第一〇一話 指極星(一七)
「大いなる目標を立て、その達成のため、全てに優先して修練を積んでいく存在。それを、アスリートと呼びたい」
「アスリートがアスリートであるため、万難を排して、これを支援する存在。それを、マネージャーと呼びたい」
孝子が明かしたアスリート像とマネージャー像である。この路線に沿って、静はバスケットボールにまい進せよ。自分はマネージャーとして、全力をもって補佐するであろう。はなからの同調者だった麻弥と春菜だけでなく、静も大いにうなずいている。北崎春菜に打ち勝つための修行の場として米国を選んだ静の真情に、孝子の指針はかなっていた。……このあたりまでは、よかったのだ。具体的な行動について孝子が語り始める段になると雲行きが怪しくなりだした。
「取材は受けないよ。静ちゃんをバスケットボールだけに専念させてあげる。安心して打倒おはるを目指して」
「プロになったら、そういうのは無理じゃないかな……」
名を売る、という考えを捨て去れば露出は不要ではないか。孝子の返答に静は頭を抱えた。これは、母親以上に短絡的な気配があった。
「オフィシャルな会見とかもあるだろうし、全ては難しいにしても、できるだけ精選して、っていうのは、いいだろうな。ストイックな感じもする」
穏当な方向へと麻弥が軌道の修正に掛かる。
「じゃあ、LBAとエンジェルスのオフィシャルだけは、仕方ない。対応するよ。それ以外は、いらないね」
しかし、やや不発である。か細い声で静も抵抗する。
「まだ受かってもないのに、さすがに気が早いよ……」
「早くない。全然、早くない。サポートしたい、って話があったんでしょう。神宮寺静に脈あり、って見られてる証拠だよ」
不意に、身を乗り出した孝子が、テーブル越しに静の両の頬を手のひらで包む。
「静ちゃんは、かわいい」
「え……?」
身近に孝子、そして那美がいるので、自意識は皆無である。しかし、高校バスケットボール界では、後輩の高遠祥子、ナジョガクの池田佳世らと並び、美少女として名が挙がる静だ。
「活躍したら、美形過ぎるバスケ選手とか、そんなふうに呼ばれるようになる。そして、うようよと寄ってくる」
いわゆる、イエロージャーナリズム、というやつだった。言われて、静は初めて思い至ったのだが、海の見える丘にはテレビが置かれていない。孝子がイエロージャーナリズムを嫌うがためであった。……別に、テレビすなわちイエロージャーナリズムでもなかろうに。ひとくくりに断罪しているのは短兵急な義姉らしい。
さて。孝子のイエロージャーナリズム憎しの原因は、なんと、美幸にあった。これは、美幸がイエロージャーナリズムの被害に遭って、などという話ではなかった。神宮寺家では、家にいることの多い美幸が、日がな一日テレビざんまいだ。そして、付き合いのいい孝子は、在宅時に美幸のお相手を務めることが多かった。これだ。
孝子の感覚では悪趣味となる番組を美幸は好んで見ていた。公益性のかけらもなく、ひたすら下世話だ。なぜ、聡明なおばさまが、であった。例えば、多く扱われていた男女にまつわる話題。これなど、誰が恋愛し、その結果として誰が結婚し、また、その後に誰が不倫し、最終的に誰が離婚しようと、どうだっていいではないか。人ごとを飯の種にする、総じて信頼できない人の集まり。これには取材に当たる者だけでなく、さかしげに口を挟む周囲も含まれている。需要がなければ、供給の必要もないのだ。連中を、静に近づかせない。関わらせない。
口から火を噴かんばかりの孝子を、隣の麻弥が腕を伸ばして抱え込んだ。抱えながら、静に向けて小さく目配せだ。静寄りになったことの表明だった。
「まさかのおばさん批判に、ちょっと空気が凍ったぞ」
これで一気に孝子がしぼむ。一〇年来の親友だけあって、孝子の弱点は正確に把握している麻弥だ。
「……おばさまに今の話をばらしたら、ただじゃおかない」
「なんて横暴なんだ、お前は。しかし、一人だと、やっぱり極端に走るな。静、私にも話しておいて正解だったぞ」
立場上、うっかりとは反応できない静だが、内心では大いにうなずいている。
「でも、実際、静さんはかわいい系で有名です。防護策は、当然、考えておくべきですよ」
「そうだな。私たちもアメリカまでは付いていけないし。ボディーガード、とかか。プロの。となると、金だ」
「駄目だよ。お姉ちゃんが出す、っていうのは」
先手を打っても、人の話を聞く気のない相手だ。
「静ちゃんが黙っていればいいことだよ」
予想どおりの返答であった。それでも、と勝ち目のないにらみ合いに挑む静に、麻弥の援護射撃が放たれた。
「こう言ってるけど、どこかでおばさんにばれる。そしたら、おばさんの介入を孝子は防げない。まあ、安心しろ。孝子が大赤を出す、ってことにはならない」
「……君は、どっちの味方なのかね」
「私は事実を言っただけだがね」
ほっと一息の静だった。どうなることかと思ったが、麻弥のおかげで大事には至らない様子である。恨めしげに麻弥を見る孝子と、その孝子を抱えたまま頭をなで回す麻弥とに、静は再び、ほっと一息だった。




