第一三一話 TRANCE-AM(八)
アーティが次に乗り着けたのは、THIセンターから程近い場所にあるショッピングストリートだ。路肩にとめた車を降りて、黒い外壁のショップを見た伏見が、ふむ、とうなった。
「ああ。『GT11』、ここにあったのね」
完全な手作業で、高品質を売りにしているアパレルメーカー、とは伏見の説明だ。
「アーティが愛用してる、って一気に有名になったのよね」
「そうよ」
「今日は平日でいないけど、休日はティーンエージャーたちでいっぱいだって」
得意満面のアーティは、静に顔を寄せて、にやにやしている。
「すごい人気よ。女の子たちのアイコンね」
「まあね。さあ、行くわよ」
のしのしとアーティはGT11のショップに向かっていく。扉には「OPEN 11:00-18:00」とあり、現在は午前一〇時を回ったところだが、構わずに扉をたたいている。
「ちょっと、アーティ……」
「やあ、アート。いらっしゃい。さあ、入って」
店内から出てきた黒髪の男性が、三人を導き入れた。それほどの広さはない店内には、所狭しとアパレル、グッズが並べられている。漂う甘い匂いは、一角に香水の瓶が並んでいるためだ。
「シズカ、ユカ。オーナーのデレクよ」
デレク・アーヴィンは、細身で姿勢のよい男性だった。腕まくりした白いシャツに黒いスラックスという、シンプルな装いが決まっているのも、全てはその外見に助けられてのものだろう。口ひげに肩口までの髪にも、むさ苦しさはない。
「ハイ、デレク。シズカです」
「ユカよ」
「やあ。ようこそ、GT11へ。アート、友達かい?」
「デレク、聞いて。シズカは私のチームメートになるのよ」
伏見が一団をすっと抜けて、店内の奥に向かう。
「見せてもらうわね」
「ああ。ごゆっくり」
ふと、デレクの声が小さく潜められた。
「彼女は、エディ好みだな」
静は噴き出しそうになっている。
「……デレクは、エディを知ってるの?」
「ああ。幼なじみさ。シズカは日本のガールだね。やつに引っ張られて、日本にも一度だけ行ったことがあるよ。……ザゼン、だっけ?」
「うん。座禅」
「あれをやらされて、脚が折れそうになって、それ以来、行ってないけどね」
静はアーティと顔を見合わせて失笑だ。
「シズカ」
伏見の声だ。店の奥に行ってみると、例の香水の前に伏見は立っていた。
「シズカは、スポーツコロンは使ってる?」
「……スポーツコロンって、スポーツをしているときに使うの?」
「そうね。臭い防止に」
「使ったことない。使ってる人も、知り合いにはいない」
「これは『TRANCE-AM』っていって、アーティとGT11が組んでプロデュースしたブランドのグッズなの」
「へえ……」
主な顧客は、ティーンエージャーの女の子たちという。スポーツ少女たちの間であまりにも人気があり過ぎて、彼女たちの集まる場は、このコロンの匂いでむせるようだ、というジョークもあるとか。
「プレゼントするよ。使ってみて」
デレクが瓶を手に取ると、静と伏見に手渡してくる。
「ありがとう、デレク」
「サンキュー。ところで、シズカ。どうして『TRANCE-AM』って名前か、わかる?」
「さあ……」
「シズカも見たでしょう、アーティのダンクシュート。あれを、最初に見たジャーナリストが『TRANS-AM』って呼んだの。コートの端から端まで走って、ぶちかましたのよね、確か。それを大陸横断――『Trans American』とかけたのね」
「へえ……!」
「もう一つ。『TRANCE』には、夢中とか、恍惚って意味があるのよ」
正面に立ったアーティが、顔を静に近づけてきた。
「それは、わかるけど」
「『AM』に夢中なの」
そんなことを言われても、だ……。
「ああ!」
「AM」とは「A」rtie、「M」uirということらしい。大仰に驚いてみせながら、内心では、よくも恥じらいもなく、とあきれている静だった。
「シズカ、服をお土産に買っていったら? あの元気な妹さんに、とか。日本には、ほとんど入ってないはずよ。大量生産できなくて、ショップもここしかない、って聞いたわ。きっと妹さんも喜ぶと思う」
「あ。いいですね」
「好きなのを選んで。僕のおごりさ」
「デレク。私が払うわ。引っ込んでいて」
「こっちなんて、どう?」
さりげなく、伏見が静をアーティとデレクから引き離した。
「……何度か、セレブリティーのガードをしたことがあるんだけど」
低く、小さい、早口の日本語だ。
「気まぐれで振る舞ってくれて。そういうときに遠慮すると、ものすごく機嫌が悪くなる人が多い。素直におごられるのがいいかな。下心が見え見えの男には、ぴしゃりとやったほうがいいけど」
「そうそう、シズカ」
背後からアーティが静と伏見の肩に手を回した。
「シズカは、シューズはどこのを使ってるの? 日本製?」
「そうだけど……」
「契約してるの?」
「契約……?」
「シューズの契約よ」
渡米前に、そういった話も、いくつかあったらしい。らしい、というのは、静の耳に入った時点で、既に不成立となっていたのだ。学生である。無用。ぴしゃりと、母の美幸が断っている。
「ないよ」
「それは何よりだわ」
アーティとGT11のコラボレーションメニュー「TRANCE-AM」の一つに、シューズがある。普段使いからスポーツ用まで、幅広くラインアップされる中には、もちろんバスケットボール用のシューズも存在している。つまり、使え、というのだ。そのために静をGT11に連れてきたという。
返答に窮する静だったが、セレクションも近い、それまでは慣れたシューズで続けるべき、という伏見の仲裁で話はひとまず収まった。
それにしても、どうしてここまであの人は自分に入れ込んでくるのか……。ありがたいを通り越して、薄ら寒い思いを静は覚えつつあった。




