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消火


 あれから早くも数十分。

 車内で待機している雛子は、おもむろに車窓から朝陽のバイクを見つめていた。

 怖いので、車内の明かりはつけてある。それならばすぐに山を下りればいいのだが、朝陽探偵や夜中迷のことが気にかかっていた。

(無事かしら。)

 雛子と朝陽探偵が話し込んでいる間に、迷はパッと姿を消してしまった。

 裏野ドリームランドで人が消えるのは、雛子にとってはもう二度目だ。

 羽柴 衛

 雛子の、歳の離れた弟。

 衛がこのドリームランドの中から姿を消した日のことは、今でも鮮明に思い出される。

(あの日、衛は全然、楽しそうじゃなかった…。)

 



「雛子!」

 背後から名前を呼ばれた時、雛子はドリームキャッスル二階のバルコニーに立っていた。

 ドリームキャッスルは裏野ドリームランドの北、敷地の最奥にあるシンボルのような建物だ。青い屋根に尖塔。映画に出てきそうな、西洋の古城に似せて作られている。

 城内は出入りが自由で、遊園地を一望できるバルコニーや、中庭のティータイム、広いホールでの華麗な舞踏会などを、見学できる仕様になっている。

 女の子が憧れる、一番人気のアトラクションだ。

「呼び捨てにしないでよ。アタシの方がお姉さんなんだから。」

 という言葉も、つい口調が優しくなるのは、弟と本当に歳が離れているからだ。

 当時の衛はまだ中学生で、その上、生意気な盛りで社交性がなく、雛子が突き放したら独りぼっちになりそうなのが目に見えていた。

 それであまり強く言えないでいると、かえって生意気に育っていく。

「城には入るなって言っただろ。」

 と言われて、「また始まった」と思う。

 衛は雛子とは違い、見えないものまで見える質だ。いわゆる幽霊だとか妖怪だとかいうものの類か。

 どこへ行くな、そこへ入るな、という指摘はよくあることなので、雛子は半ば流しかけている。

 見えないものに怯えていたら、どこにもいけない。

「またそれ? ここには、何がいるのよ。」

 短く切った短髪に、Tシャツの下はカーゴパンツ。不貞腐れたいつもの表情で、衛は遊園地を全く楽しんでいない様子だ。

 一方の雛子は白のワンピースに麦藁帽子で、休日を満喫していた。

 この日も猛暑の夏だった。

「何かはわからないけど、よくないものだ。下にたくさん溜まってる。」

 澄んだ青空に入道雲。いい天気だ。

 どこか遠くから歓声が聴こえる。吹き抜ける風は涼やかで、肌に優しい。

 『よくないもの』には、縁のなさそうな日和だ。

「観覧車には行くなって言うから、遠慮してこっちに来たんじゃない。」

「あの観覧車にも何かいる。閉じ込められてるんだ。近くを通ると声が聞こえるんだよ、出して…って声が。」

「いるいるって、そればっかり。楽しくないでしょ、そんなんじゃ。」

 と雛子が言いくるめようとすると、最終的には機嫌を損ねて口をきかなくなるというのが、衛のいつものパターンだ。

 そして、そうなると手に負えないことをわかっているので、そうなる前に雛子は責め立てるのを辞める。

 代わりに膝を折って小さな衛に目線を合わせた。

「衛がそんなこと言っていたら、ウラノン悲しむよ。あぁドリームランドを楽しんでくれてない子がいるなぁって、なるよ。」

「あのウサギは一番ヤバイよ。ドス黒いもの出てるもん。」

「マスコットキャラクターに対してそういうこと言うのやめなさいよ。」

 裏野ドリームランドのマスコット、ウラノン。片耳が折れたキュートな姿でチョコチョコ歩く、人気キャラクターだ。

 衛の後ろには城内の廊下が見える。陽があたっていた。もうすぐ昼だ。

「ねぇ、せっかく来たんだから遊園地、楽しもうよ。アタシと一緒に観覧車に乗ろう。」

 言って、雛子はニコリと笑った。入道雲が背景だった。

 陽炎たつ夢の国での過去のひととき。

 今でも鮮やかに脳裏に蘇る。

「俺は観覧車、行かない。雛子も行くなよ。」

「アンタ、またそうやって…。あ、ちょっと!」

 言うだけ言って、衛はクルンと向きを変えて、雛子に背を向け走り去ってしまう。

 思えば雛子自身、あまり弟に好かれていなかった記憶がある。

 いつもいつも、喧嘩のような言い合いをするだけの関係だった。もしも本当に何か大変なことに巻き込まれた時、助け合える自身はなかった。

「衛…。」

 風に揺れる髪を押さえて、雛子はその背中を見送った。たとえ追いかけていっても、機嫌を損ねるだけだとわかっていたからだ。


 そして、それが雛子が衛の姿を目にした最後となった。

 誰かが手を離したのか、真っ赤な風船が、空に上がっていった。

 



(結局、観覧車は乗ってくれなかったし。あのまま…いなくなっちゃったし。)

 気がついたら眠たくなっていた。ハンドルにもたれかかってウトウトしていた雛子は、カクンと姿勢を崩したことで目を醒ます。

 明るい車内だ。目をこすりながら、朝陽のバイクを確認。まだ戻ってきていない。

(いつまで、やってんのかしら。)

 消えた人間は、すぐには見つけだすことはできない。それが雛子が人生で痛感した最たるものだ。

 だが、そのことを認めることは、弟を二度と見つけることができないと、認めることにも繫がりかねない。

 鼻呼吸で深い溜息。

 頭が重い。

 いつまで弟のことを抱えて生きるのだろうとか、ボンヤリ考えていた時に、


 ゴンゴン


 と鈍いノック音がした。この低い音は、車の窓をノックした音だ。

 ほんの一瞬、朝陽が戻ってきたのかと思い、顔をあげる。

 しかし音が聴こえた後部座席側の窓の外に、人影らしきものは見えない。

 風であの音はでないだろうし、何かぶつかったのだとしたら、何だ。

「なに…?」

 とっくに廃業となった遊園地で、しかも深夜だ。加えて朝陽探偵と補足要員という、珍しいゲストを迎えている夜。

 ささいな物音にも何故か、霊的に意味があるのかと疑い、無視できない。

(懐中電灯、あったはず……)

 手探りで座席下に置いていた懐中電灯を取り出し、雛子はゆっくりと運転席から外へ出た。

 特に変化はない。

 広い舗装された敷地に、乱雑に刺さる電灯。遠くにアトラクションのシルエット。

 懐中電灯で照らしてみても、特に気になるような、不審な点は何もなかった。

「き、気のせいとか?」

 敏感になりすぎたかのぅ。

 と口に出した矢先、駐車場から遊園地へ向かう階段の上に、ボンヤリと白い人影が見えた。

 小さい。

 せいぜい、子供くらいの身長の影だ。不思議なことに、顔や服装を認識する前に、スッと通りすぎるようにして見えなくなる。

「衛…?」

 朝陽探偵ではないとして、ここまで車に載せてきた、夜中迷でもなさそうだ。

 あわてて車に鍵をかけ、荒い路面を走りだす。

 不思議と動くメリーゴーランドを目撃した時のような恐怖はなく、どちらかといえば好奇心だった。

「衛なの…?」

 と思っている。

 弟が行方不明になってから、すでに数年の月日が流れている。そんな風に考えたくはないと思いつつ、どこかでもう亡くなっているのではと、心の片隅に考えがあったのも確かだ。

 幽霊だとか。

 仮にそうだとしても、弟ならば怖くはない。兎を追いかけていく、不思議の国のアリスみたいだ。

 題して、夢の国のヒナコ。

 夢の国にありそうな、幅の広い階段を駆け上がる。花壇には花が入っていた。

 綺麗だ。

 雛子が横を走り抜けると、まるでその軌跡を残すかのように、花弁を散らして、地面に落としていく。

 白い影を追って、噴水の横をすり抜けて走る。水飛沫があがり、道に濡れた跡を作った。

 それからまた階段を駆け上がる。左右には新鮮な濃い緑。せり出してきている枝を手で弾きながら進む。やがて階段を上がりきると、広い空間。

 ゲートの屋根と、そのさらに奥に観覧車が見えてきた。街を飲み込みそなうなほど、巨大な観覧車だ。

 大木のように見える。

 ゴンドラをつけた車輪が、ゆっくりと回転しているのが見えた。

(動いてる…!)

 首をかなり上向けないと、その全貌は視界に収まらない。それほどの大きさだ。

 太い支柱に支えられ、その上で車輪が回転している。ふいに強風が吹き抜け、雛子の短く切った髪を揺らした。

 生温い風だ。

 ゲートの向こう、裏野ドリームランドの中から、このぬるい風は流れてきている。

「衛、そこにいるんでしょ! 今から行くから!」

 ゲートの奥に向かって叫ぶ。朝陽も迷も戻っていないが、この際だから仕方ない。

 一人でも行こう、と勇気を振り絞った。



   ☆★☆


 「ふあああああ。」

 という長い深いため息をつく朝陽。

 なんだろうねぇ、この倦怠感は。ウラノンの顔の形のクッションを買って、もみくちゃにしたいくらいの疲労感。

 朝陽は疲れていた。

 そして自分で地面に打ち付けた頭から血を流しながら、とりあえずヨタヨタとバイクを置いた駐車場までは戻ってきた。

 そして汚れた洗濯物のように、ヨレェ…とそのバイクのシート部分に寄りかかる。

「ふう。」

 疲れた。

 とりあえず愛車まで戻ってきて落ち着く。それから無造作にスマホを取り出し、通話ボタンを押した。

 冷えきったバイクに背中をつける。

「ノエル、生きてるかー?」

『はい。探偵さんの方こそ、無事ですか?』

「無事ですぞ。」

『メンタル的な意味でも無事ですか?』

「無事じゃないです。」

 夜中 迷。

 明るく快活で、子供っぽい可愛さを持つ女の子。

 ついさっきまで一緒にいた彼女を、結果的に朝陽は救うことはできなかった。

「俺は何のためにここまで来たんだろうな。」

 たまに唐突に現実を振り返る朝陽。

 現実といえば、迷が事故にあった日付や時刻に合わされていた世界は、どうやら元の時間に戻ったようだ。

 スマホ画面の時計と日付で気がつく。迷がアトラクションに乗り、事故に遭遇した、あの日、あの時。

 その時間に間に合うように迷を探しだし、そして事故への遭遇を防ぐという目的だったはずだ。

 それが時すでに遅しだった。

『探偵さんはちゃんと迷さんの依頼を受けてここに来たじゃないですか。そして、彼女の本当の想いを聞き届けた。』

「でも、よまちぃは救われなかった。事故の痛みを繰り返して、消えた。……俺はノエルみたいな霊感はないけど、わかるんだ。」

 あれは絶対に救われていない、と朝陽は断固譲らぬ姿勢。

 そして自分で断言した言葉に、自分で凹む。

「もっと早くよまちぃを見つけることができていたら、結果は違ってたのに。」

『探偵さん……』

 ある日、突然、幽霊がたずねてきて。

 心霊動画のサンプルを渡されて、妙な噂の蔓延る遊園地へと誘われて。

 怪奇現象が実際に起きた挙句、その幽霊がいなくなってしまったら。

 普通の人はいちいち追いかけないし、探さないし、面倒な霊に取り憑かれる前に帰るだろう。

 それが妥当な処置だと思うからこそ、ノエルからしてみれば、朝陽は付き合いが良かった方だ。

 夜中迷は恐れていた。

 自分の事故をよく知る人物である朝陽昇が亡くなったことで、自分が死んだ事故のことを、忘れられることを恐れていた。

 そんな迷の本音を聞き出し、そして安心させるような言葉をかけることができたのは、ひとえに朝陽の人柄によるものだ。

 ノエルからしてみれば、朝陽の今夜の行為は十二分によく働いたと思う。

『僕は探偵さんのそういうところがスキです。救われるべきとか、愛されるべきとか。』

 と、ふいにノエルが朝陽を褒め殺しに入る。朝陽が普段するのを覚えてしまったのか、ノエルも褒め殺しが出てしまう質だ。

『だから、後悔しないでください。きっと迷さんの心は、貴方のおかげで少し成仏に近づいたはずです。』

 断言するようにノエルが口にした。他ならぬノエル自身が、いつも朝陽に助けられている。

 朝陽は常に優しく、そして付き合いがいい。その呆れるほど真っ直ぐな性格に、ノエルはいつも救われているのだ。

「よまちぃ…。こんなの後味悪いぜ…」

 それだけ褒め倒しても、朝陽の機嫌が上向きになるには足りないらしかった。

 仕方がないので、ノエルはそれ以上は何も言わない。

 時間をかけて、気持ちをほぐしてあげたいと思った。朝陽はどうも、一度折れてしまうとメンタルが弱い。

『探偵さん、探偵さん。ひとまず事務所まで戻りませんか? これ以上ここに長居することは、あまり良くないと思うのです。』

 と会話に変化をつける。

 ノエルのそれが功を奏したようで、窓辺にひっかけられた濡れ雑巾みたいになっていた朝陽は、ようやく重い腰をあげた。

「んむぅ。」

 と少し拗ねた声を出し、立ち上がって体勢を立て直す。

「一度、事務所に戻って話を整理するのが賢明か……。」

 それにしても気だるい夜だ。夜空は気が済んだかのような快晴で、星が出ている。

 無責任な空だな。

「そういえば、雛子は?」

 すっかり忘れ去っていたのだが、今夜はアグレッシブな女性がもう一人いたはずだ。

 と思いついて周囲を見回すが、雛子が乗ってきたはずの、白いスポーツカーが見当たらない。

『帰ったんでしょうか?』

「まぁ、さっさと帰れと釘はさしたが…。一人で戦線離脱するような女に見えなかったんだけどなぁ。」

 あの高飛車な態度と性格からして、プライドはありそうだ。一方で、廻るメリーゴーランドの時点で泣きそうになっていたのを見ると、案外、霊的なものは苦手分野だったのかもしれない。

「雛子曰く、過去にこの裏野ドリームランドの中で実際に、弟が消えたらしいんだ。」

 と朝陽が解説した。

 電話の向こうでノエルは、ふむふむと頷く。

「まぁ、なんでも霊の仕業だとか神隠しだとか、言うつもりはないけど…。」

 しかし迷も言っていた。

 ここまで朝陽を導いたのは自分であっても、ビデオに映っていた怪奇は、自分の仕業ではないのだと。

「よまちぃ曰く、ドリームキャッスルに何か、裏の世界に続く秘密があるみたいだった。」

『だとすれば、探偵さんが今夜ここで目にした怪奇は、この裏野ドリームランドに纏わる怪奇の、ほんの一部にすぎないのかもしれませんね。』

 振り返れば、美しい庭園を挟んで、入り口ゲートの屋根が見える。

 裏野ドリームランド。

 今は閉園後の廃墟らしい姿を保っているが、その姿が一変する時がある。

 どんなに平然とした姿でいても、この場所は本当に危険な場所なのだと痛感させられた。

 ここには確かに、何かがいる。

 その景色を目に焼き付けるように眺めてから、朝陽はバイクに跨った。この場所をあとにする。

 

 奇なる一夜はこうして幕を降ろした。

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