第一五話 フェスティバル・プレリュード(一五)
福岡県は九州国際空港を発した飛行機が、東京都大港区の東京空港に到着したのは、定刻どおりの午後五時半だった。駐車場に置いていた車で三人が向かったのは鶴ヶ丘の神宮寺家だ。海の見える丘に宿泊する倫世の分の寝具を借り出すためである。
「田村は、舞浜は初めて?」
ハンドルを握る麻弥が隣の倫世に問うた。三人の乗る車は神宮寺美咲に借りている車で、オートマチック車だ。運転する意志のない孝子は、さっさと後部座席に乗り込んで、ふんぞり返っている。
「いや。去年の冬が初めて」
「なんで一言なかったのかな」
孝子は手を伸ばして倫世の首を絞めた。
「やめろ、浪人。気を使ってやったんだよ」
「けんかするな。例の、重工に務めてる彼氏に会いに?」
「そう」
「聞いてなかったけど、どんな人?」
「川相一輝、っていったら、野球界じゃ名の知れた男だけど、わかる?」
「……何年か前に、高校の大会で、めちゃくちゃ打った人じゃないっけ?」
「そう。ね、おかみ」
「何が」
興味を引かない話題だったので、孝子、右から左で聞き流していた。
「何が、って。あのゴリラ、おととしの夏の大会で、ホームランの記録を作ったの、知ってるでしょ」
「知らないよ。なんで私が、そんなことを知ってると思うの」
「大会に出るよ、見てね、って言ったじゃん。私、マネージャーで、テレビにも、結構、出てたでしょうが」
ここまで言われて、ようやく孝子は思い出していた。確かに、その旨の連絡はあった。
「見なかった」
のだが。
「お前」
「それより、田村。ゴリラ、って、何?」
「ゴリラに似てる。顔も、がたいも」
「まさか、面と向かって、言ったりしてないだろうな」
「言ってるよ。本当に似てるんだって」
「振られるぞ……」
「大丈夫でしょう。優しい人だよ」
「お前、知らないんじゃなかったのか?」
「知らないけど、わかる。こんなあばずれと付き合っている人だよ。どう考えても聖人君子」
「おかみ。後で覚えてろ」
「もう忘れた」
鶴ヶ丘入りした三人は、まず、神宮寺「新家」に入った。土産を手渡すためだ。
「失礼いたします」
勝手口はパントリーにあるため、同行者を入れる場合は、美幸に一言、あいさつしなくてはならない。
「どうぞ。どなたか、一緒……?」
顔をのぞかせた美幸が目を見開いた。
「田村さん!?」
「ご無沙汰しておりました!」
「何? ミッチーだと?」
ちょうど夕食の時間だったようだ。那美に続いて、静、隆行も顔を見せた。狭いパントリーが渋滞する。
「おう。久しいの。皆さまも、お久しぶりでございます」
「ミッチー。お土産」
「ほれ」
倫世が手に提げていた紙袋を那美に突き付けた。この二人、過去に何度か、対面している。孝子の法事に同行した際だ。陽性の人同士、意気投合には、その機会だけで十分だったのである。
「よしよし。ちゃんと、私のために買ってきたな。ところで、ミッチーは、いつ、こっちに来たの?」
「今日。つい、さっき。おかみたちと一緒の便で」
「え……。孝子さん、福岡に行ってたの?」
「はい。もう二年以上、墓参をサボってる、って思ったら、居ても立ってもいられなくて」
「あら……。そうね。考えてみれば、さきおととしの冬以来ね。……来年が響子さんの一三回忌でしょう。法光寺さんとの打ち合わせがてら春谷に、なんて考えていたんだけれど、のんき過ぎたわ。孝子さん。気が付かなくて、ごめんなさい」
「いえ。今でも、そんなに気に掛けていただいているだけで、母も喜んでいると思います」
「ところで、倫世ちゃんは、ホテル?」
二人の頭の下げっこを止めたのは隆行だった。
「いえ。なんでも、乙な一軒家で二人暮らしをしている、って聞いて。そこに、泊めてもらおう、と思いまして。で、寝具がないらしいので、こちらに、お借りに参上した次第です」
「ああ。なら『本家』だね。孝子。倫世ちゃんを案内して」
「ちょっと待った! もう帰るの?」
つと寄ってきた那美が、孝子の腕に絡み付く。孝子と同じくほっそりとした肢体の上にある、義兄さんと姉さんの奇跡の配合、と叔母の美咲から評される面立ちが、ずいと迫った。那美は中学二年生の一四歳だが、孝子とほとんど変わらない一六九センチある。
「じゃあ、那美ちゃんも泊まりに来る?」
「えっ? 海の見える丘に? 行く!」
咲いた笑顔の向こうで、静が舌打ち寸前、という顔をしていた。こちらは母の美幸に酷似した顔立ちで、若い分、張りと丸みが愛らしい。静は高校二年生の一七歳だ。
「静ちゃん、明日は部活は?」
「……日曜だからない」
「じゃあ、静ちゃんもおいでよ」
今度は、間近にある那美の顔が曇りを見せたが、孝子は気付かないふりをする。
「え……」
「来てくれないの?」
「……行く」
「そうと決まれば、小間物を取ってこーい」
倫世の号令一下、素直に伸びた髪を揺らしながら、二人はパントリーを出ていった。二人の気配が完全に消えた後で、倫世がつぶやいた。
「仲、悪かったっけ……?」
倫世の目にも留まっていたらしい。孝子はうなずいた。
「うん」
決定的な不仲にまでは至っていないが、姉妹の微妙な反目は「新家」の人たちの共通した悩みであった。幼いころの、世話好きな姉と人懐こい妹との組み合わせは、はたから見てもほほ笑ましかったものだ。それが壊れだしたのが、いつのことだったか、孝子の記憶も定かではなかったが、契機は明らかであるように思えた。ある日、突然に現れた岡宮孝子という、えたいの知れない女だろう。実質的な長女として居座る自分が、仲よし姉妹の関係を徐々に押しつぶした、と孝子は考えているのだった。




