第一七五話 四月の彼女たち(九)
那美が女子バスケ部に入部して最初の週末がやってきた。午後の体育館には女子バスケットボール部と女子バレーボール部、それぞれの部員の声が響いている。中でもひときわ大きいのは那美だ。
「あっ」
驚いた声も大きいもので、自然と皆の視線が集まる。体育館の入り口に細身の女性と大柄の女性の姿があった。神宮寺孝子と北崎春菜だ。春菜は大きなクーラーボックスを右手に持っている。
「おっす」
長沢が手を上げた。続けて部員たちのあいさつが飛ぶ。
「こんにちはー。長沢先輩、差し入れを持ってきました」
春菜がクーラーボックスを床に置いて上ぶたを開けた。中には大量のゼリー飲料だ。
「お。ありがと。よし、ちょっと休憩にしようか」
部員たちがゼリー飲料に群がる横で、那美が長沢に体を寄せた。
「長沢先生!」
「うん?」
「言って。すごい真面目、って」
孝子の来訪を自分のマネージャーぶりのチェックとみたらしい。
「見てたよ。すごい真面目にやってて、安心した」
「え……?」
「那美さん。実は私たちギャラリーにいたんですよ」
春菜が体育館二階を指し示す。ひそかに那美を観察していた、というのだ。
「うわ、いやらしい!」
「何?」
ずいと迫った孝子に、那美は一歩、二歩と後ずさった。この手の冗談が通じない女だ、神宮寺孝子という女は。
「私にそんなことをさせるような自分の言動を、まずは恥じようとは思わないの……?」
「怖いもの知らずかと思ってたけど、やっぱり孝子にはかなわないのな」
那美のみならず、周囲の部員まで氷漬けになったのを見た長沢が口を開いた。
「それはもう。美鈴さんみたいな暴れん坊も、お姉さんの前では借りてきた猫みたいになってましたし。お姉さんは無敵ですよ」
「市井さんといえば、お姉さん。Tシャツ、あるじゃないですか。静先輩と市井さんのイラストの」
長沢、春菜、まどかとつながった連携は、さすがに孝子も無視できない。視線を那美から外して応じている。
「うん」
「あれ、欲しいんですよ。問い合わせても、未定、って返事があっただけで。今は、どうなってるんですか?」
「今は、ね。伊澤さん、GT11はわかる?」
「はい」
「あそこに生産委託をしたの」
「お! ってことは、発売されるんですね!?」
「うん。ただ、GT11って高いし、一枚が何万円ってなるかも」
「おおー。あ、でも、買いますよ。買ったら、お二人の応援になるんですよね?」
「私たちのお茶請け代になってるかもよ」
「でも、お前たちは二人のために動いてるんだし。問題なしでしょ。休憩終わり」
言いながら長沢が手招きで那美を呼んだ。那美は孝子にすごまれて小さくなったままだ。近づいてきた那美の肩を長沢が抱いた。
「……最初は、孝子が心配したみたいに、いいかげんな気持ちもあったみたいね」
部員たちがコートに戻ったところで、長沢の小さな声だった。
「でも、そのうち、大好きな姉ちゃんが育てた女バスに関わることに、喜びを見いだしてくれてる感じが、すごく出てきて」
孝子以下三人は無言で聞いている。
「大丈夫。すごく一生懸命ににやってくれてる。孝子、心配しなくていいよ」
「はい」
ふわりと那美の頭に孝子の手のひらが乗った。
「那美ちゃん。ごめんね。疑ったりして」
「……ううん。初めは、本当にいいかげんだったの。私も、ごめんなさい」
「いいですね。女子校出身としては、よだれが出る光景ですね」
しんみりとしかかった空気を春菜が引っかき回す。
「お前、そういう趣味なの?」
「それはもう。一番の好物はお姉さんと正村さんの組み合わせですけど」
「ケイちゃん、麻弥さんとそういう関係なの? いやらしい!」
言い終わる前に、那美は長沢の腕を滑り出ると、コートで動き回る部員たちの下へと逃走していった。残った三人は、ひたすら失笑である。
「そういえば、孝子」
「はい」
「私、まだ見てないんだよね。カラーズの本拠地を」
「いらっしゃいますか?」
「うん。ただ、空いてるのが日曜だけなんだ。そっちには申し訳ないんだけど」
「大丈夫です。私たちも土曜、日曜が一番、手隙なので。なんなら、明日でも」
これが、たまたまコート内で至近にいた伊澤まどかの耳に入った。自分も、ということだろう。しきりに自らの顔を指さすまどかに、孝子は右手の親指と人さし指で丸を作って合図を送る。見学を途中で切り上げた孝子に、後に入った連絡によると、明日は長沢の引率で那美、祥子、まどかの計四人が、カラーズの本拠地こと舞浜大学千鶴キャンパスのインキュベーションオフィスSO101を訪問する、ということであった。