第九九話 指極星(一五)
一二月中旬、バスケットボール界に一つのニュースが駆け巡った。鶴ヶ丘の神宮寺静と須之内景が、冬の全国高等学校バスケットボール選手権大会を欠場すると、大会の公式サイトに掲載された出場校リストにより発覚したのだ。高校バスケットの檜舞台の一に、その年の最強コンビが不出場という事態は、界隈を騒然とさせた。
「神宮寺はLBAへの加入を目指して、セレクションを受験予定。セレクションに備え、高いレベルでのトレーニングを積むため、チームを離脱した。須之内は神宮寺の練習パートナーを務めるため、同じくチームを離脱した」
問い合わせを受けて長沢が発表したコメントは、騒然を狂騒へと高めたようである――。
新年まで一〇日余りとなった夜のこと、静は海の見える丘の孝子の住まいを訪ねていた。舞浜大での練習を終えた帰りだ。
「じゃ、行ってくる。孝子によろしく言っておいて」
送迎を担当する麻弥が運転席の窓を開けて言った。これから鶴ヶ丘方面へ一っ走りだ。車内には春菜と、静と共に舞浜大の練習に参加している景がいる。
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
普段、舞浜大を出た車は、まず鶴ヶ丘方面へ向かい、静と景をそれぞれの自宅に送り届けた後に、海の見える丘へ取って返す。ところが、この日は最初に海の見える丘だ。孝子に相談したいことがある、と静が願い出て、順番が変わった。
三人の乗った車のテールランプが曲がり角で見えなくなるまで見送った静は、身を翻して孝子の住まいの玄関前に立った。ドアホンを鳴らすと孝子が出た。
「お姉ちゃん。入れてー」
「はあい」
間もなく扉が開いた。エプロン姿の孝子が静を迎える。夕食の調理中だったのだろう。時刻は午後九時半を回っていた。静と景を送迎する麻弥に合わせて、海の見える丘の夕食を、大幅に遅くなっているはずだ。頭の下がる思いだった。
「一人?」
「うん。麻弥ちは景を送っていった」
「おはるは?」
「麻弥ちが引っ張っていった。こっちに興味があるみたいだったけど、麻弥ちが怒って。察してくれたみたい」
「麻弥ちゃん、何を察したの?」
「ちょっと、お姉ちゃんに相談したいことがあって」
孝子はうなずき、静をLDKに導き入れた。
「座って。コーヒーで、いい?」
「うん」
やがて、二つのカップがダイニングテーブルに置かれ、静の正面に孝子が着いた。
「はい。お待たせ」
「うん。あのね、お姉ちゃん。ちょっと、相談というか、頼みたいこと、というか」
「うん」
「マネージャー、みたいなこと、やってほしいなー、って」
「マネージャー……?」
昨夜のこと、静は夕食の席で美幸に、アスリートのマネジメントを手がける会社とやらからの打診があった、と伝えられたのだ。LBAへの参加も、果たして、なのだ。謝絶した、と結論を告げた後で、美幸は大仰なため息をついてみせた。
今日の話とは別件になるが、最近、静絡みの電話が多くて辟易している、という。特にジャーナリストが厄介らしい。子供の自主性に任せている、親の私が話せることは何もない、と言っているのに、どいつもこいつも、しつこく食い下がってくる。娘に代われ? ばかが。真っ昼間に電話をかけてきて、いるはずなかろうが。いいかげん腹が立っていたところに、今日もくどい取材があった。あしらい終えたところで電話線を引っこ抜いてやった……。
「大丈夫よ。今日日ね、固定電話にかけてくるのなんてセールスか詐欺か、ぐらいだから。これを機に固定電話、なくしちゃいましょうか。結構、町内会でも話、聞くのよ。スマートフォンだけで大丈夫、なくなっても全然困らないですよ、って」
そう言って高笑いする美幸を、静はもやのかかった表情で見つめたのだった……。
「マネジメント事務所とかに入るつもりはなくて、お母さんにいろいろやってもらおうと思ってたの。お母さん、しっかりしてるし」
ここで静は苦笑である。
「でも、なんだか、娘としてお母さんには頼んじゃいけない気がして」
電話線を抜くあたり、効果的であると同時に、なんとも短絡的だった。聞いた話では、孝子の岡宮鏡子としての契約時、音楽家の剣崎龍雅を、いきなり弁護士事務所に連れ込んだというではないか。率直に言えば、母親が怖いのだ。
「だから、お姉ちゃんにお願いできないかな、って」
「わかった。任せて」
力強い返答に安堵し、礼を言った静は深々と頭を下げた。そして、顔を上げたところで、うっ、である。
義姉は、不思議な高ぶりの最中だった。上気した頬と引き締められた表情は、わが姉ながら見ほれるような秀麗さである。しかし、怖い。両の手のひらを固く握り、よしっ、と何やら気合いを入れている。ますます、怖い。
この人にも、頼まないほうがよかったのではないか。そんな思いが、ふっと静の脳裏をよぎったのだった。




