第一七〇話 四月の彼女たち(四)
定刻となった。見事なドレッドロックスを左右に垂らした、恰幅のいい、褐色の肌の女性が壇上に現れた。LBAコミッショナーのアビー・ドーソンだ。
アビーのスピーチが始まり、その一挙一動に歓声が湧く。一流の演者としてアビーは著名だ、とシェリルが静に耳打ちをしてくれた。アビーは幾多の起業に携わった経験を持つ敏腕の起業家だった。バスケットボールをプレーした経験はなく、優れたビジネスパーソンとしての手腕を買われてLBAに招聘されたのだという。
期待された手腕は、早速、発揮された。就任早々に持ち上がった、高校女子バスケットボールのスーパースター、アーティ・ミューアによるLBA早期参加要請である。アビーは当暦年で二二歳以上の者という参加資格に、ちゅうちょなくただし書きを加えて、アーティをリーグに迎え入れた。批判の声もないではなかったが、規則の遵守より商機に敏であることを、この際は重視したのだ。
アビーのもくろみは完全に成功した。花も実もあるスーパースターの加入で、男子プロと比べてあるかなきかの存在だったLBAは、一躍、白日の下に躍り出たのである。そして、アーティのLBA参加後、すなわちアビーのコミッショナー就任後、LBAは毎年、右肩上がりに売上高を伸ばしている。
スピーチに引き続いての開催宣言を受け、アビーの背後に設置されたスクリーンには、水色を基調に白い翼をモチーフとしたロゴが表示された。ワシントン州シアルス市をホームタウンとするシアルス・ソアのロゴだ。今年のLBAドラフト一巡目第一位の指名権はソアが保持している。
スクリーンの端で「5:00」からカウントダウンしているのは、ソアの一巡目の持ち時間だ。この持ち時間の間に各チームは指名選手を決定し、会場のコミッショナーに電話で伝達する、という流れになっている。
また会場のそこここで、さざめきが起きている。先ほどの、シェリルの来場に対する驚きとは異なり、どこか戸惑いの感じられる音だった。既にアビーは壇上を後にしていたので、場を取りまとめる者もなく、さざめきは大きくなっていく一方である。
「シェリル!」
壇の脇を飛び出してきたのは、なんとアビーだった。折り畳み椅子群へと小走りに近づいてくる。すわ、一大事、とジャーナリストたちも集結してきて、折り畳み椅子群の前は、再びの雑踏と化す。
「どうかして、アビー?」
「アートがエンジェルスの戦略室にいるわ。あの子、何をしているの?」
LBAドラフトはスポーツ専門チャンネルで生中継されている。生中継の合間を縫って指名候補のプロフィールや各チームの戦略室の様子が流されるのだが、そこにアーティが映ったのだという。一選手が戦略室に出入りするなど前代未聞である。音の正体は、インターネット中継やSNSを介してアーティの動きを知った観客たち、記者席に据えられたモニターで生中継を視聴していたジャーナリストたちが起こしたものだったのだ。
「あの子ったら、なんてことを……」
「どうなってるの? シェリル、どうなってるの?」
「落ち着いて、アビー。そろそろ時間よ」
見れば、スクリーンの表示は二分を切っている。
「今日はアートの日じゃない。『彼女たち』の日よ。あの子のことで騒いではいけない」
正論ではある。しかし、アビーの表情は渋い。アーティより話題性のあるLBA関係者はいない。LBAが世の耳目を引くためには、アーティ・ミューアは欠かせない存在だ。そのアーティが、ドラフトに関わって何やら動いているらしい。一大好機の到来ではないか。
一方、アスリートの良識を備えたシェリルとすれば、今日の主役はあくまでも指名を待つ選手たちだ。アーティであっても彼女たちの上に来ることは、絶対に許されない。
ビジネスパーソンとアスリートの対立は、前者が一歩を引くことで終わりを告げた。アビーが去り、残ったジャーナリストたちもシェリルは、しゃべらない、と追い散らす。一段落したところで、シェリルの深い深いため息だった。
「間違ったわ。一緒に行くべきだった。本当に、あの子は……」
静と美鈴、首をすくめるしかない。
LBAドラフト一巡目第一位は、事前の予想どおりイライザ・ジョンソンとなった。第二位、第三位と指名が続く中でアリソンがゆらりと戻ってきた。早くに姿を消していたため、会場の大方はアリソンの存在を認識しておらず、ここでもさざめきだった。
「……アリー。時間がかかったわね?」
折り畳み椅子にアリソンは、どすんと腰を下ろした。返事までにかなりの時間がかかる。
「……キムに電話してたのよ。見て。キムが送ってくれたの」
アリソンは取り出したスマートフォンを三人に示した。一目見て、三人ともうめいている。生中継の一場面を切り取ったもののようだ。画面に映っているのはエンジェルスの戦略室だろう。LBAとエンジェルスのロゴが飾られ、その前のワークデスクには二人の人物が着いている。カメラに向かって、不敵に笑い掛けているのはアーティだった。格好は、ワークアウトで着ていたジャージーのままのように見える。汗の処理は、きちんとしたのだろうか。場違いな心配に、ふと静はとらわれていた。
そして、アーティの隣に座っているパターソンだ。虚脱気味となって視線は空を泳いでいるではないか。二人の様子を見れば、エンジェルスの戦略室で起きたやりとりも、だいたいは推察できるというものであった。
「負けたわ……」
「キムは、なんて? ああ、そうだ。キムはミーティアのGMよ」
「アートはジェフにミスズの順位を上げさせたに違いない、って。あの顔よ。きっと一巡目まで上げさせたんだわ……」
「アートを甘く見過ぎたわね」
「そうね。本当に、手の内を見せるのが早過ぎたわ」
特大のため息のアリソンだった。
「ぎりぎりまで考えるって、キムは言ってたけど……。ミスズ、あなたと同じチームにはなれなかったわ」
言った後のアリソンは目を閉じ、うつむいて、微動だもしない。壇上では一巡目第四位の選手とアビーが握手を交わしている。




