第一一話 フェスティバル・プレリュード(一一)
出会いの喧噪が終わると、三人は岡宮家に上がって、コーヒーで一服した。孝子が倫世に見繕ってもらっていた、滞在の間に必要となるこまごまとしたものの一つだ。茶菓子は多めに持ち込んでいた土産の菓子折を一つ開けた。
心配された初代と二代目の親友対決は、最初こそ倫世の勢いに飲まれていた麻弥だったが、今は打ち解けて、軽口をたたき合っている。……いや、倫世が手を緩めたのだ。孝子と互角にやり合う剛の者を麻弥が御し得るわけもなかった。
「さて」
コーヒーも茶菓子も切れたころだ。おもむろに孝子が立ち上がった。居間の隅に積み上げていた土産から、いくつかを取り上げる。
「たむりん。麻弥ちゃんと遊んであげてて」
「お前は、どこ行く?」
「墓」
「ほう」
「私たちも行くよ」
「来なくていいよ」
「なんで」
また、だ。孝子の顔に差す影を見つけてしまった。
「……察したまえよ。去年の一二月で、一〇年。お寺さんでは、特になんでもないけど、私としては浸りたいんだよ。あと、何カ所か回るところもあるし」
「何カ所か、って……?」
「麻弥ちゃん。麻弥ちゃんなら、くどくど言わない、って思って、来てもらったんだよ?」
ぐっと麻弥は詰まった。代わって応じたのは倫世だ。
「帰るまでには、もう一回ぐらいお参りするでしょ?」
「毎日するよ」
二泊三日予定の福岡行である。
「じゃあ、明日以降に付き合う」
「お昼には帰る」
「行ってこい」
孝子はさっさと外に行ってしまった。車が動きだした。追いすがる暇もなかった。ここからの麻弥は上の空だ。倫世に何を言われても生返事で、孝子のことを思い浮かべている。何カ所かを回る、と言っていた。三カ所と仮定すれば、一カ所に三〇分として、一時間半もあれば帰ってくる計算になる。午前一〇時半の一時間半後は正午で、お昼には帰る、と言い残した孝子の言にもぴったりだ。
「田村」
孝子が出掛けて二時間がたった。
「何ー?」
「法光寺、って真っすぐでいいんだよな?」
「ああ。行きに、見た?」
うつぶせに寝転がる倫世は、自分のスマートフォンに目を落として、麻弥には一瞥もくれない。
「うん。あいつのお母さんに、ごあいさつしたいな、って思って」
「ぼちぼち帰ってくるよ」
「いや。ごあいさつだし。別に、孝子はいても、いなくても」
「入れ違いになったら、あいつ、怒るよ? ちょっと遅れてるぐらい、いいじゃん。浸りたい、って言ってたでしょ」
「わかってる」
と言いつつ、麻弥は岡宮家を出た。道ばたまで歩みを進めて、左右を見る。タイミングよく孝子の運転する車が、などという偶然は、もちろん起こらず、それどころか、人っ子一人いない。大きなため息の後、麻弥は一歩を踏み出した。朝方に来た方向だ。気を回している自覚はあったが、もう、こらえきれなくなっていた。
初めて訪れた土地の風を背に受け、麻弥は早足で歩いた。さすがに舞浜から一〇〇〇キロ近く南西に移動すれば、はっきりと気温の違いも体感できる。全身がじっとり汗ばみ、息も切れてきた。一息つこう、と立ち止まった時だ。
「おらー! やっぱり、おかみと仲よくなるようなやつだな! 人の話を聞きゃあしない!」
隣に青銅色の軽トラックがとまった。運転席の倫世がほえている。
「ああ……。いや……。孝子、戻った?」
「戻ってないよ。乗れ。お寺さんには連れていくけど、いなかったら帰るよ」
「うん」
「ほれ。寒くなかったの?」
助手席に座った麻弥に、倫世はダウンジャケットを突き付けてきた。受け取った麻弥は膝の上で丸めた。
「いや。むしろ、暑い」
「元気だの」
倫世がシフトレバーを操作した。軽トラックが動きだす。
「あ。これ、マニュアルか。田村もマニュアル、運転できるんだな」
ビニールテープで補修されたゴム製のシフトブーツを眺めながら麻弥は言った。
「農家の娘ぞ。強制だわ。継がないけどね」
荒いさばきで軽トラックは加速していく。
「継がないんだ?」
「継がない。予定では、結婚して、億万長者になる予定」
「予定、あるの?」
「あるよ。……おっし、着いたぞ。と、正村」
指摘を受ける必要もない。法光寺門前の駐車場に、ぽつんととめられた白いワゴンは、二人が借りた車だ。
「やっぱり、そうだったか。最後に回ってきたかな」
「かも」
倫世は軽トラックを白いワゴンの隣にとめた。
「よし。入ろう」
降り立った倫世は宣言した。
「いいのかな。浸ってる最中だったら……」
「今更、何を言ってるんだ。だったら、素直に待ってればよかったんだよ。あいつが切れたら、腹減った、いつまで待たせる、って言えばいい」
言い放つと倫世はのしのし山門に向かって歩いていく。数瞬のちゅうちょを経て、麻弥は先行する倫世に続いた。