第一三二話 TRANCE-AM(九)
GT11での買い物の後、静は、少し疲れた、と言ってアーティからのカフェの誘いを辞退した。
ミューア邸に戻ると、巨大な紙袋と共に自室にこもっている。紙袋の中身は、あれも、これも、とアーティが突っ込んだGT11の商品だ。大量生産が利かず、従って高価格というGT11を、これだけ買えば、一体、いくらになることか。
まだ出会って正味一日もたっていない相手への待遇として、はっきりと異様である。そんなにもハイスクール上がりへシンパシーを感じるのか……? いや、そこを加味しても、やはりおかしい。これほど強烈に、好意をむき出しにしてくる人は、静の人生で初めてだった。困惑は、恐怖にも似た感情に育っていた。大きな嘆息だった。
「シズカ、調子はどう?」
ジェニーの声だ。
「あ、はい」
扉を開けると、グラスを手にしたジェニーが立っている。グラスの中身は茶色い。チョコレートドリンクだろうか。
「これはね、私の特製スムージーよ。エディを長持ちさせたドリンク。これを飲めばシズカも四六歳までプレーできるわ」
表情の選択に困るジョークではある。
「……あんまり甘くないんだね」
どろりとして、甘みの少ない液体を一口飲んで、静はつぶやいた。色から、頭の中にチョコレートの存在があったため、余計に差が感じるのだろう。
「これがいいのよ」
にこにことしながら部屋の中に入りつつ、ジェニーは後ろ手で扉を閉めている。
「あら。確かに、これはたくさん買ったわね」
ベッドのそばに置いていたGT11の紙袋を、ジェニーは持ち上げた。
「よっぽどのお気に入りね」
「…………」
「……ユカに聞いたわ。遠慮しないで、って言いたいところだけど、人にはそれぞれのフィーリングがあるものね」
「……うん」
「でも、やっぱり言うわ。遠慮しないで。付き合ってあげてちょうだい。あんなに楽しそうなあの子は久しぶりに見たわ」
ここでジェニーは、しーっと右手の人さし指を唇に当てた。黙ったまま静はうなずく。
「あの子、友達がいないの」
「え……?」
「私の知ってる限り、ジュニアハイスクールのときに一人いただけね。まあ、母親がこんなことを言ってはいけないんだけど、あの顔で、あの性格なら、私も友達にはなりたくないわ」
ぶっと噴き出し、静は思わず笑顔になっている。
「顔は、ジェニーとよく似てるじゃない」
「でも、私はあんなに強気じゃないわよ。エディに似たの。優しそうに見えてるかもしれないけど、昔は『Friendly Fire-Man』なんて呼ばれてたのよ」
「Fireman」は、俗に野球の救援投手を指すという。親しみやすい、救援投手? 打たれる、抑えられない、ということか。それとも、役に立つ?
「……いいえ。味方をFireするのよ。勝利にいちずでないと感じたら、もう、それはひどいものだったみたい。エディのせいでつぶれた、なんて言われている選手が何人もいるし」
「Friendly Fire」は「同士討ち」の意である。「Friendly Fire-Man」は、エディ・シニアの味方にも容赦のない言動を示したニックネームなのだ。チームの伝説的存在とあがめられながら、現場へといざなう声が全く掛からないのは、シニアのその苛烈な性格が敬遠されて、ともっぱらのうわさらしい。
「そういう人の血を受け継いだ子でしょう。普通の子とは仲よくできないのよ。あの子は誰にだって『強さへの意志』を求めるの。私はバスケットボールには詳しくないけど、アートがここまで入れ込むってことは、シズカも『強さへの意志』を持っているのね」
静のLBA挑戦は、北崎春菜に対抗するため、世界最高峰の舞台で自らを磨こうという考えによって、である。春菜への気持ちは、確かに「強さへの意志」だろう。しかし、ここまでで静が「それ」を見せたことがあったろうか。ない、はずだ。どうもジェニーの勘違いのように思えた。
「自分では、わからない」
こう言って首を横に振るしかない。
「いいえ。きっと、そうなのよ。だから、あの子は、シズカの気を引きたくて、いろいろやってるのよ。もう、お腹いっぱい?」
ジェニーが手を差し出した。グラスのスムージーは、まだ半分ぐらい残っている。
「あ。飲む」
結局、母の情念でかき口説かれて、静は、遠慮しない、と宣言することとなった。友達がいないという女の子なら、優しくしてあげるべきだ。そうとでも思う他はなかっただろう。




