう言って孝子は去っていった。結局、なんの苦情を申し立てに来たのかは、わからずじまいだった。
各務が孝子の来訪の真意を知ったのは三時間後だ。SO101に入室すると、すぐに目に入った。室内にいた斎藤みさとが歓声を上げる。
「各務先生、最高ー!」
「うむ……。でかいな。これは」
各務は片隅にいた春菜に目をやった。
「確かに小さくなっとる」
「怒られて、恐怖を感じたのは、生まれて初めてでした」
「私をおっかない人みたいに言うの、やめなさい」
「いや。お前はおっかないだろう」
孝子と正村麻弥のにらみ合いを横目に、各務は窓際に設置されたものへと近づいた。それは、あまりに圧倒的な大きさのテレビであった。大げさに表現するなら、六帖間の半分ほどを占めるような存在感だった。
「どれくらいだ?」
「六五インチです。いただいたお金で買える、一番大きいのにしました」
狭い部屋に、こんな大きなものを、というのが孝子の苦情だったようである。
「確かに、これはいかんかったな。テレビが部屋の主になった。そりゃあ、孝子も文句を言いに来るわ」
つぶやいた後に高笑いの各務であった。




