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未知標  作者: 一族
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第一二八話 TRANCE-AM(五)

 スマートフォンの画面には、世界時計が表示されている。レザネフォルの午前六時一五分は、日本の午後一一時一五分だ。

 枕元のリュックサックにスマートフォンを戻し、静は薄いベッドからはい出した。一〇帖ほどの板の間には、ベッドのみだ。ベッドは、空気注入式の簡易なものである。

「ちょっと待ってて。買ってくる」

 このせりふとともに、家を飛び出していったエディが買ってきたのだ。昨夜、ミューア邸での歓談を経て、夜も更けたところで、いとまを告げた二人に、泊まっていきなよ、と言い出したのはエディだった。

 夕食を共に、とは言った。しかし、泊めてやろう、とまではアーティは言っていない。そのつもりも、もちろんなかっただろう。ミューア夫妻の表情も、娘に類似したものだ。何しろ、こちらは初対面の異邦人なのだ。自分だって、そんな申し出はしない。当然、静は断ったのだが、エディの押しは強い。

「シニア……?」

 遠慮と困惑を隠さず、静はシニアに助け船を求めていた。

「二階に部屋が空いているけど、ベッドがないな」

 一家の長は言外に、落ち着け、と言ったつもりだったのだろう。一方のエディは、ベッドさえなんとかなるなら、と解釈したようだ。先の言葉を残していったエディに、シニアは口元を押さえて苦笑いするしかなかったようだ。

「LASUで、日本の留学生と仲よくなって、おかしくなったんだよ」

「エディ。名前、なんていったかしら」

「覚えてないな。ユカみたいに、プリティーなガールだったけど」

「シニア。私、三三歳よ」

 欧米人は東洋人の加齢の程度を見分けるのが不得手という。シニア、ジェニー、アーティが、そろって目を丸くした。

「実は、私も二八歳で……」

「なんだって!? ……なんて、引っ掛からないよ、シズカ。アートが君に会いに行ったのは、高校を出て、すぐにLBAにチャレンジする、って知ったからさ」

 にやりと笑って右手を掲げたシニアに、静も呼応して手のひらを打ち鳴らし合う。

「よし。二階の部屋を軽く掃除しよう。普段は使ってないんだ。少しほこりっぽいかもしれない」

 ミューア邸は、ざっくりと表現して、斜辺が左上に向いた直角二等辺三角形に似た形状をしている。一階の、上の鋭角をミューア夫妻の部屋が占め、左下の鋭角にはエディの部屋だ。中ほどにはキッチン、ダイニング、ファミリーリビング、ゲストリビング、ライブラリーが配されている。二階も、だいたい同じ構造だ。上の鋭角にアーティが陣取り、下の鋭角に二部屋が固まっている。大きく吹き抜けが設定されているので、廊下部分は控えめである。この二階の、下の鋭角の二部屋が空き部屋で、ここを静と伏見に提供してくれるというのだ。

 五人が手分けして掃除しているところに、エディが戻ってきた。

「随分、早かったな。ジュニア、飛ばしたな」

 笑うエディは、両脇に箱を抱えている。パッケージに写った薄い簡易ベッドを見て、失望しなかった、とはさすがに言いかねる。静たちが宿泊しているのは、美幸の厳選した高級ホテルだ。帰れば分厚いベッドで眠ることができるというのに……。まあ、厚意は厚意である。

 部屋の扉を開け、首だけを出して、隣の伏見の部屋をうかがった。物音はなく、まだ寝ているようだ。部屋に戻り、カーテンを開けると、外にバルコニーがあることに気付いた。日の出の時刻には少し早いようだが、外は十分に明るい。そっと出た。眼下は一面の芝生だ。広いバルコニーを、うろうろと動いてみる。バルコニーは静の部屋と隣り合う伏見の部屋の外も通っているが、ここは抜き足差し足忍び足で抜けた。途中にらせん階段があった。下りてみようか、と思ったが、階下に明かりが見えたので、半分ほど下りたところで引き返す。

 バルコニーの端まで行ったところで、静は不思議なものを見た。空の色を見るに、ミューア邸の敷地の南側になるだろう。大きな、白い、方形の建物だ。窓はない。昨夜は、夜の闇に紛れて気付かなかったのだ。

 部屋に帰って、寝間着代わりのジャージーから着替えると、静は階下に向かった。リビングにいたのはジェニーだった。ソファに座り、半眼で頭をぐらぐらとさせている。

「おはよう、ジェニー」

「……おはよう、シズカ。よく眠れた?」

「うん。……ジェニーは、眠いの?」

「……眠い。すごく。でも、ベッドだと、いつまでも起きられないの」

「そうなんだ……。あ、ジェニー」

「……何?」

「庭の建物は、何? 白くて、四角いの」

「ああ。あれは、エディがアートのために建てたジムよ」

「ジム!?」

「そう。見てみる? シズカ、私を起こして」

 そう言って両手を前に出したジェニーを、静は引き起こした。

「ありがとう。よし、起きたわ。こっちよ」

 ぱっちりと目を開けたジェニーは、静を昨夜に通ったガレージからの通路に導いた。通路の途中に扉があり、開けると、あの方形の建物が見えた。

 ジェニーに続いて静はジムに入った。小規模なロビーの向こうは、フルサイズのバスケットコートだ。……そもそも少女アーティがねだったのは、ハーフサイズの、屋外の、コートだったという。しかし、完成したのはエクササイズルームまで備えた、フルサイズのコートのジムである。

 エディは甘いのよ。そう言って、ジェニーは静に向かって首をすくめてみせたのだった。

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