第一一五話 カラーズ(二)
冬季休暇の最後の一日となったこの日、孝子、麻弥、春菜、そして、みさとは喫茶「まひかぜ」を訪ねている。剣崎龍雅とのミーティングのためだ。きっかけは、もちろん、麻弥である。静のマネジメント、この「マネジメント」という部分で、アドバイスをもらってはどうか、と提案してきたのだ。
「静さんをだしにしなくても、正村さんならデートに誘ったって断られませんよ」
春菜に言われて、ゆでだこのようになっている麻弥を視界の端に置きながら、孝子は、意外に悪くない提案、と考えている。音楽のプロフェッショナルとして、マネジメントを受けているであろう剣崎の話には、参考にできる部分があるはずだ。静のマネジメント組織は、誠につれないものになる予定だが、システムについての知識は、あっていい、という判断だった。
ゴーサインを出すと、喜々としてゆでだこが動いて、そして、今日である。昼前に到着すると、剣崎が「まひかぜ」の前で待ち構えていた。
「やあ。久しぶり」
「ご無沙汰してます」
実際は『指極星』にまつわる一連のやりとりで、それほどご無沙汰というわけでもない。社交辞令というものだ。
「あなたが、斎藤さん?」
「はい。斎藤みさとといいます」
初対面同士のあいさつが済むと、一行は「まひかぜ」の中に入った。
岩城が各人にコーヒーを供する横では、みさとが持参のトートバッグからファイルを出して、剣崎、岩城、孝子、麻弥、春菜の前にぺらを置いて回っている。ぺらは、二回のプレゼンを経て、最新版へと更新された会社の完成予定図である。ついにみさとは会社の名称を、全面に押し出し始めたのだ。
「これは、僕が見ても大丈夫なもの?」
岩城がカウンターに置かれたぺらを指して言う。
「はい。どうぞ」
にこやかにみさとは答えた。狭い店のカウンターでやろうという会合だ。初老の店主は、聞かれても差し支えない人物、と判断したのだろう。
ぺらについてのみさとの補足を聞き終わり、しきりにうなずいていた剣崎が、やがて口を開いた。
「マネジメントについては、うちにも専門の部署があるんで、担当者とセッティングする、ということにさせて。いいかげんなことは言いたくないしね」
早速、みさとがセッティングの依頼を出すと、既に話は通してあるので、いつでも、と剣崎は応じた。すると、みさとは、またもやの早速で、取り次ぎを依頼する。
みさとと剣崎に紹介された先方との通話が始まった。手持ち無沙汰となった一同の中で動いたのは剣崎だ。孝子の隣に座る。
「ケイティー」
「はい」
「ケイティーたちの会社に、岡宮鏡子を所属させる、というのは、どうだろう?」
「え……?」
口走ると同時に、孝子は隣に座る麻弥に鋭い視線を浴びせる。今回、剣崎の名を出してきたのは、そういうことか、という「殺人光線」だ。
「……ああ。正村さんには何も頼んでないよ。前に言われたじゃない。用があるなら、直接、言ってこい、って」
麻弥も、振り子のようにうなずいている。
「正村さんに話を聞いて、俺の考えたこと」
岡宮鏡子の名で発表した『逆上がりのできた日』の存在が、いくばくかの収入を会社にもたらす、という指摘だった。
「要するに、印税だね」
「……できますか?」
「できる」
岡宮鏡子と『逆上がりのできた日』に関しては、完全なフリー、と剣崎は明言した。
「相良先生に、徹底的に持っていかれてるんだ。さすが、ママさんの顧問弁護士だ」
剣崎は笑い、すぐに表情を改めた。
「詳しくはママさんと相良先生に伺ってみて」
「はい」
言ったものの、今回の件を美幸に相談するつもりはないので、機会としては会社の存在が確たるものとなった以降、と考える孝子だった。
そして、電話を終えたみさとだ。
「私、今から東京に行ってくるよ。あんたたち、どうする?」
「は?」
「剣崎さんの担当マネージャーの土方さんって方とアポ取った」
「呼び付ければよかったのに」
「さすがに。ご教示を賜る立場なので、それは。で、どうする? 話聞くだけだし、私だけでも大丈夫だけど」
「じゃあ、お願いしようかな。私は、もう少し剣崎さんに伺いたいことがある」
「ほい。それと、ケイティーとか岡宮鏡子とか、って誰?」
今回のミーティングで、みさとには剣崎を、知り合いの紹介で、古い電子オルガンを修理してもらった縁、とだけ話している。それ以外は、関係ないこと、と語っていなかったのだ。
「ケイティーは、私のニックネーム。岡宮鏡子は、歌手、なのかな。会社の所属にしたら、印税とかが入るよ、って話を」
仕方なかった。取り繕うのは不自然だ。
「知り合い?」
ここで、孝子はじっとみさとを見る。
「……何よ」
さらに、じっと見る。
「……あんたか!?」
言うなり、みさとはスマートフォンを取り出して操作を始めた。
「映画『昨日達』の、主題歌?」
「そう」
やがて、みさとはイヤホンを装着すると、そのまま数分だ。
「うわぁ、本当だ。意識して聴いたら、確かにこの子の声だわ」
どうやらみさとは『逆上がりのできた日』をダウンロードして聴いていたらしい。
「お買い上げありがとう。それとも、ただの?」
「買った、買った。へええぇぇ。そっか、もしかしたらあんたも、大きなことを起こすかもしれないんだ」
「私は違う。もう二度とやらない」
「そうなの? まあ、それは、先々になってみないとわからないか。しかし、どうするかな」
険しい目つきで、みさとは口をとがらせる。
「こっちの話も興味あるんだけど」
「大した話じゃないよ」
「じゃあ、私が戻るまでしないで」
「は……?」
結局、にらみ合いを見かねた剣崎が、土方を舞浜に呼び出すことで落着となったのだった。




