第一四三話 加速度(一〇)
静の通訳を受けて、こしゃくな、と麻弥が言えば、クック、と孝子は笑う。しばらくにらみ合っていた両者だったが、不意に麻弥が肩を落とした。
「……なんか、私って役に立ってないよな」
「大丈夫。私たち、絵は描けない」
「大丈夫です。私も役に立ってません」
「おはるはいろいろとバスケットのことを教えてくれてるでしょう。本当に役に立ってないのは私。今のところ、なんにもしてないよ」
頬づえの麻弥に、みさと、春菜と続いて、孝子が締める。
「よし。CEOの威厳を見せよう。おばさま、静ちゃんが話していたエディ・ミューア・ジュニアさんとのお話、カラーズがまとめても構いませんか?」
「お手並み拝見しましょう」
「はい。静ちゃん、エディ・ジュニアさんの電話番号教えて」
静に聞いた番号を自分のスマートフォンに登録し終えると、孝子はそのまま発信する。
「……今、向こうは夜の七時ぐらい? お夕食の時間だったかな」
「うん。だいたい、それぐらい」
「出なかったら、かけ直そう。……あ」
反応があった。
「ハロー?」
「こんばんは。エディ・ジュニアさんですか?」
孝子は英語に対して日本語で返した。
「はい。僕、エディです。どなた、でしたか?」
するとエディも日本語に改めてくる。
「静の姉の孝子といいます」
「シズカサンのお姉さん!」
エディの歓喜の声は、漏れ出して周囲にも聞こえたほどだ。
「……すごいな。普通の日本語じゃないか」
「エディの日本語は異常だよ」
エディの日本語に対する麻弥と静の感想である。
孝子はカラーズの存在をエディに説明し、レザネフォルでのエージェントとして契約したい旨を告げている。静の提案では、アドバイスをもらいたい、程度だったので、より強固な関係を望んだものといえた。一も二もなく、といった口調で快諾が返ってくる。契約に関する詳細は後日、と約束を取り付けて、会話はひとまず終了となった。
「ほとんど二つ返事だったけど、あの勢いなら、取りあえず日本の名前を出しておけば、なんでもオーケーしてくれそうだったね」
「それを見越して日本語で仕掛けたんでしょ?」
「さすがに。日本好きの心をくすぐるかな、ぐらいには思ってたけど」
「お姉ちゃん、大当たり。向こうだと、周りが日本語わからなくて、私も英語に慣れたくて日本語はしゃべらないでしょう? エディは日本語に飢えてるの」
「せっかく身近に日本人がいるのに、お預けなんですね」
「しかし、エディ・ジュニアさんとパイプができたのは、大きいですね」
言いながら、尋道が何やらノートパソコンに表示させてテーブルの中央に押し出してきた。
「『The Edward and Jennifer Muir Foundation』? ……さっき言ってた基金ってやつ?」
「はい。スポーツで青少年の心身を健康に導く、みたいな。エディ・シニアさんが野球をされていたので、少し前までは野球関係の話が多かったみたいですが、最近は、アーティさんのバスケットボールも目立ってきているようです」
「これが、どうした」
「ああ。静ちゃんを、ここに関わらせて、って頼むんだ」
「はあ……?」
「アメリカは、よくボランティア大国なんて呼ばれるじゃない? 仮にもプロが、なんにもやってない、って間違いなく悪目立ちするよ。その点、ジュニアさんならLBA選手の懐具合とかもご承知だろうし、むちゃを言われる心配もない」
「斎藤さんのおっしゃるとおりです」
さすがのカラーズの「両輪」である。以心伝心だが、麻弥も鈍いといえば鈍い。
「そうだ。GT11のこともジュニアさんに頼むかな。静ちゃん、まだ何も話は進めてないでしょう?」
「あ、はい」
以前に披露した、GT11の代理店だか販売店だかの交渉も、エディにやってもらいたい、というのだ。
「いざとなったら、ビデオチャットでこの美貌を見せつけて、ジュニアさんをめろめろにしてやるわ」
豊かな胸を張ってみせたみさとに、静が大きく噴き出した。
「何を笑っとる」
「え、いえ、違うんです。あの……、エディには斎藤さんが一〇人いても、多分、効果ないだろうな、って」
「それって……」
「アーティが言うには、小さくて丸いのがエディの好み、って」
はて、と思案顔に全員が陥る。みさと一〇人セットでも効果なし、というところでは異性愛の薄い人ということなのか、と思ったらば、小さくて丸い、とは……? よもや……? しんとなりかかったところに、キッチンの美幸が声を上げた。
「それは、伏見さんみたいな感じの人が好み、ってこと?」
伏見の名に、みさとは最初、ぴんとこなかったようだ。静に、私のボディーガード兼通訳の人、と言われ、さすがに今朝のことだけに思い出したらしく、ぽつりと一言。
「ああ……。それは、ちょっと、ジャンルが違うわ」




