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未知標  作者: 一族
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第一七話 フェスティバル・プレリュード(一七)

 電光石火の福岡行から一週間がたった日の朝である。孝子と麻弥は福岡に二泊三日滞在し、倫世は舞浜に四泊五日滞在した。その倫世が福岡に昨日たったので、昨日の今日は、きっかり一週間だ。

 朝食を済ませ、コーヒーの湯気を顎に当てていた孝子に、麻弥が何やら差し出してきた。濃緑色の箱だ。大きさを見て、靴の入っている箱ぐらいの、とみたら、そのものずばりだった。

「開けるね」

 スエードのチャッカブーツだ。カラーはインディゴで、ソールがかかとの高い位置までカバーしているのが印象的である。

「変わった靴だね」

「ドライビングシューズだって。合格祝い」

「ありがとう。履いてみる」

 玄関に行き、孝子は式台に座ってブーツに足を入れた。

「どう?」

「ちょうどいい。足にフィットするね。これは運転が楽しみ。麻弥ちゃんは買ってないの?」

「お前の評価を聞いて。一緒に買って失敗したら、大やけどじゃ済まない」

「高いの?」

 麻弥は黙って人さし指、中指、薬指を立てた。

「じゃあ、私がお返しに麻弥ちゃんのを買おう」

「何か祝い事があったら要求するよ」

「うん。それにしても、いい感じ。あさってが待ち遠しい」

「楽しんできて」

「ごめんね。おじさまの横やりで」

「いいよ。福岡県人同士、水入らずで、いっぱい話してきて」

 神奈川ワタナベ海の見える丘店の蟹江が、契約したウェスタの納車日を知らせてきたのは、昨日のことだ。同時に隆行からも連絡が入った。納車後のドライブに付き合わせてくれないか、というのだ。可能ならば、二人きりが望ましい、そうである。通常であれば、いくら養父であっても、受け入れるものではない。麻弥との先約が入っていた。ただ、孝子には予感があった。隆行は気付いたのだ。孝子が自分との血縁を知った、と。

 思い返してみれば異常であった。ウェスタを契約した日の隆行だ。善良な養父が養女との再会を喜んだにしては情熱的に過ぎた。いつの時点か、それはわからぬ。あるいは、美幸に聞いたか。いや。養母なら、その事実を自分にも伝えてくる。単独で、その結論に至った、とみるべきだろう。

 そういえば二人は、いまだ確とした言葉を交わし合っていない。養女と養父の立場にある者同士が、一対一となるのは容易ではないのだ。絶好の機会と隆行は考えたに違いなかった。孝子も、養父、いや、実父と考えを同じくした。

 好都合にも、と表現するべきか。先の福岡行に同行させた麻弥は、響子や行正の生きざまに触れたせいで、福岡絡みの話題に、おセンチになっている。濃厚な回顧トークを望まれた、と吹けば、いちころであった。

 二日後の朝が来た。早いうちに準備を整えた孝子は、午前一〇時の開店と同時に入店できるよう見計らって家を出た。

「あった」

 神奈川ワタナベ海の見える丘店の前まで来たところで、思わず独り言ちた。駐車場にはブルーマイカのウェスタが朝日を浴びて輝いている。

「おはようございます。ようこそ。いらっしゃいました」

 車のそばには隆行と蟹江がいた。

「おはよう。一応、車体の確認はしておいたけど、孝子もしておいたほうがいいね」

「蟹江さん。このおじさまは何時にここに来たんですか?」

「九時にはお見えでしたよ。実に入念にチェックいただきました。もろもろ手続きも済ませていただいておりますので、すぐにでもお乗りいただけます」

 にこにことほほ笑みながら蟹江が答える。結局、ウェスタは孝子が使用者、隆行が所有者の形を取っていた。断固として隆行は孝子の出費を拒んだのだった。

「じゃあ、お父さんの目を信じる」

 ここで店舗内に駆け戻った蟹江が巨大な花束を持ってきた。

「本日は神奈川ワタナベ海の見える丘店でお車をご購入いただき、誠にありがとうございました。こちらは心ばかりの品です。ご笑納ください」

「ありがとうございます」

 花束の贈呈も滞りなく終わって、出発の段となった。蟹江、店長以下スタッフ一同に見送られて、孝子の運転するウェスタは通りに出た。

「一つ、聞きたいんだけど」

「なんだい?」

「この車の契約の時に、小っ恥ずかしいまねをしたでしょう。あれは、やっぱり、最愛の娘との再会がうれしくて? お、と、う、さ、ま?」

 早速、孝子は仕掛けた。助手席の隆行が息を詰まらせたのがわかった。

「……そうだよ。やっぱり、知ってたんだね。おととしの、冬?」

 卒倒し、入院する羽目に陥った原因だったか、と隆行は問うているのだ。

「そう、だね。お父さんは?」

「いつ、っていうのは、自分でもはっきりとはしないけど。やっぱり、美幸の態度かな。本来なら、孝子が倒れたり、うちを出ていくって言ったりで、一番、騒ぎそうな美幸が、全く、動じてなかったでしょう。落ち着いて考えてみると、多分、何か知ってるんだろうな、って」

「うん。ひっくり返った時に、うっかり、遺書を落としちゃって」

「やはり、倒れたのは私のせいだったんだね」

 深く、重いため息だった。車内の空気が、一気によどんだようですらあった。響子の遺書の、存在はともかく、内容は絶対に明かすな、と美幸に厳命されていた。が、見当違いの心労を実父に掛けるのも、気が引ける。適当に糊塗しなければならない。

「そうそう。お父さんのせい。これからは、たんと愛でてね」

 務めて明るい声で孝子は言ったものの、横目に見える隆行の顔は暗く沈んだままだった。

「そんな顔をしていられるのも、今のうち。あの小娘、また小遣いせびってきやがった、って愚痴る羽目になるよ」

 反応は、ない。

「もう! 娘が、気にするな、って言ってるんだよ! 私の気持ちより自分の気持ちを優先するの!?」

 引いて駄目なら、押してみる。びくり、と隆行が震えた。

「……びっくりした。今の怒鳴り声、響子にそっくりだった」

「行正先生にも言われたよ。あのおばさん、どれだけがなってたの。……お父さん。私、あの人の娘。逆らうと、怖いよ」

「……うん。ひっぱたかれたことあるよ」

「私は、蹴るよ」

「怖い、怖い」

 孝子はハンドルから左手を離し、膝の上に置いていた隆行の手のひらに、手のひらを重ねた。さらに、その手のひらに、もう一つ、手のひらが重ねられた。陥落成功だ。どうやら孝子にも演技派の血が流れているらしかった。

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