第一七四話 四月の彼女たち(八)
四月も半ばを過ぎたある日の夕方だった。舞浜市立鶴ヶ丘高等学校の体育館では、運動部の部員たちがひしめいている。男女のバスケットボール部と男女のバレーボール部が、床面を四つに分けるという内訳だ。
四つの部活の中では、なんといっても際立っているのが、女子バスケ部の存在感であった。校内唯一の全国区で、高遠祥子、伊澤まどかという当代きっての名手を擁している。部の目標も日本一であり、地区大会止まりの他とは士気が全く異なるのだ。
顧問の長沢美馬が腕組みをして見守る隣で、まねして腕組みをしているのは神宮寺那美だった。一人だけ着ているマリンブルーのジャージーは背に「舞浜大学」とある。舞浜大学女子バスケットボール部の各務智恵子に贈られたものだ。那美のポーズに気付いた長沢が迫ると、笑いながら那美は逃げだす。これに気付いた部員たちに笑いが波及していく。元々、雰囲気の明るい女子バスケ部の中でも、この陽性はずぬけていた。
那美がふらりと体育館に現れたのは三日前のことだ。強豪の女子バスケ部では、新入生といえども入学前の春季休暇のうちから参加を志願し、活動を開始する者がほとんどだ。明らかに出遅れている。
既に部活は始まっていたにもかかわらず、那美の姿を認めた祥子とまどかが、部員たちを放り出して那美の下に走っていったた。何事なのか。何者なのか。部員たちも注視している。
「ご無沙汰してます」
これが年下へのあいさつでもなかろうが。部長の祥子だ。
「こんにちはー。入部ですか?」
こちらは普通に対している。副部長のまどかだ。
「うん。ちやほやしてもらいに来たー」
文武両道を標榜する鶴ヶ丘高校では、全生徒に対して部活動への参加が奨励されている。
「入らなくていいんだったら入らないんだけど」
その方面にうるさくなかった鶴ヶ丘中学校時代は、三年間を帰宅部で通したという自己紹介だった。バスケットボールに全く興味はない、と那美は言い切った。そして、どうせ入らなくちゃいけないなら、前キャプテンの妹として楽のできそうな、女子バスケ部、だそうだ。マネージャー志望という。
祥子とまどかは、素早く視線を交わした。これは、やる気に満ち満ちた女子バスケ部にとって、お引き取り願いたい人材だ。実際、これが一般の生徒の物言いだったら、即座に入部拒否である。……だが。この人材は部史に、その名をさんぜんと残す大立者の妹なのだ。決して邪険にはできない。
「じゃあ、明日ー」
さっさと那美は引き揚げていった。残された祥子とまどかは、小さく嘆息だった。しかし、二人、そして、報告を受けた長沢の不安をよそに、翌日からの那美はまめまめしかった。実によく動く。
「そんなに熱はないみたい、って聞いてたんだけど。何か心境の変化でもあった?」
二日目の終わりに、長沢の問いだ。にやりと笑って那美は長沢に正対した。
「……那美ちゃん。長沢先生に迷惑を掛けちゃ駄目だよ?」
押し殺したような声色に、長沢が噴き出した。
「孝子のまね?」
「似てた?」
普段の声に那美が戻る。
「まあまあ」
「ケイちゃん、怖いんだ! 去年の夏までは、優しくておしとやかな人だと思ってたんだけど」
「国府か」
「うん。後で、静お姉ちゃんに聞いたんだけど、せめて応援したい、残る、って言ったら、だーまーれー、って締められて。静お姉ちゃん、息が止まりそうになったって」
「じゃあ、那美も孝子に締められたか」
「締められた! 電話口でもわかったもん。あ、まずい、って。もう、こうなったら、真面目にするしかないじゃん」
「うん」
「長沢先生。ケイちゃんに聞かれたら、すっごい真面目、って言ってね」
「それは、どうするかなあ」
笑顔と笑顔のにらみ合いであった。
あまりにも絶対的な存在だった昨年の神宮寺静、須之内景が去ってからというもの、鶴ヶ丘高校女子バスケ部には中核不在の時間が続いていた。実力十分の高遠祥子と伊澤まどかはいる。ただ、生来のつつましい人柄が災いして先頭を切ることの苦手な祥子と、才気煥発ながら付き合いの長い祥子に遠慮して、常に一歩を譲るまどかのコンビは、静と景ほどの支配力を発揮するには至っていなかったのだ。
そこに現れたのが神宮寺那美だった。顧問の母校である舞浜大学のジャージーと、前キャプテンである姉の威光とをまとい、天性の朗らかさと、人を人とも思わぬ奔放さで、君臨劇はあっという間だった。鶴ヶ丘高校女子バスケットボール部の新たな主役は神宮寺那美だ。




