第一五〇話 私のために鐘は鳴る(二)
CEOとCOOの掛け合いによって、SO101の室温も、どうやら平常に戻ったようだ。今後の予定は特にない、という山寺も居座って、だらだらとした歓談となっている。
「山寺さん、もう一杯いっときます?」
みさとが指したのは、山寺の前にあるカップだ。ついさっき二回目のお代わりをしたばかりだが、中は既に空である。
「ああ。すみません。じゃあ、もう一杯」
山寺、大変なコーヒー好きという。飲み方は、その速度を見ても明白なように、見事なまでのがぶ飲みだ。
「一杯目はおもてなしとして、これは有償ですよ」
立ち上がりかけたみさとを制して山寺のカップを取り、コーヒーで満たして戻したのは春菜だ。
「はい。一五〇円」
「最近、キャッシュレスに本格的に取り組み始めてて、持ち合わせがないんだよ。この埋め合わせは、必ず」
「お姉さん。一週間以内に何もなかったら、出入り禁止にしましょう」
「おいおい。早いな」
言いながら淹れたてを一口含み、一息の後、山寺の視線が春菜に向けられた。
「そういえば、北崎さんって、そういう声だったんだね」
「……は?」
「こうやって話すのは、多分、今日が初めてでしょう」
「そうですか」
「あ。やっぱり、取材に来られる方が変わったのって、ハルちゃんと話をしたくて、だったりして? 私、そう思ってたんですけど」
あまりに素っ気ない春菜の声に、すかさずみさとのフォローが入る。
「ご名答。出席者の中に名前があるぐらいだ。これは話ができるな、と思って。編集長の特権で横取りしました」
春菜は無視を決め込んでいる。
「緑南ミニバスの北崎春菜といったら、ここ何十年でも一番って評価で。何度も取材に行ったんだけど、一言も口を利いてくれない。中学、高校って上がっても全く相手にしてくれなくて」
「三つ子の魂なんとやら、だね」
ワークデスクには扉側から静、孝子、みさとの順で座って山寺と相対している。春菜と彰は三人の後ろに控えている形で、振り返った孝子が、にんまりとしながら、ちょいと春菜の膝頭をつついた。
「そう言うお姉さんは、どうだったんですか」
「私は、今がかわいく見えるぐらいのお嬢さまだった」
「最悪じゃん」
肩をすくめたみさとは、次の瞬間に孝子の襲撃を受けて、うわー、と悲鳴を上げている。
「……北崎さん。少し時間をつくってほしいんだけど。話ができると思って来たのは本当で、ぜひ、伝えたいことがあるんだ」
「用件でしたら、ここでどうぞ」
「内密な話なんだ」
「興味ないです」
「こちらも、手強い」
腕を組み、天井を見上げた山寺は、数秒間の沈思だ。やがて姿勢を戻した彼は、カラーズ一同を当分に見回した。
「では、皆さんにも聞いていただこうか。ただ、これは、絶対に外に出さないでもらいたい話なんだ」
「面倒な話でしたら、結構です」
元の令嬢が言う。同時にCOOが身を乗り出した。
「カラーズのCOOが承りました。この二人を通すと話が先に進みません」
「はい。……実は、ウェヌスの市井がアメリカに行く、って言ってましてね」
「市井さん……? そういえば、最近、試合に出てないですね?」
真っ先に反応したのは彰だ。教職を志し、その先に指導者の道を思い描く彼だけに、バスケットボールのあらゆる話題に関心を持って日々を暮らしている。一方、他の面々の反応が皆無なのは、ウェヌススプリームスと市井美鈴の名は、一月の全日本選手権で北崎春菜に踏みにじられた相手というだけのものでしかなかったためだ。
「体調不良って発表でしたけど、裏でそんな話が……。もうかなり進んでるんですか?」
「いや、それが、全く。だから、このままだとらちが明かずに、最悪、市井が路頭に迷うなんてことになるかもしれない」
「ええっ……!? どうして市井さんが!?」
「もめてるんだ。市井とウェヌスが。完全な平行線。広山の言うことにさえ耳を貸さないぐらい、完全に市井がのぼせ上がっていてね」
「松波先生に、中に入ったいただいては……?」
「もちろん、一番にウェヌスが連絡を入れたそうだけど。ああ見えて気の強い子だ、言い出したら聞かない、思うままにさせてあげてほしい、とだけおっしゃって。それきりなんだよ」
ここまでの会話は、全て彰と山寺の間で交わされている。この一件の大本となった春菜は、一言も発さず、聞いているのかいないのか、ぼんやりとしている。
「ねえ、北崎さん」
山寺の声に、ややいら立ちが乗ったのは、そんな春菜の態度故だったろうか。しかし、春菜の反応はない。夢を見ているような、恍惚とした表情で、まなざしは宙を舞っている。




