第一六七話 四月の彼女たち(一)
四月に入り、静たちのワークアウトは熱が入る一方だ。連日、ミューア邸のジムでは静、美鈴、アーティ、シェリルの四人が動き回っている。月末に始まるキャンプに向けて、今が最も濃密なときだった。
レザネフォルに来た当初と比較すると、静の動きも洗練されてきた。速く、強く、高いアーティやシェリルの動きにも対応できるようになっている。同じポジションを争う美鈴とのやり合いは、本番さながらの激しさだった。
「今年のチームは、面白くなりそうね」
全員の仕上がりを、シェリルは目を細めて、こう評したものだ。
LBA直近の予定にはドラフトがある。しかし、既にエンジェルスと契約している静には無関係だ。美鈴も、自分は引っ掛からない、と眼中にない。
LBAドラフトでは全世界を対象にLBAの一二チームが、それぞれ三人ずつ、計三六人を指名する。圧倒的な層の厚さを誇るアメリカの大学生たちに加えて、世界の名手たちとも競合するのだ。
「よっぽど眼力のある人じゃなけりゃ、わざわざ一八〇もないような日本人を指名したりはしないって」
裏返せば、眼力のある人がいるならば指名される、という美鈴の自負である。これぐらいアメリカをのんでいなければ活躍はおぼつかないのだろう、と静は胸中での感心しきりであった。
ドラフトに前後して、冬のシーズンを他国のリーグに活躍の場を移していたLBAの主戦選手たちがアメリカに戻ってくる。LBAの稼ぎだけでは十分でなく、通年でバスケットボールを続ける必要があるための渡航、そこからの帰還だった。ここにドラフトで指名された新人たち、静のようなドラフト外の参加者たちが加わって、チームの陣容が整っていくのだ。
シェリルもかつては海外でプレーしていたという。結婚、出産を機にLBA一本に絞ったが、ほとんどの選手は一年を通してバスケットボールをプレーする。世界の最精鋭が集結している、といっても過言ではないLBAの常識だ。また、オフシーズンにお呼びの掛からないようでは、次の契約は危うい。これも、LBAの常識だった。この常識の外の住人となるためには、なんらかの経済的な背景が必要なのは言うまでもない。
例えば、シェリル。アメリカに腰を据えられたのは、夫がカーディーラーの経営で成功していた実業家であったことが大きい。アーティは家が財産家で、彼女自身もバスケットボール以外の収入源を抱えている、といった具合だ。
この二人以外に常識の外の住人としてリーグでも有名なのが、美鈴のLBA挑戦に太鼓判を押した、あのアリソン・プライスである。今年で三三歳となるアリソンは――今では貫禄も備わって「クイーン」と改称されているが――かつては「プリンセス」などと称された清廉さが売りの選手だった。王女のみぎりに振りまいた愛嬌で得た金を手堅く投資して、利回りでの生活を確立したのが、ルーキーシーズンから現在に至るまで、一度も国外チームでのプレー経験がないアリソンの経済的な背景だった。
「そういえば、エディ。前に話してた日本人は、どうなったの?」
そんなことを問い合わせてきたアリソンがミューア邸に姿を見せたのは、ドラフトまでちょうど一週間という日の午後だった。
ワークアウトの最中だったこともあって、静と美鈴は軽い会釈でアリソンとの初対面を済ませている。気にせず続けてくれ、とアリソンも二人に伝えていた。
「どっちだっけ?」
「何が?」
ジムの隅で並んで立つエディとアリソンの会話だ。
「ミスズ・イチイ」
「アリー。君はミスズサンを研究したことがあるんだろう?」
「日本人の顔って、どうも見分けが」
「君と同じくらいのほうだ」
美鈴は身長が一七六センチで、アリソンは一七五センチである。
「どこか取りそうなの?」
「エンジェルスが取る」
「ドラフトで……?」
「それは無理だ」
「……ミーティアには売り込まなかったの?」
「売り込んださ。興味がある、ようなことを言っていたけど、エンジェルスが取るって伝えたら、そこまでになったよ」
美鈴の実力は認められたものの、ドラフトの枠を使ってまで、というあたりにとどまった。そういう話だった。
「……ふーん」
三歩ほど歩を進めて、アリソンが声を上げた。
「シェリル! ワークアウトはいつまで続けるつもり?」
「時間?」
「いえ。日にちよ」
「もちろん、キャンプまで。まだまだもう一仕上げが必要よ」
「私も参加していい?」
「私は構わないけど。アート?」
「アリー。何をしに来るつもり?」
「もちろん、エンジェルスの新戦力を見定めるのよ」
「じゃあ、駄目。さっさとサラマンドに行って、一人でやりなさいよ」
年齢は離れている二人だが、兄の友人であるアリソンに対するアーティの対応は、かなりぞんざいだ。
「嫌よ。あんな暑いところ。できるだけ行くのは遅らせなきゃ」
アリソンが所属するサラマンド・ミーティアの本拠地サラマンド市は、夏季ともなれば日中の気温が平均で四〇度を上回る酷暑の地として有名だった。
「ホームになんて言い草なの! ミーティアのファンにばらしてやるわ!」
「やめなさいよ!」
「二人はどう?」
際限のない雰囲気の掛け合いを無視して、シェリルが静と美鈴に顔を向けた。
「私たちのほうこそ、アリソンでLBAを見定めることができるのよ」
明るい声で返したのは美鈴だ。
「言うじゃない」
にやりとアリソンが笑う。
「そうね。アリーは私たちとは違うタイプだし、きっと二人の参考になるわ」
「そういうこと。アート、明日からよろしくね」
「参加料。払ってよ」
またぞろ掛け合いが始まった。首を振り振り、シェリルが静と美鈴を手招く。あの二人は放っておくわよ、と小さくつぶやいている。




