第一〇二話 指極星(一八)
年の瀬も、いよいよ押し詰まったころである。海の見える丘に来客だった。麻弥の学友の斎藤みさとだ。四月には孝子と春菜のため、入学祝いの席を設けたみさとだが、それ以降の交流は盛んではなかった。そもそも孝子と自分との外観の差を比べたくて、みさとが主導した祝宴だ。終わってしまえば、みさとの孝子への関心は消え失せている。孝子はもとよりみさとに関心がない。学年、学部が違えば、広い構内で顔を突き合わせる機会もほとんどなく、結果、たまたま顔を合わせれば会釈を交わす、程度の顔見知りに落ち着くのは、当然の帰結といえた。
その顔見知りが海の見える丘に姿を見せたのは、みさとの自薦である。大学が冬季休暇に入る直前のこと。朝一で顔を合わせるなり、みさとが麻弥にずいと迫ってきて、こうだった。
「あんたの友達の妹、アメリカに行くんだってね」
「ああ」
根掘り葉掘りに事情を知りたがるみさとに対して、人物への一定の評価もあり、麻弥はだいたいのことをべらべらとやってしまった。その中でも、特にみさとが興味を示したのは、孝子がマネージャーを務める、という部分だった。
「面白そうね。ちょっと話を聞かせてよ」
「ん……?」
「どういう形態でやるのかは知らないけど、プロのマネジメントなんて、商学部の学生としては興味深いじゃない? それに、あんたがいるし、必要ないとは思うけど、もしかしたらなんかアドバイスできることもあるかもしれないし。例えば、税法的な話とか」
「まあ、そうだな……」
学生としての質では、はるかに劣っている自覚があるので、麻弥もここはうなずくしかない。……実に、これは巧妙な誘導だったのだが、好奇心を満面にたたえて、みさとは麻弥に感づかせないのだった。
何しろ海のものとも山のものともつかない分野の話である。みさとの申し出を伝え聞いた孝子は、これを了承した。そして双方の予定を擦り合わせた結果が、今日である。
ああ、あの華やかな方ですか。みさとの名を出したときに、春菜が発した言葉だ。斎藤みさとを構成する二大成分は、豊かな表情と朗らかな人柄と、である。この二大成分を、孝子や麻弥に匹敵する容貌に乗せるわけだ。華やか以外の何物でもないだろう。一方、匹敵の二人については、共に陰性寄りで、華やかさなど薬にしたくもない。
「どうもー。今日はお招きありがとう」
昼下がりに現れたみさとは、出迎えた三人娘に大きな声で、にこにことあいさつを放つ。デニムパンツにセーター、ダウンジャケットといった組み合わせは、孝子や麻弥のそれと変わりない。それでも、はっと屋内が明るくなった気配は、みさとの陽性のためだろう。
「これ、おみやね」
麻弥に菓子折を渡したみさとに、孝子が手を出す。
「斎藤さん。上着、預かります」
「ああ。ありがと」
LDKに入り、ダイニングテーブルに着くと、早速、みさとは持参のトートバッグからタブレットを取り出して準備万端である。
「お前、何を始めるつもりだ……?」
キッチンで菓子折の中身を皿に盛っていた麻弥が、うさんくさげに言う。
「私なりにLBAのこと調べてみた。それに沿ってマネジメント業務の在り方をプレゼンする」
「……どんな?」
「まず、聞いた限りでは、お金が入ってくるビジョンがまるでないね。形態は個人事業主だ。でも、いずれ黒字化させて、その数字を大きくしていくことを考えたら法人で、とも考えてる」
「黒字化は、ずっとしないと思うけど」
麻弥の隣でコーヒーを淹れていた孝子が、ぽつり、だ。
「それだと、いずれうまく回らなくなるよ」
「私はそれで構わない」
「あんたの意向は関係なく、うまく回らなくなる」
……内心では大いにびびっていたのだが、みさとは孝子の眼光を尻目に続ける。
「なんでもそうだけど、長続きさせるには絶対にWin-Winじゃないといけないでしょ。妹さんには、プロの舞台でのプレーっていう精神的な充足と年俸なんかでの金銭的な充足がある。あんたには、妹さんのプレーを助けるっていう精神的な充足はあるけど、後者がない」
「それでいい」
「それじゃ駄目なんだって。姉ちゃんにただ働きさせてる、っていう負い目が妹さんにのし掛かってくるんだって」
返答のない孝子に、みさとは畳み掛ける。
「それでも大学にいる間はまだいいけど、あんたが卒業した後は自分の仕事との両立で、もっと大変になって、比例して妹さんのあんたへの負い目は、さらに悪化するよ。専従のマネージャーになってもらって手数料を払う、って形が、もしかしたら妹さん的には一番納得がいくかもしれないけど、それだとあんたが嫌だろうし。そもそもLBAの年俸がそんなに高くない。……ハルちゃんや」
「はい」
みさとの前に座っていた春菜は、ここまで黙然と年長者たちのやりとりを見守っていたのだ。突然の指名に、まぶしそうにみさとを見る。
「ハルちゃんは、LBAは詳しい?」
「それなりに、はい」
「シェリル・クラウスは、知ってるよね?」
「もちろんです」
みさとは再びキッチンに視線を向けた。硬化した表情の孝子と困惑まみれの麻弥が、立ち尽くしている。
「シェリル・クラウスって、アメリカ女子バスケ界の伝説みたいな選手なんだけど、その人の年俸が二〇〇〇万程度らしいのよ」
「そんなものでしょう」
傍らから春菜がつぶやく。
「シェリル・クラウスも、年俸だけが収入の全てじゃないでしょうし、一概には言えないとは思うけど。でも、LBAのみだと、十数年かけて頂点を極めてもなお、それぐらいにしかならないのは、間違いないと思う。いわんや、ルーキーの年俸をや、だ。最初のうちは手数料とか払ってる場合じゃない可能性が高いね」
ここでみさとは、しかつめらしくうなずきながら続ける。
「だから、妹さんが稼いだお金は、全て妹さんに、って形で、あんたはあんたで別の口を持つ、ってのが理想だと思うんだ」