第一一八話 カラーズ(五)
「みさとさんのお帰りよー」
ドアホンの液晶モニターから、明るい大声だ。
「うるさい。お帰り」
麻弥が応対して、LDKにみさとを引っ張ってくる。
「お帰りなさい」
ダイニングテーブルでテキストとにらめっこをしていた孝子が、顔を上げて迎えた。
「ほい。ただいま。これ、お土産。いいころ合いだし、おやつにしようよ」
コンビニの袋に入ったシュークリームがダイニングテーブルに置かれた。時刻は午後三時を回ったあたりである。
「しばらく帰ってこないと思ってたんだけどな」
長い長い大学生の春季休暇が始まった一月下旬のことである。結局、考査期間中も海の見える丘での連泊を完遂した斎藤みさとは、一日だけの帰省を経て、再び孝子たちの前に姿を現したのだった。
「何を言う。いよいよ本番でしょ。ところで、ハルちゃんは?」
「部活だ」
「じゃあ、シュークリームが一個余る。じゃんけん」
「冷蔵庫に入れておけばいいだろうが」
「それもそうか。おーい、糖分補充しろー」
みさとが孝子の手のテキストをつつく。このとき、孝子が読んでいたのは民法の基本書だ。
「将来的には、あんたがカラーズの企業内弁護士になって、私が企業内税理士になる、ってのが理想だね。お前もなんかやれ」
「なんか、って、なんだよ」
「欲しいのは、インターネット関連かな」
現代の世情、および、カラーズの志向と規模から、インターネットを活動の主軸とするのは確定している。基幹となる公式サイトに、有名どころのSNSの複数を組み合わせて展開する、というのがみさと案だった。この部分に詳しくなれ、というのだ。
「お前たちと大差ないよ」
「わかってるよ。だから、やれ、って言ってるの」
「ああ、まあ……」
口の中でもごもごとやりながら、麻弥はそのままキッチンに回って、コーヒーを淹れに掛かる。そんな麻弥を、横目でしらっと見やっていたみさとだったが、表情を改めると孝子に正対した。
「あんたって、謎の人脈あるのね」
「謎……?」
「今日、ここに来る前に大学に行って、産学連携センターってとこに顔を出してきたんだけどさ。前に話したベンチャー支援をやってる部署ね」
「……斯波さん?」
斯波遼太郎の名刺に産学連携センターと記されていたことを、孝子はとっさに思い出していた。何かあれば融通する、と斯波は言っていた。覚えていたのだろうか。もう半年以上前の話だが。
「そう。斯波さんって人。静ちゃんのマネジメント会社って話をしたら、じゃあ、代表者のご友人っていうのは孝ちゃんのこと? って身を乗り出してきて」
言いながら自分も身を乗り出して、みさとは続ける。
「幸先、かなりいいよ。オフィススペースの仮予約までやってもらっちゃった」
「え……?」
それは、さすがに拙速というものではないか……。
「あくまで仮よ。まあ、このまま本契約までいっちゃうけどね」
眉間にしわの孝子を尻目に、みさとは澄ました顔だ。
「ところで、斯波さんって人、あんたとどんな関係?」
「ああ。その人だったら、孝子とすごく仲がいい。ドライブに連れていってもらったこともあるよな」
「え……? もしかして、ちょっと、いい仲、とか……?」
「違う。孝子、学協でバイトしてるんだけど、そこの店長さんが孝子のこと、お気に入りなの。で、斯波って人のお目当ては、その店長さん。孝子はおまけ」
孝子が否定する前に、麻弥の端的な説明である。
「へえ……」
しばし、思案顔だったみさとが、やがて、ぴしゃりと両手を打ち合わせた。
「わかった。クラブハウス棟のショップの人だ」
「よくわかったね」
「わかるよ。あの人だけ異様にきれいよね。他のショップなんて、ジャガイモみたいなおばちゃんしかいないのに」
孝子は肩をすくめるのみにとどめて、節度とするのだった。




