第一五六話 私のために鐘は鳴る(八)
目まぐるしく一週間が過ぎた。勇躍の市井美鈴は、カラーズの紹介を受けて、舞浜大学女子バスケットボール部の練習に参加している。全日本のエースガードはだてではなかった。ブランクもなんのその、春菜と、わずかな間に急成長を遂げた静以外は、まるで相手にならない。
「……自信をなくすレベルで歯が立たないんだけど」
弱音は、高校が自由登校になった二月から舞浜大の練習に、仮入部の形で参加していた須之内景だ。美鈴は身体能力の高い彼女を、仮想のLBAプレーヤーとして、練習パートナーに指名していた。美鈴の一七六センチに対して、景は一八六センチと上背では勝っているものの、当たりの強さ、体のさばきなど、まるで対応できない。大学生たちを向こうに回しても、引けを取らなくなってきた、という自負を打ち砕かれ、自失は大きいようである。
「大丈夫。慣れたら景は負けないよ」
一方、静は強気だった。アメリカでアーティとシェリルという世界最高峰の速さ、強さ、高さを経験してきた強みがある。市井美鈴、何するものぞ、と感じていた。そして、自分がそうなのだ。より才能にあふれる景が後れを取るわけがない、と盟友の尻をたたく。
休憩中の今、体育館の隅に二人はたたずんでいた。視線の先には美鈴が、周りにバスケ部員たちを従えて、これも休憩中だ。持ち前の快活で、すっかり部の中心に君臨している。あの北崎春菜すら美鈴のそばで笑顔を浮かべていた。
美鈴は頭髪を黒に戻していた。「各務舞大」の内規に従ったものだが、これで年齢は新四年生と同じということもあって、もはや立派な部員だ。存在感を加味すればキャプテンの重みだろう。
この「キャプテン」は、滞在する海の見える丘でも光り輝いていた。孝子に「姉ちゃん」と呼ばれて親しまれ、場の最上位に躍り出ているのだ。聞けば、自慢の美貌を称して孝子と並び、ほとんど姉妹でしょ、と放言したのがきっかけ、らしい。欧風薫る孝子と凹凸の少ない和美人の美鈴では、そもそもの方向性が違うのだが、そんなことはお構いなしだった。
居合わせた麻弥、みさと、春菜が失笑をこらえていると、やおら立ち上がった孝子が美鈴の前に動いて、
「姉ちゃんなの?」
である。
「姉ちゃんだよ!」
叫んで、美鈴が両手を大きく広げた。どちらからともなく、ひしと抱き合い、周囲は大噴出となったとか……。
松波治雄の仲介で、美鈴のウェヌス退団が円満裏に成立したのはおとといだ。同日、カラーズの公式サイトでは美鈴の所属が発表され、麻弥の手による新たなイラストもお披露目となっている。二代目となるイラストは、静と美鈴が並び立ち、それぞれがバスケットボールを抱えて笑顔、というものだった。美鈴の所属先が未定なので、まとっているのは二人とも高校時代のジャージーである。それぞれの顧問に許諾を得た公認イラストなのだ。
もっとも、静は、くだんのイラストを気に入ってない。美鈴とは、もっと離して描いてほしい、と思っている。笑顔なんて、とんでもない、だ。
理由があった。昨日は舞浜市立鶴ヶ丘高等学校の卒業式だった。三年間の学生生活を思い起こし、涙などをこぼしたりもしながら、それなりに感慨深く過ごしていたところに急報がもたらされて静は驚愕した。美鈴の実質的な所属先が決まったのだ。なんと、レザネフォル・エンジェルスである。
慌ててSO101に向かうと、美鈴が年来の友人のように打ち解けてエディと会話をしている場面に出くわした。会話に加わり、聞いた全貌はこうだ。
一、アリソン・プライスの語った「美鈴を推すべきシューターの弱いチーム」には、エンジェルスも含まれていた。
一、エンジェルスは美鈴について、体格的に不安はあるが、高い技術で十分にカバー可能とみている。
一、静の存在もあって、環境への対応に不安はなく、必ず活躍できるであろう、とも。
一、高校卒業後、すぐに実業団に進んだという美鈴の足跡を、アーティ・ミューアがいたく気に入り、猛烈に推している。
以上により、レザネフォル・エンジェルスは美鈴をキャンプに招待し、その結果でもって契約を結ぶ、そうだ。打倒春菜の競合相手というだけで、いけ好かないのに、同じチームとは……。美鈴に対する静の対抗意識は激しく燃えさかっている。
誠に急な展開で、美鈴の渡米は明日の夜となった。あいさつ回りやら歓送会やら、そして、もろもろの準備すらも省略して、一刻も早くアメリカへ、という意気込みなのだ。母に、チケットの予約を変更しようか、と言われ、静は拒否していた。美鈴と一緒に行ってはどうか、というのだろう。冗談ではない。当初予定のあさっての便に断固として乗る。
……それに、大きな声では言えぬことだが、明日は孝子のライブだ。セレクション合格の祝賀とLBA挑戦への壮行のため、ザ・ブレイシーズが再集結してくれる。義姉の歌声から勇気と希望をもらって出陣する。
休憩の終了を告げる「キャプテン」の声が体育館に響き渡った。景が駆けだした。厳しい一瞥を美鈴に向けた後に静も続く。負けるものか、だ。




