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未知標  作者: 一族
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第一七八話 四月の彼女たち(一二)

 レザネフォルは日の出前だ。普段であればほとんどが寝静まっているミューア邸だが、この日は全員が起き出して、せかせかと動き回っている。

 玄関には大きなスーツケースが二個、美鈴とエディのものだ。チームのキャンプインをあさってに控えた今日、美鈴はサラマンドに旅立つ。エディは美鈴のエージェントとして同行するのだ。

 サラマンドへはアリソンの車で向かうことになっている。レザネフォルからサラマンドまでは四〇〇マイル近くあるようだ。キロに換算すれば六〇〇を優に超す。

「車でサラマンドまでって、遠くないですか?」

 美鈴がこの話を持参して部屋にやってきたとき、静はあぜんとしたものだ。スマートフォンの地図アプリで正確な距離を計測して、さらに驚いている。

「そう?」

「だって、六五〇キロですよ……? 私たち、那古野まで車で行ったことあるんですけど」

「ええ? 何しに? 那古野なんて、なんにもないよ? 暇人?」

 自らの故郷に対して、あまりにあんまりな美鈴の言葉である。

「春菜さんちに遊びに行ったんです」

「メロンか。メロンだな。おいしかったか」

「おいしかった。私たちのときは、那古野まで車で五時間ぐらいかかったんですよ」

「ほう。舞浜、那古野は、どれくらい?」

 今度は舞浜から那古野を地図アプリで計測する。

「約三〇〇キロ」

「うひゃあ。これは一〇時間コースかな」

 いくらなんでも長くはないだろうか……?

「そんなにはかからないわよ。私たちもサラマンドまで車で行ったことがあるけど、六時間ぐらいで着いたんじゃなかったっけ?」

 夕食時、ミューア邸の人たちに話を持ち掛けてみると、アーティはこんなことを言う。

「それぐらいだったね」

 応じたのはエディだ。

「ええ……? アーティ、それはスピード出し過ぎじゃないの?」

「それはエディに言って。もう、一〇年以上前の話よ。ダッドの最後のキャンプに行こう、ってエディに言われて、あの車で行ったの」

 エディ・シニアの最後のキャンプは、ベースボールのプロフェッショナルだったシニアが、現役を退いた年の、ということだろう。そして、アーティが指しているのは、外のガレージにとめてある赤い車のことらしい。

「あの車、一〇年前にはあったの?」

「そうよ。元々、あの車はエディが買ったの。すごい車が出るんだ、って予約までして。で、納車されたのが、ちょうどダッドのキャンプの直前よ。エディったら、本当はダッドのキャンプなんて、どうでもよかったのよ。ドライブがしたかっただけ」

「なんてことを言うんだ」

「で、しばらくしたら、すごいモータサイクルが出るんだ、って。あの車を私に押し付けて、自分はモータサイクルに乗りだしたのよ。ねえ、二人とも。こういう男は絶対に避けないとね」

 アーティの言葉に、食卓の全員が大笑だった。

 午前六時過ぎ、アリソンがミューア邸に現れた。

「おはよう、盗人」

 言いつつアーティはアリーの足を踏もうとする。

「おはよう、コロンガール」

 かわして、逆にアリーがアーティの足を踏もうとする。

「……シェリル、もう起きてるかな」

「やめなさい、シズカ」

 異口同音に言って、二人はげらげらと笑っている。LBA界隈を騒がした「AとAの場外戦」も過去のものだ。シェリル・クラウスに徹底的に締め上げられたアーティとアリソンが、もうやめよう、と手を取り合ったのが理由だった。その傍らではカラーズの記事を原案とした、コミッショナー肝いりのドキュメンタリー作品が、ひっそりと不発に終わる、というねたも生まれていた。まさかの早期収束に制作が間に合わなかったのだ。……まあ、余談である。

 ミューア邸の門扉の前には、白い大型のSUVがとまっている。アリソンの車だ。シェリルの夫が経営するディーラーで購入したものという。

 美鈴とエディのスーツケースを、ひょいと持ち上げてシニアが車まで運ぶ。受け取ったエディがラゲッジに放り込む。出発の時間である。

「アリー、覚悟しておくことね。地面にたたき落としてやるわ」

「アートこそ。羽をむしってあげる」

 これは、お互いのチームの名である「流星」と「天使」に対する挑発だった。

 隣では静と美鈴が固く握手を交わしている。

「あっちの二人じゃないけど、次に会ったときはぎったぎたにしてあげる」

「お手柔らかにお願いします」

 美鈴の顔が笑み崩れた。静を抱き寄せる。

「しっかりね」

「はい」

 美鈴は去った。この一カ月余りで触れた、年長者の絶大な陽性を思い起こし、ふと静は涙ぐんでいる。ふわりと静の頭に大きな手のひらが置かれた。アーティだった。思いは同じだったらしい。アーティも目を潤ませている。三人でつるんでいた日々の、なんと騒々しかったことだろう。

 二人は、美鈴の乗った車のテールランプが薄闇のかなたに消えるまで、ずっと見送っていた。

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