第一三八話 加速度(五)
早速、カラーズ起業に向けての活動が本格化する。尋道から数枚のぺらが、それぞれに配布された。
「レンタルサーバーとメール共有ソフトです。この二つがあればカラーズさんを動かせます。いくつか候補を持ってきましたので、選びましょう」
「聞いてもさっぱりだし、郷本君に任せるよ」
「駄目です。お金の掛かることです。理解して、納得してください」
みっしりと理解させられた一同が納得して選んだのは、信頼性と他社での運用実績に優れ、ただし高価という組み合わせだった。
「では、申し込みます。どちらとも一五日間の試用期間がありますので、終了までには静さん、決まってるでしょう」
「郷さん、さ。備品は、どうする?」
脇に立って尋道の作業をのぞいていたみさとが声を上げた。
「私物は、当然、使わないほうがいいですね」
「パソコンは、人数分?」
「そんなには必要ないでしょう。全員が学生なので、勢ぞろいする機会も、そうそうないと思いますし。ノートパソコンが多くて二台と、印刷用の複合機ぐらいで。ああ、電話はどうされるんです?」
「置かないっす。申請に使う番号は私の番号で対応します。電話は極力、使わないつもり」
カラーズの全貌を把握しているのはみさとだけだ。ここは適任といえるだろう。
「さっきの郷さんの話とかぶるけど、全員が学生で受けられない時間のほうが圧倒的に長いし。基本的には『お断り』しかしないわけでしょ。そこをなんとか、とか粘られても返事は変わらないんだったら、お互いに無駄な時間を過ごすことはないよね」
「それがいいでしょうね」
「よし。ノートが二台と複合機だね。早速、パーチェシング・マネージャーに相談だ」
「……なんですか、それは」
呼称の披露が、昨日に続いてなされたのである。
翌日も早くからSO101に集合した一同は、あれやこれやの作業に忙しい。
「サイト、見てみてください」
アドレスとテスト公開のために設定したパスワードを告げられて、孝子たちはスマートフォンに入力した。
「おお。ハルちゃんのサイト、出た」
サイトのバックは、仮に据えた春菜のイラストのままだ。
「正村。静ちゃんのイラストはまだか」
「描いてるんだけど、ちょっと詰まって」
「なんで」
「いや。エンジェルスのユニフォームって、勝手に描いたら駄目だよな?」
「あ。それは確かに駄目だ。許諾が必要だね。……ひとまず、顔のアップでごまかすとか?」
「そうするか……」
麻弥は鉛筆とぺらを取り出し、構図の選定に入る。あらゆる角度のデッサンが、次々と描き上がっていく。
「そうだ。アート・ディレクター、これ見て」
「うん?」
みさとが取り出したのは手帳だ。描かれているのは、盾に傘をあしらった紋章だった。
「どう? カラーズの社章、考えてみたんだけど。名付けて『アンブレム』。静ちゃんの傘になり、盾になる!」
「いいね」
孝子の称賛は、デザインうんぬんより、その精神に感じ入ったためだ。
「これ、清書してよ」
「……これは、私よりも郷本に頼んだほうがいいかも。なんか、そういうソフトあるよな。ロゴとかをきれいに作れるやつ」
「ありますね。斎藤さん、このデザインに厳密な角度の指定とかは?」
「ないよ。そもそも汚いフリーハンドだし」
「わかりました」
みさとの手帳をスマートフォンで撮影した尋道は、やおら立ち上がる。
「今日はこれで失礼します。さっきのソフト、大学にあるんで。あっちで作業します」
尋道は舞浜大学の学生ではない。彼が通っているのは舞浜市立大学だ。
「私も戻るわ。ここだとデッサンしかできない」
二人がSO101を出たところで、今日も春菜の膝の上に座っていた孝子が空いた席に移った。
「後は吉報を待つだけですね」
静からの連絡が入り次第、登記申請をする手筈となっている。カラーズ合同会社の誕生だ。最終的に起業の決断をして、まだ二日しか経っていないが、そこは昨年末以来のみさとの周到な準備のたまものである。
「なんだか、あれよあれよで来ちゃったね」
孝子の実感だった。全ては義妹の依頼で始まった。動きだした「それ」は、斎藤みさととの再会で勢いを増した。義妹は、この上ない幸運に後押しされて、宿願への一歩を踏み出そうとしている。そして自分は、みさとに加え、正村麻弥、北崎春菜、郷本尋道らの助力を得て、つい一カ月前には想像だにしていなかった世界へと、こちらも一歩を踏み出そうとしている。義妹は、自分は、どこへ向かうのだろうか。行く先は、知らない。




