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未知標  作者: 一族
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第九話 フェスティバル・プレリュード(九)

 昼下がりのリビングで、麻弥はソファに寝転がってスマートフォンをいじっていた。登下校時の暇つぶしに始めたゲームをプレーしているのだ。熱中、とまではいかないものの、思い出してはプレーする、ぐらいの頻度である。入試シーズンが終わったら孝子も誘おうか、と考えていたが、この一年、親友のスマートフォンに対する仕打ちを目の当たりにし、これは断念していた。

 ちょうど、一プレーを終えたところだった。ふと見ると、家の前の駐車スペースに、白いセダンがバックで入ってくるのが見えた。車に詳しい麻弥のことだ。車種、ナンバープレートを見て、神宮寺美咲の車である、と断じた。初めての来訪だった。神宮寺家の人たちは、受験勉強中の孝子に遠慮してか、一度も、海の見える丘に顔を出していない。

 出迎えようと立ち上がった時、車外に出てきた運転者の姿が見えた。孝子だ。……なぜ、運転しているのか。いつの間に免許を取ったのか。アルバイトの予定が入っていた麻弥は、孝子の鶴ヶ丘行きに付き合った翌日には海の見える丘に戻っていた。その日から、二週間余りしかたっていない。制度上は最短一五日で免許の取得ができるはずである。なので、決して不可能ではない、が。

 玄関で迎えると、入ってきた孝子が軽くのけ反った。ミントグリーンのワンピースにホワイトのブルゾンという装いは鶴ヶ丘帰りの証しだ。

「びっくりした。いきなりいるんだもん」

「リビングにいて、車が入ってくるのが見えた。お前、免許、取ったの?」

「取ったよ」

「どうやったら、二週間とちょっとで免許が取れるんだよ。合宿にでも行ってたのか?」

「いや。通いだよ。コネもコネ、大コネで教習をねじ込んでもらって。すごいね。おばさま、って」

「……本当だよ」

 式台に上がった孝子が、麻弥に車の鍵を突き付けてきた。

「はい」

「なんだよ」

「美咲おばさまが、納車まで運転に慣れたらいい、って貸してくださったんだけど。オートマ、つまらない。左足が、することなくて、むずむずする。麻弥ちゃんが使っていいよ」

「いや。それは、美咲さんが困るだろ」

「ほとんど使わないし、車が欲しいんだったら、言ってくれたらあげたのに、なんておっしゃってたし。大丈夫でしょう。それにしても、危なかったね。オートマの車なんて、いらない。それは、そうと。麻弥ちゃん、車はどうしたの?」

「ああ。もう、蟹江さんに持っていってもらったよ」

 三日前に送り出した愛車、WRSの話だ。伯父から受け継いだくだんの車は、エンジンの故障により、二一年間の登録車「車生」を終えたのだ。

「そっか。結局、一度も運転できなかったね」

 つぶやきながら孝子はLDKを抜け、自室に入っていった。戻ってきた時には、昨年よりこの時節の定番となったフリースジャケットとデニムパンツの上下に着替えている。麻弥の隣に座ると、長い脚であぐらをかき、両腕を大きく伸ばしながらの大あくびだ。

「ああ。開放感」

「撮影して、おばさんに見せたい」

「命が惜しくないみたい」

 双方に実行の意志のない、よくあるじゃれ合いだ。

「もう、こっちに戻るのか?」

「戻るよ」

「三月いっぱいは向こうだと思ってたんだけど」

「正村麻弥さんは、お料理の得意でない子、って『新家』ではなってますのよ」

「おい」

「なので、長く一人にしておくのは心配です、って帰ってきましたのよ」

 実際は、上手の域に達する孝子と遜色ない腕前の麻弥だった。

「お前。私の名誉毀損だぞ」

「だって、おばさまったら、家にいる間は、ずっとテレビを見てるんだもん」

 麻弥は了解した。この家にはテレビを置いていない。孝子が望まなかったのだ。理由を問うと悪口の量産体制に入りそうだったので、麻弥はさっと切り上げ、以後は触れていない。イエロージャーナリズム的な俗っぽさを嫌悪しているのだろう、というのが悪口の端緒で類推した理由だった。インターネットの普及した現在では、テレビの不所持が生活の利便を極端に損なう事態にはつながらない。知りたい物事があるなら、インターネットで検索すればいいのだ。玉石混交中の「玉」を見定める能力は必要となるが、そもそもテレビだって全て「玉」を提供してきたわけでもない。こうして麻弥は孝子の意向を受け入れたのであった。

「あと、ね。福岡に行こうと思って」

「ああ。お母さんのお墓参りか。行ってくればいい」

「……行くよ」

 微弱な間に麻弥は気付いてしまった。心なしか、孝子の顔に影が差しているようにも思える。

「なんていったっけ、幼なじみ」

「たむりん」

「田村倫世(みちよ)か。ついでに顔を出したら?」

「そうだね。おととしは受験シーズンで行かなかったし。去年は滑って受験シーズンを継続させちゃったし。……まる二年ぶりだ」

 親友は相変わらずの表情である。どうも、よくわからない。福岡県は孝子の故郷である。亡母の眠る寺がある。幼なじみもいる。そこに向かうというのに、なぜ、こんな顔をするのだ。

「一人で……?」

「うん。そのつもりで、こっそり、こっちに戻ってきたんだし」

「そっか……。じゃあ、私は遠慮したほうがいいな」

「え……?」

「いや。私、西は修学旅行で行った京都が一番端だし。付いていって、福岡を見てみたいな、って思ったんだけど」

 いらぬお節介を、と思っても、こらえきれない麻弥だった。

「お。来る?」

「いいか? 迷惑じゃなかった?」

「ないない。神宮寺さんが一緒は困るけど、麻弥ちゃんならいい」

「なんだ、それ」

「だって、君は、私の正体を知っているわけじゃないかね。向こうでは大暴れするよ。麻弥ちゃん、付いてこられるかな」

 孝子はにやりとしている。短く、荒い、気を全開にするのか。それなら神宮寺家の人たちが存在しては困るだろう。うまうまとかわされた、と思わないでもないが、

「そいつは、私も気合い入れないとだ」

 まずは乗っておこうと考えた麻弥だった。

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