第一七七話 四月の彼女たち(一一)
学協北ショップでのアルバイトを終えた孝子が、駐車場に入ったところで、ふと見るとインキュベーションオフィスSO101には、いつものごとく明かりがともっている。麻弥は、今日はアルバイトの日。春菜は部活。残るメンバーでは学外生の郷本尋道と雪吹彰は不在の場合が多いので、まあ、斎藤みさとだろう。あの女は毎日いる。
入室すると、部屋にこもったコーヒーの匂いの中には、予想どおりのみさとだ。
「こんばんは」
「おーっす」
「大忙し?」
「いや。私は忙しくないんだけど。ねえ、見て」
ノートパソコンに向かっているみさとが手招きする。のぞくと、画面いっぱいにリストが表示されている。
「何?」
「GT11をお買い上げの皆さまのリストですわよ。CEOさま!」
そういえば、である。みさとの手掛ける「カラーズショップ」の業務が、今日から動きだしたのだ。「カラーズショップ」とは、すなわちGT11の代理店業務のことだが、この運営に当たってみさとが建白してきたのは、地場の運輸会社「舞浜運輸株式会社」との契約だった。舞浜運輸の提供するフルフィルメントサービスを利用する、という話だ。
選定の決め手となったのは速度である。目星を付けていた各社に問い合わせたところ、舞浜運輸の担当者はインキュベーションオフィスまで、文字どおりに「駆け付けてきた」のだ。舞浜運輸の本社および物流拠点は舞浜大学千鶴キャンパスと同じ「臨海産業団地」にあるとはいえ、だった。このフットワークを、みさとは買ったのだ。
「売れてるよー。もう、ばんばん出てる」
聞けばみさと、舞浜運輸に提供された管理ソフトを、ずっと眺めていたという。
「暇人が」
「うっさいわ。しかし、これだと正村も大忙しだろうね」
麻弥のアルバイト先は舞浜運輸だ。これまでは宅配便の仕分け場に所属していたものが、「カラーズショップ」の運営開始と同時に、その担当に異動となったのだ。
「お疲れで帰ってくるかな。晩に何か一品足そうか」
「そうそう。正村といえば、さ」
「うん」
「……言っていいかな?」
手前勝手な問答に孝子は「殺人光線」を放つ。今の会話で、どう判断すればいいのか。知るか、である。
「ごめん。そんな目で見ないで。あのね、この間のことなんだけど」
「…………」
「正村を見たのよ。舞浜駅で」
「……で?」
つまらぬことを言った。進退窮まった感に、みさとは天を仰いでいる。
「……いや、それで。あの人と一緒だったのよ。剣崎さん」
「ああ」
意外に穏当な反応に、みさとは戸惑いを隠さない。
「知ってた……?」
「うん。いちゃいちゃしていた、あの女?」
言いながら、ここまで立ちっ放しだった孝子は、コーヒーを淹れるとみさとの隣に腰を下ろす。
「いちゃいちゃ、までじゃないけど。いい感じだったよ。……ああ、もしかして髪を伸ばしてるのって、それで?」
孝子は自分の髪を、左右からすくうようにして持ち上げた。
「そう。美容院、紹介したの私。麻弥ちゃん、癖毛がすごいでしょ? 伸ばすなら、お手入れしながらじゃないと」
「実は、もったいないなぁ、って思ってたんだ。すっごく似合ってたのに」
麻弥の元々であるベリーショートについて、みさとは言っているのだ。
「私もそう思うんだけど」
「まあ、あいつの中では髪の長いほうがフェミニンなんだろうね。そうか、そうか」
しばしの静寂だ。みさとは目の前にあった空のカップを持って立ち上がると、コーヒーを淹れて再び戻る。
「……あの人って、いくつぐらいなんだろ?」
「誕生日がまだなら、三四」
「……離れてますなぁ」
「麻弥ちゃんは年上好きだし。問題なし」
「へええええ」
うなっていたみさとが、不意に、にやりとして、孝子に顔を近づけてきた。
「ところで、あんたは?」
「興味ない」
不意打ちに、少しぐらいは動揺を見せるか、との期待があったらしい。あまりの素っ気なさに白旗のみさとは、正直に申し述べて笑う。
「甘いよ、君」
「全くだ」
「そろそろ帰る。斎藤さんは?」
「私も帰るかな。途中まで乗っけてって」
「麻弥ちゃんへのご褒美、晩の一品を紹介してくれたら、家まで送るけど」
「まじで!? 紹介する! 何がいい? 甘味か!?」
叫びながらみさとは淹れたばかりのコーヒーを飲み干した。みさとの在地は、舞浜大学千鶴キャンパスから電車を乗り継いで二時間近くかかる舞浜市碧区碧北だ。そのあまりの遠さに、卒業したら家出する、がみさとの口癖となっている。故に、孝子の申し出に飛び付いたのは、当然といえば当然のことであった。




