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未知標  作者: 一族
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第一五三話 私のために鐘は鳴る(五)

 長い風呂から戻ってきた美鈴は、血色も鮮やかに、本来の容姿を取り戻していた。春菜の言ったように、一週間も風呂に入っていなかったという美鈴の体、衣服は、確かに少し臭ったのだ。湯につかって、まずはさっぱりとしてもらって、というみさとの配慮である。海の見える丘でのミーティングは、そのための口実だった。

「いただいてきましたー」

 美鈴が身に着けている青いスエットは麻弥に借りたものだ。

「お帰りなさい」

 ダイニングテーブルには魚介を中心とした、いつもの海の見える丘の食事が並んでいた。迎えられて席に着いた美鈴は、一人ソファに座っている静に気付いて声を掛けた。

「食べないの?」

「あ。私、家で食べるんで」

「ほい」

 食事の前には孝子から、味が極端に薄い旨の説明がなされたが、

「大丈夫。私、なんでもおいしい人なので」

 この言葉どおりに美鈴は素焼きの魚と薄いみそ汁で、もりもり雑穀米を食べている。

 食事中、美鈴は冗舌だった。会話の相手は、孝子、麻弥、静、春菜、と分け隔てない。

「正村さんは、バスケやってた方?」

 一八〇近い長身に広い肩幅で、しっかりとした印象の麻弥である。

「いえ。なんとなく伸びただけです」

「もしバスケやってたら私のナンバーワンの座も危うかったかも」

 言って、明るい笑い声が響く。

 平静を取り戻したことで、持ち前の朗らかな気性は遺憾なく発揮され、場は完全に美鈴を中心に回っている状態だ。

「それにしてもカラーズさんは美人さんばかりだね。大学にいたスタイルのいい美人さんもすごかったし。これで私が加わると、さらに美人度が上がっちゃうな!」

「すみません。この人、ちょっと虚言癖があって」

 笑いながら春菜が混ぜっ返す。

「言ってろ。……でも、春菜、これは虚言じゃないよ。絶対に勝つ。先輩の偉大さを、思い知らせてやる」

「返り討ちです。しかし、今の言い方だと、美人うんぬんのほうは虚言と認めるんですね」

「泣かす」

 戦闘が始まった。孝子、麻弥、静は顔を見合わせて失笑だった。


 市井美鈴に「スタイルのいい美人さん」と言及された斎藤みさとは、このとき、SO101での作業を終え、送らせて、という山寺の厚意を受けて彰と共に彼の車に乗り込んでいた。みさとは行き先を鶴ヶ丘と告げている。山寺はみさとをどこの誰とも知っていないので、疑念なくカーナビの目的地を鶴ヶ丘に設定した。彰は彰でみさとを孝子と麻弥の友人だと思っているので、何も感じるところはなかったようだ。

 神宮寺家から指呼の間にある国道沿いのコンビニを示し、そこで、と言ってみさとは降りた。去っていく山寺の車が見えなくなるまで手を振り、次いで目の前のコンビニに入る。アルコール類、つまみ、甘いものと買い込んで、向かったのは郷本家だ。

「何しに来たんですか」

 尋道は渋い笑いを浮かべてみさとを迎えた。

「あ。冷たい」

「今日は、ちゃんと帰ってくださいよ」

 みさとは、かつてカラーズの準備に熱を入れるあまりに、郷本家に徹夜で居座って、尋道に大迷惑を掛けた前科があった。

「今日は大丈夫。報告だけ。ああ、あと、ちょっと聞いてほしいこともあるかも」

 カラーズきっての陽性が、似合わない陰鬱を漂わせている。常と違うみさとの様子に、尋道の表情は少し変化を見せたようだ。

 二階の自室にみさとを招いた後、尋道は一度、階下に消えた。戻ってきた彼の手には盆に載った食事があった。

「あ。ごちです」

「僕のです。でも、食べてくれていいですよ」

「嫌いなものでも?」

「いえ。食べることに、あまり興味がなくて。でも、食べないと母親にどやされますし。というわけで、食べてください」

「それを聞いちゃあ、食べることもできまいよ。私は買ってきたやつでお付き合いしまっす。食べて、食べて」

「遠慮しなくていいのに」

 心底、残念そうに言いながら、尋道は盆を机に置くと、もそもそと食事を始める。

 みさとはフローリングにぺたんと座り、持ち込んだコンビニの袋から取り出したカクテルの缶と唐揚げのパッケージで一杯をやりだした。

「郷さんのもあるよ」

「僕まで飲んだら、誰が送るんですか」

「電車で帰るよ」

「電車で帰れる程度で済む話なんですか」

「あー」

 ちょっと聞いてほしい、などと言ってはいたものの、やはり、この日の話題の主はこちらで、従の報告は、あっという間に終わっている。

 孝子のこわもての取材対応と春菜の歯に衣を着せない物言いが、ちょっと聞いてほしいこと、だった。どちらかといえば、より気に入らなかった春菜の物言いについて、時間をかけてぐちぐちとやっている。

「あれは、ちょっとない。いくら親しくたって。男の人もいる前で、臭う、とか」

 黙して聞いていた尋道は、みさとの舌鋒が収まったところで、止めていた箸を、また、もそもそと動かしだした。

「北崎さんについては、そういう人なんだ、と認識しておくしかないでしょう」

 ぐいっと缶をあおったのは、みさとの不満の表れだったが、尋道は請け合わない。

「それよりもCEOのほうが問題じゃないですか」

「うん……?」

「神宮寺さんって、傘は突き刺すもの、盾はひっぱたくもの、って思ってそうですよね」

 カラーズの社章の傘と盾とを孝子の言動と掛けた尋道に、飲みかけていたカクテルを噴いて、みさとは激しくむせた。

「……ああ、ごめんなさい」

 ハンカチを出そうとするみさとを制して、尋道が床に散ったカクテルをティッシュで拭う。丸めたティッシュを盆の隅に置き、尋道は椅子に座り直した。

「妹さんのため、って気持ちが先走っているのか。少し攻撃的かな、と」

「そうだね」

 それもないことはないが、本質は孝子の生来の気性によるものだ。しかし、この時期の二人は、まだそこまで深く孝子を理解していない。

「斎藤さんのCOO就任は大いにありだと思います。形式的には神宮寺さんがトップ。実質的には斎藤さんがトップ。こういうふうにして、極力、神宮寺さんは外に出さないようにするべきでしょう」

「うん」

 うなずき、じっと尋道を見ていたみさとは、やがて、にっと笑った。

「やっぱり、来てよかった。ありがとう、郷さん。聞いてもらって、すっきりしたよ。よし。明日から、また頑張ろうぜ」

「それは何よりでした。じゃあ、帰ってください」

 続いた笑い声の、あまりの豪快さに、尋道の姉の一葉が顔を出してきた。みさとの頬は酔いも手伝って、きょうだいに心配されるぐらいに真紅に染まったのである。

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