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未知標  作者: 一族
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第一五二話 私のために鐘は鳴る(四)

 一時間も経たないうちに、市井美鈴は舞浜大学に現れた。もうすぐ着く、の知らせを受けて、一同は山寺のときと同じく駐車場で待ち構えていたのだが……。

 タクシーを出てきた美鈴の姿に、全員がぎょっとしている。市井美鈴といえば、全アスリート中でも三指に入ると称される美貌の持ち主として知られた人物だ。それが、染みだらけのジャージーにサンダルという格好で現れた。染みは赤茶けたものや黒いものとさまざまで、ジャージーの色が白だけに異様に目立っている。

 セミロングは乱れに乱れ、あの見事に染め上げたホワイトアッシュも、すっかりぼけてしまっていた。二カ月の間に伸びた根元の黒もアンバランスで見苦しい。

 そして、何より、そのまなざしだった。半眼から放たれた凶暴な光は、目やにだらけの汚れた目縁で、白く乾いた肌に浮き上がった青黒いくまで、陰惨に装飾されている。

「美鈴さん。こっちに来てください。タクシーが動けなくて困ってますよ」

 降りたまま、美鈴がその場に立ち尽くしていたので、タクシーはドアを閉めることもできず、立ち往生しているのだ。美鈴が離れると、ドアを閉めたタクシーは、そろそろと駐車場を出ていった。

「随分と薄汚れていて、ちょっと驚いたんですが」

 春菜の声に、美鈴の顔がひどくゆがむ。

「こんなにセンシティブな人だと知ってたら、もっとやり方も考えたんですけど」

「……どういう意味」

「年始の試合ですよ。適当にあしらっておけば、こんなことにはならなかったでしょうに」

 美鈴の呼吸が荒くなって、こんこんとせき込みだした。顔色は蒼白に変じている。

「でも、美鈴さんと広山さんがいるウェヌスには、うちじゃ勝てないんで、ああするしかなかったんです。なんといっても、静さんの壮行試合でしたので」

「……そんなに」

 嘔吐の寸前のようになってきたせきに、苦しげにあえぎながら美鈴は、

「そんなに神宮寺とやりたかったの!?」

 と咆哮している。

「はい」

 返す春菜は、あくまでも平静だ。

「ばかにして! 私と神宮寺、神宮寺のほうが上だと思ってるの!?」

「まさか。現時点の総合力は美鈴さんが上ですよ」

「じゃあ、なんで!」

「美鈴さん、私に、挑戦する、って言ってこないじゃないですか。わざわざ、向上心のない人の相手なんか、するほど暇じゃないんです」

「至上の天才」の本質発揮である。

「私を誰だと思っているのですか。私と戦いたいのなら、名乗りを上げていただかないと。まず気概を見せていただいて、話は、そこからです。静さんは、お前に勝つ、と挑戦状を送ってきましたよ。もちろん、私は受けて立ちました。美鈴さんは、私を倒すために海外で腕を磨きたいので、ウェヌスを退団しようとしてる、って伺いましたが。私に挑戦しますか? でしたら、向上心がある、と認めて、その挑戦を受けて立ちましょう」

「……あっ」

 声と同時に動いたのは彰だった。ふわりとくずおれかけた美鈴の体を抱き留めている。

 ひとまず、場をSO101へと移すこととなった。途中、覚醒した美鈴は、見る間に泣き崩れ、SO101でも突っ伏したまま、起き上がってこない。すすり泣きが収まるまでには、たっぷりと一〇分以上かかっただろうか。

 美鈴が顔を上げた。ぬれそぼった顔は、先刻までとは違った意味で悲惨である。

「あの、美鈴さん。大変、申し上げにくいんですけど、顔が、ちょっとよろしくないことになってます」

 口をとがらせて、じっと春菜を見た美鈴だったが、取り出したスマートフォンに顔を映し、そして、ぱん、と顔を手のひらで覆った。

「あと、ですね。もしかして、お風呂に入っていらっしゃらないんじゃないですか? ほんの少しだけ、臭うような気がしなくもないです」

「ハールー……」

 低くしわがれた声を作ったのはみさとである。実は春菜、先ほど、みさとにたしなめられている。センシティブな人だとわかったのに、どうして、そういう物言いをするのか、と。確かに、言い方がやや遠回しになった程度で、方向性は変化のない春菜であった。

 不意に美鈴が立ち上がると、傍らに立っていた春菜に向かい、抱き付いた。

「春菜。よくわかったね。私、一週間ぐらいお風呂入ってない」

「え!? あああああ! 汚い! 離れて!」

「なんだよ。挑戦したら受ける、って言ってたじゃない」

「バスケ! バスケの話です! 早く離れて! 不潔!」

「参った? 参った、って言ったら離れてあげる」

 美鈴、春菜に絡み付いて、頬擦りだ。

「参りました! 参りました! 早く離れて!」

 にんまりとしながら春菜から離れた美鈴が、あぜんとする周囲に向けて、一言だった。

「勝った」

 これで噴出である。

「神宮寺。悪いね。先に春菜に勝っちゃった」

「え? えええ?」

 さらに大噴出である。

「さすが先輩。ハルちゃんを降参させるなんて」

 ひとしきりの哄笑が収まった後で、さっとみさとが美鈴に寄った。何やら耳元でささやき掛けると、美鈴もうなずき、立ち上がる。

「神宮寺も来て」

 持参のバッグからポーチを取り出したみさとが、手のひらで頬をぽんぽんとしてみせたことで孝子も察している。こちらもポーチを手に、二人に続く。

 しばらくして戻ってきた美鈴は、打って変わった美麗さで、周囲にはほのかによい香りも漂っている。孝子とみさとの手によってメーキャップを施されたのだ。

「はーい。今後の予定ー」

 手をたたきながらのみさとの声がSO101に響く。

「市井さんとミーティング。これは神宮寺に任せます」

「うん。市井さんをうちにお招きして、いろいろとお話をしたいと思います」

「山寺さんはここに残ってくださいね。さっきのプロモーション映像の話を、もっと詰めたいんで」

「わかりました」

「僕もお手伝いします」

 彰の申し出に、みさとは大きくうなずいた。

「じゃあ、そういうことで。はい、動けー!」

 みさとの号令一下、孝子は静、春菜と共に美鈴を連れて海の見える丘へ、居残りの三人はSO101での作業へ、それぞれに動きだす。

 外では、いつしか日が暮れかかっていた。昼間の暖気も霧散しつつあるところだろう。晴天の今日、夜は、そして、明日の朝は、ひどく冷えるに違いなかった。

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