第一二七話 TRANCE-AM(四)
「ダッド。マム。帰ったわよ。友達を連れてきたわ。二人」
ガレージから直結の通路を抜け、導かれたのは高い天井のリビングだった。ゆったりとソファにくつろいでいた男女が立ち上がって、三人を迎えた。
「やあ。よく来たね」
「いらっしゃい」
「私のダッドとマムよ」
共に金髪の、大兵の男性と細身の女性とが、にこやかにうなずいた。
アーティの父親であるエディ・ミューア・シニアは、かつてレザネフォルのベースボールチームで活躍したプロフェッショナルだ。一〇年前、四六歳での引退までレザネフォル一筋に過ごした彼は、この街の名士の一人に数えられている。
アーティの母親であるジェニファー・ミューアは、スポーツ栄養学の大家として知られる実業家だ。夫の力を四六歳まで保たせたメンテナンス術という、他にはない説得力で存在感を示している、とか。
「ダッド、マム。こっちがシズカで、こっちがユカ」
「シズカ、ユカ。シニアと呼んでくれ」
「ハイ。ジェニーよ」
シニア、ジェニーの順で静は握手を交わす。シニアの一九〇は超えているであろう長身には、競技を離れて一〇年たったとは思えないアスリートの面影が、今も宿っている。ジェニーは、アーティの姉、というには少し苦しいが、若々しい容姿の女性だった。シニアの一歳下と後に聞いて、静は大いに驚いたものだ。背丈はそれほどでもなく、この場にいないエディ・ジュニアを含めたミューアファミリーでは、唯一、静が見上げなくていい人であった。
「エディは、まだ帰ってないの?」
「どうやら行き違いになったみたいだな。戻ってすぐに、LASUに行ったよ。日本のガールに会いたい、って言ってね」
「ジュニアは日本のことが大好きなの。何度も日本に行ってるのよ」
「日本語も話せるみたいだな。得意らしい」
「自分で言ってるだけかもよ。エディがしゃべってる日本語が、本当に日本語なのかは、私たちにはわからないんだし」
その時、扉の開閉音がした。三人の通ってきた通路からだ。
「きっと、エディだわ」
「本当に行き違いみたいだな」
三人がミューア邸に入って、それほどの時間はたっていない。まさしく、わずかな差だったようだ。
「エディ! お帰り!」
「ヘイ、アート! 日本のガールは、どこだい? シェリルに聞いたよ。連れてきてるんだろう……? やあ! こんばんは! 僕はエディ・ミューア・ジュニアです。ようこそ、レザネフォルへ」
「得意」は自称ではない、と静は知った。外国人の日本語としては満点に近い発音で、両手を広げて寄ってきたのは、長身、金髪の、さっそうとした青年だった。日本のガール、などと騒いでいるあたりで、身構えていた静に、これは予想外であった。もっとも、ミューアファミリーの他の構成員を見渡せば、一目でわかるような怪異の人が出てくるはずもなかったのだが。
「こんばんは、エディさん。静。神宮寺静です」
おそらく、日本語での返事がいいのだろう、と静は日本語で返している。果たして、先方は満面の笑みで手を差し出してくる。
「シズカサンね。あなたは?」
「ユカよ」
「ユカサンね。二人は日本のどこの人?」
「私は、ここ。レザネフォルに住んでます。シズカは、舞浜。舞浜、わかる?」
「マイハマ。わかるよ。トーキョーのそばだね。ただ、行ったことはないんだ。僕は、日本の古い建物が好きなんだよ。ナラ、キョート、みたいな。マイハマには、ないよね?」
「はい。舞浜には古い建物は、ほとんどないと思います」
「うん。でも、シズカサンの住んでいるところなら、今度、行ってみようか。どんなところだろう?」
「エディ。いいかげんにして。何を話してるのかわからないわ」
日本のガールとの日本語の会話を堪能していたエディに、アーティが文句だ。静とエディとの間に割り込み、腕組みで彼女の兄をねめ付ける。並んだ兄と妹は、少しだけ妹のほうが背が高かった。
さらに、伏見からも、静の英語習得のために、できれば英語でのコミュニケーションをお願いしたい、との要請が飛んだ。なんとも無念そうに天井を見上げるエディ・ジュニア氏の様子に、笑いが起こる。最後に、肩をすくめたエディ・ジュニア氏も合流して、ミューア邸での和やかな夜の始まりであった。




