第一六一話 私のために鐘は鳴る(一三)
まさに、止める間もなく、だった。アーティと美鈴はGT11へと突進していってしまった。静と比べれば、多少はましなアーティが察したのである。美鈴は自分もGT11と用具の使用契約を結びたいのだ。オーダーメードのシューズが欲しいのだ。
「アート。シズカサンのパーティーはどうするんだ」
「それまでには戻るわ!」
静はTHI-GTの後部座席に乗りたくない、と同行しなかった。
「……まあ、戻らないでしょうね。全く。誰に似たのかしら」
「ジェニー。鏡が必要かい?」
夫妻の応酬に顔を引きつらせていると、自室に来ないか、というエディの誘いだった。
「今ぐらいの時間なら、カラーズさんが誰かいるかも」
エディの部屋は一階、リビングの隣だった。さすがに広くて、静が供されている部屋の倍はあるだろうか。入ってすぐにある大きな机の上に、これまた大きなディスプレーが載っている。つけっ放しだったディスプレーをエディはしばらく眺めていたが、やがて、
「いないね。残念。GT11のことを伝えたかったんだけど」
と静のほうを向いて首を振った。GT11からの帰り際にあったデレクの話を言っているのだ。
「できるだけ融通する、と伝えてくれ」
これは、みさとがエディを経由して申し込んでいた、GT11製品をカラーズで取り扱うことについての返答だった。
「電話してみようか?」
「いや。大丈夫。メッセージを送っておいた。そのうち気付いてくれるよ」
会話のねたがなくなってしまった。手持ち無沙汰となって、静は室内に視線を回す。
「……エディ。そこの、ガラス張りの向こうは、何?」
静が指したのは東側の壁に埋め込まれたガラス窓の、その向こうの空間だった。
「録音スタジオだよ。シズカサンも何か歌ってみるかい?」
「いや。私は歌うのは得意じゃない。エディが使ってるの……?」
近づいて、のぞき込んでみると、室内にはマイクスタンドやらモニターやらの機材が置かれている。
「アートだよ。一八歳の誕生日のお祝いに、僕が建てたんだ」
「ジェニーが、シニアはアーティに甘い、って言ってたけど、エディも甘いんだね」
「アートとは、一二歳、違うんだ。子供というほどじゃないが、妹というには、ちょっと離れてる。つい甘くなるね。シズカサン、見て」
エディが示したのは例のディスプレーだ。画面いっぱいにアーティの姿があった。録音スタジオで撮影したものらしい。背景の壁の模様が一致していた。
「動かすよ」
エディがマウスを操作する。画面の中のアーティが歌いだした。
「……アーティ、歌が好きなんだね」
声高らかに歌う姿は、バスケットボールに打ち込んでいるときの、彼女のそれと似通っていた。
「うん。大好きだね。いずれ、歌手をやるつもりなんだ。今、コンペティションの最中さ」
「コンペティション……?」
「アートにふさわしいプロデューサーを探してるんだ。なかなかいい出会いがなくてね」
「売れっ子を探してるの?」
「いや。有名か無名かは重要じゃない。どんなふうにアートをプロデュースするか、が大事だ。あまり『女性』を強調するプロデュースはしてほしくない、と僕は思ってる」
当然の兄心であろう。加えて、あの鮮烈の人が「女性」を前面に押し出すことは、似つかわしくない、と感じる。
「そのとおりだよ。シズカサン。あの子らしくない。それを、わからないやつらばかりで、だから、プロデューサー選びが難航しているのさ」
静の指摘に、エディは大いにうなずいている。彼がコンペティションを行った候補者たちは皆、アーティ・ミューアの特性をくみ切れていないのだ。
「いっそ、エディがプロデューサーになったら?」
「でも、僕は音楽のことはさっぱりだよ」
「私、協力できるかも。知ってる人にすごい歌手がいるの。その人に音楽面でのアドバイスをもらって、って形はどうかな」
「どんな人だい?」
ここで静、はたと止まった。岡宮鏡子の名を出そうとしていた。そして、思い至っていた。勝手に紹介して、怒られはしまいか。いや、間違いなく怒る。あの姉なら。
「……高校時代の先輩でね、キョウコ・オカミヤって人がいるの。お姉ちゃんの友達」
全くまずい取り繕い方ではあった。
「タカコサンのお友達ってことは、まだ若い人だね」
「……うん。同い年だって」
「キョウコサンは、女性の名前だ」
「うん。そう。さすがエディ。キョウコ・オカミヤは女性だよ」
日本人の、妙齢の、女性の、登場にエディは興味を持ったようだ。研究してみる、とまとめて、この話はひとまず終了となった。シーズンの始まりも近い。今の話はアートには内緒で、と静は念押しを受けた。
そこに、ジェニーの呼ぶ声が聞こえてきた。シェリル一家が来訪したようだ。静とエディは一家を迎えるため部屋を出た。……なお、アーティと美鈴が、まんまとパーティーに遅刻し、シェリルに大目玉を食ったのは、こういった際の典型というものだったろう。