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延焼


 水と自然がテーマのアトラクション。

 アクアツアー。

 そのアトラクションに棲み着く謎の生き物によって、彼は食べられたのだと思っていた。

 ウインドブレーカーの彼だ。

「大丈夫かい?」

 となんでもないふうで問いかけてくる。ガラス扉の向こう。

 一体、どういうことなんだよ。

「なんで……。」

 拍子抜けしてしまって、途端に限界だった足がガクガクと震えてくる。緊張がほどけて、力が抜けてしまう。

 なんで、そこにいるんだ。

「悪い、悪い。とにかく謝るよ。」

 ガラス扉を向こうから引いて開けてくれて、どうにか外にでる。

 まず謝罪からきた。空気はてんで違っていて、外はまたメリメリと暑い。

  温度変化に殺されそうだ。

 アクアツアーのアトラクションの敷地から外に出て、ウインドブレーカーの彼と再開した。

「どういうことでふか!」

 噛んだ。

 外に出るとふいに視界に明るさが戻る。どうやらロードの前照灯だけではなく、近くに電灯があるようだ。助かる。目も疲れている。

「だから、悪かったよ。」

 という彼の声音が心底申し訳なさそうで、一瞬沸点に達してしまった怒りが、あっけなく消化されてしまった。

 アクアツアーの密林を囲んでいた温室はだいぶ巨大で、外側もしっかりしているので、壁として寄りかかる。

 疲れた。

 出てきた扉の少し先には、医務室とプレートのかかった別の扉があるところ、本当にアトラクションをリタイヤした人が使う緊急脱出経路だったのかもしれない。

 まぁ、あれだけ起伏のあるコースで船だからな。中には酔う人なんかもいるのだろう。

 いや、そんなことはどうでもよくて。

 問題はウインドブレーカーの彼が何故ここにいるのか、だ。

「てっきり食べられたのかと! 戻って来ないから!」

 叫んだ声も掠れる。

 当然だ。一人になってから、味わったことのない恐怖にとらわれ、結構な冒険をしてここにいる。

 まず船着場での水音や声、衝撃。それらから、『水の中に何かがいた』ことは間違いないとして。

 その後、様子を見に戻った人間が引き返してこなかったら、襲われたと思うだろう。

「生きてるなら、すぐに友人さんを連れて戻ってくださいよ! てっきり、もう……その、ダメかと思って俺……。」

 こうなってしまうと、一度でも彼を置いて逃げた俺の方が、居心地が悪い。

 しかし彼は、そんな俺の気持ちも汲んだ上で、次の言葉を発した。

「すぐ戻れなくってごめん。君だけでも逃げてくれと言ったのは確かだし、君ならそうしてくれると信じていたから、ここで待っていて再開できたんだよ。」

「結局、何がどうなんですか?」

「友人に会えたよ。」

 と言った時のほんの一瞬の彼の表情は嬉しそうだ。フカフカしたくせ毛に、少し幼い顔つき。

 その顔がクシャッと笑うので、友人を探していたという言葉には、嘘がないことはすぐにわかった。

 電灯の明かりのおかげで、さっきまでよりずっと視界が確かだ。まだ、廃園した遊園地に深夜にいるという現実離れした現状のせいで、頭がハッキリとしないが。

 少なくとも、水の中にいる「何か」に怯えて歩いていた頃よりは、断然マシだ。

「それじゃあ、すぐに戻ってくださいよぉ。」

 それで安心したところもあって、泣き言のような声で訴えた。

 周囲は広く開けた空間で、ガラス扉の内側から見えた電動遊具と、ちょっとした芝生のスペースがある。小さい子向けの遊び場のようだ。アスレチックもあるようだが、光が届かずよく見えない。

「友人が水中の生き物の写真を撮ると張り切って困ってしまってね。なんとか落ち着かせるので精一杯で、君を迎えに行くのが後回しになってしまった。」

「なんですと。」

 ということは、友人の方も元気いっぱいなのか?

 あの腕はなんだったんだ。

「じゃあ、友人さんは大丈夫なんですね? それで今どこに?」

「近くにある建物に。」

「近くの建物って……、」

「ミラーハウスだよ。」

 ミラーハウス。

 そこも確か、妙な噂を聞いたところだ。確か、ミラーハウスに入った人間が、別人のように人が変わるとか。

「なんで、変な噂のあるところばかり行くんですか…。」

 はた迷惑な友人だな。

 しかし、その友人を回収しないと、街へは戻れない。もう夜もドップリ深まった時間だ。

 帰りたい。

「そう言わずに。ミラーハウスへ行こう。そうすれば、君も帰れる。」

 休む間もなく、今度はミラーハウスへと向かうこととなった。

 力なく頷く。結局、怒ろうが泣こうが、この人がいてくれないと街へは帰れないのだから。

 拒否権も選択権も、今は手の内に何もない。



 そしてそのミラーハウスというのは、確かに歩いて数分のところにあった。絶叫系のアトラクションと違って子供でも楽しめるものなので、このあたりは子供向け遊具を集めたエリアなのかもしれない。

 洋風の館に、派手なパープルカラーの屋根。煙突に、風見鶏が見える。

 二階部分に出窓が二つ。扉は雰囲気のある木造風だ。

 ハロウィンのイラストにありそうな、全体的に歪んだ創りだった。こういうの、雰囲気はあるけど、実際造るとなると建築的な意味で難しそうだな。

「ここがミラーハウス…。」

「中で友人が待っているよ。」

 と手招きされてミラーハウスの中に入る。入り口は幅が広く、自転車も楽々。入って右手にカウンター。

 そのカウンターの中には早速、大きな姿見がかけてあった。正面には暗幕だ。

 おそらく、その中が鏡張りの部屋だろう。こういうのテレビで見た。

 友人の姿はなかった。

 部屋はカビ臭く、空気は少し冷たい。

「友人さんは?」

 と尋ねると、ウインドブレーカーの彼は、黙って暗幕の向こうを指した。

 ちょいちょいくる無言モードだ。この際なので、こっちも無視する。

 なんだよ。

 疲れてんだよ。

 そういう脅かすのもういい。お腹いっぱい。ビックリ系飽きた。

「中ですか?」

 と不機嫌に聞き返し、返事を待たずに暗幕へ突入する。

 迷惑な友人さんに言ってやりたい言葉がワサワサと浮かんできて、でも下手に揉めたら帰れなくなるよな、と理性が歯止めする感じだ。

 それが始まると、わかりやすい言葉で言えば、「ムシャクシャ」している状態に陥る。

 ここはおとなしくしておいて、山をおりてもらおう。友人さんが助手席に乗ると言うなら、俺は自転車と共に車載で構わんよ。

「早く帰りましょう。」

 後ろの彼に呼びかけて、暗幕の内側へ足を踏み出した。

 ほんの少しの薄明かり。

 廃園した遊園地だから、屋根に穴でも開いて、月の光が漏れているのだろう。

「……う、」

 気持ち悪い。

 カビ臭さ倍増。空気を吸い込んだだけなのに、カビの生えたパンを食べてしまったような、粉っぽさというか、カビっぽさが口にひろがる。

(肺が侵されそう。)

 自分で思っておいてアレだが、シャレにならん。

 そして想像通りの鏡張り。あちこちに自分が居すぎて、通路を見失う。映り込みなら気づきそうなものだが、鏡の置く位置や角度が絶妙で、道が続いているやら、折れているやら。

 光が反射して眩しいので、ここでようやく自転車のライトを消した。

「友人さん…どこですかー?」

 口にして呼んでみて疑問が浮かぶ。友人は、まだ一度も名前が出てきていないのだ。

 何故か名前で呼ばれない、存在の曖昧な友人。本当にいるのかと、疑いすら持ち始めたところ。

「君が」

 と声がして振り返る。

 声はすれど姿は見えず、そこには誰もいなかった。

 暗幕の入り口はどこだったのか、気がついたら背後も鏡だ。

 足下は真紅の絨毯。見慣れた、疲れきった顔の自分が、鏡に映っている。その光景に感じる嫌な予感。

 誰もいないのに、人の声?

「誰かいます?」

「君が俺の代わりになってくれないか?」

 また、どこからともなく声がして気がついた。

 聴こえたこの声は、ウインドブレーカーの彼だ。そのことに気がついた瞬間、彼が目の前の鏡の中に現れる。

 取り囲むように鏡が並んであるのだから、本来そこには自分自身の姿が映らなければならないはずなのに。

 何かおかしい。

「どうして…。」

 ガシャンと音がして、自転車を倒したことに気がついた。支える手から力が抜けていたらしい。

 ただ目の前のありえない光景が不気味で、倒れたそれを起こすだけの余裕もない。

 数歩後ろに後退した。

 鏡の中に、暗幕の向こうにいるはずの、映りえない彼が映しだされている。迷彩のウインドブレーカー。顔は伏せ、表情は見えない。

「ここまで来てくれてありがとう。さよなら。」

 最後にそんな言葉が聴こえて、鏡から彼が手を伸ばし、俺の腕を掴んだ。

 そのまま鏡に引きずり込むように、強い力で引っ張られる。握力が凄まじい!

「なになになにやだやだやだやだ!」

 叫ぶ自分の悲鳴が、はるか遠くに聴こえた。

 体重にものを言わせて踏ん張ってみるが、足下の絨毯ごと鏡に引き寄せられてしまう。ズリズリ。

「痛いって! ちょい!」

 腕を上下に振り回して、できる限りの抵抗をする。しかし、それでは全く歯が立たない。掴まれているのは手首の少し上。

 締めあげるように強い力だ。

 なんなの、ここで本気だすの。

「君が僕に代わって、今日から『ミラーハウスの怪奇』だ。」

 鏡がぐんぐん近寄ってくる。彼の赤い瞳が、すぐ鼻先まで迫ってきて、足はバランスを崩し引きずられるだけになる。


 衝撃で壊れたのか、バッテリーが切れたのか、自転車に搭載していたカメラの電源が落ちるカチンという音が聴こえた。

 まるで一連の不気味な体験を記録し終えて、役目を終えたかのようだった。


 

   ☆★☆



「裏のドリームランドにようこそ!」

 というアホみたいに大きな声で目を醒ます。今は何時だ。

「ここは裏野ドリームランドの裏側、つまり『裏の』ドリームランドだよっ。」

 という説明を聞き流しながら、体を起こす。が、動かない。

 どうやら首が何かに固定されているみたいだ。

 動けない。

 下向きに固定されている首で、頑張って顔を上げてみると、正面にウサギが二足で立っているのが見えた。

 ウサギが立つっておかしいな。正確には、ウサギを模したキャラクターというか。

「だれ。」

 と喋る事ができたので、声は出るようだ。

 ウサギはどこか見憶えのある姿。蝶ネクタイに、シマシマパンツをはいている。

 ここは薄暗い小さな部屋で、ウサギの背景は石壁だった。通気口のような小さな窓に、鉄格子が見える。

 ところどころ壁の窪んだ部分に、蠟燭がたててあるようだ。

「えっ。君、僕のことを知らないの? 遅れてる!」

 とウサギは口元に開いた手のひらをあてて、おどけた調子。

 コイツ、ジワジワ腹立つな。

「僕は裏のドリームランドの愛らしいマスコット、ウラノンだよ!」

 ウサギ改めウラノン。

 どこかで見憶えのある姿だ。

「そして君は裏野ドリームランドに纏わる、ミラーハウスの怪奇によって死んでしまったので、今日からはこの裏のドリームランドの住人だ!」

 とこちらを指差す。

 セリフのあとにわざわざパンパカパーンとファンファーレも鳴ってくれた。

 何だって?


 誰が死んだ?


 自分は確か、愛用のロードバイクと共に旅の途中だったはずだ。

 そして道中で道に迷い、助けてくれたウインドブレーカーの男と共に、この遊園地で、彼の友人を探していた。

 思い出してきた。

 アクアツアーの恐怖体験を経てミラーハウスへとやってきて…。

 そして彼に、鏡の中へと引きこまれたのが最後の記憶だ。

「俺…死んだのか…?」

 ここはどこだ。彼はどこに。

 今更、記憶を思い返して、現状との繫がりがわからない。

 ここは、裏野ドリームランドの裏の世界? 

「君はミラーハウスの鏡を通して、ここへやってきたんだ! 君をここまで導いたウインドブレーカーの彼も、何年か前に裏野ドリームランドで亡くなったんだよ! 運命的な出会いだったね!」

 ここまで連れて来てくれた運転手。真夏の車内でウインドブレーカーという、根気の入ったファッションだった。

 ようやく納得がいく。

 もう死んだ人だったのだとしたら、暑さも季節も関係ない。

「まさか!」

 ゾク、と脈打ち体温が下がった。

 仮にそうなら、鏡の向こうは死の世界とかいう、ありがちなパターンのやつだったのか。そこに引きずり込まれた俺は、死後の世界に来てしまった?

 鏡に引き込まれる瞬間、抵抗したのか手が痛い。指先の感覚が変だ。

「ちょっと待って…、俺は死んでないし、死にたくない!」

 ようやく意識もハッキリしてきた。よく見ると手には手錠がかけられている。

 首を固定されていることといい、一体どういう扱いを受けているんだ。

(はずれない…)

 手錠は硬い金属の触感で、しっかりと手首に巻き付いている。鍵がないと外すのは難しい。

「あ、ダメダメ! 裏のドリームランドから逃げ出そうとする魂には、恐ろしい拷問が待ってるよ!」

 プラスチックの目がキラリと光り、ゆっくりと部屋の中をウロつきながら、ウサギが明るく言い放つ。

「ご、拷問!?」

「ギロチン断首!」

「断首!?」

「そうさ! 裏野ドリームランドには時々、こんなに素敵な夢の国に来ているにも関わらず、ちっとも楽しんでくれない子もいるんだ。泣いたり、怒ったり、ワガママ言ったり…。この部屋はもともと、そんな子を捕まえてお仕置きするために作られた。……ここはドリームキャッスルの地下にある、拷問部屋さ!」

 拷問部屋さ☆

 と、明るく言ってくれるので、現実かどうか図りかねる。

 やはりこの廃墟遊園地には、よくない「何か」があったのか。

 そして自分はすでに、その怪奇にとらわれてしまったのか。


 もう、死んでしまったのか。


「嘘だ!」

 と否定しても、ウラノンは表情を崩さない。というか、おそらく作り物の頭部のはずなので、表情は変わらない。

 キグルミのような質感に、鼻息だけが異様に荒い。

「死から逃げ出す必要はないよ! お気に入りの遊具を独り占めしたり、訪れた人を怖がらせたり、自分がここで死んだことを、誰かに知ってもらえるようにアピールしたり。自由気ままに暮らせばいいんだ。このドリームランドの裏側の世界でね!」

 冗談じゃない!

 そんなお金の要らない自由奔放な理想の生活をしてたまるか。

「俺は死んでない! 帰りたい!」

「うんうん! 自分の死を理解できない魂は、よくあるよね!」

「違うって! そうじゃないんだ! 助けて!」

 余計なことを言ったばかりに、頭上でゴロゴロロンと音がした。きっと巨大な斧の刃が、下にジワリと下がった音だ。

 首に近づいて来ている。

(死後の世界じゃ死ねないとすると、ずっと痛みだけ感じ続けるのか…?)

 考えただけでゾッとする。

 誰かに助けを求めなければ。どんな手を使っても、存在に気がついて貰わないといけない。

 この裏野ドリームランドに蔓延る怪奇の存在を、誰かに知って貰わなければ。

 

 誰かに。



   ☆★☆



  バン、と勢いよく手をついたのは、鈍色の鉄柵。

 裏野ドリームランドを東寄りに進んできて、朝陽はドリームランドの東部へやってきた。

 鉄柵のある部分はバルコニーのように少し高くなっていて、記念写真などを撮るのに最適だ。見晴らしもいい。

 両脇に階段があり、下りると芝生の広場。小さな子供が乗り込める仕様の、電車の遊具が置いてある。

 そこまで走ってやってきて、朝陽は息を整えた。

「ノエル? ジェットコースターはどこぞ?」

 正面には光り輝くお城が見える。ライトアップされているようだ。

 美しい。こういう夢の国特有の、シンボルとなる城なのだろう。尖塔が二つ見える。

『その広場の先です。もう近いですよ。迷さんは見えませんか。』

 と電話口で問われて、周囲を見回す。迷の姿はどこにも見当たらない。

 ここまで走ってきて疲れているので、朝陽はだらしなく腰に手を当てた。

「いねぇ。」

 歪んだ鉄柵。毒々しい芝生の緑。電車の遊具は今にも動き出しそうな気がした。

 子供を撥ねそうだ。

 迷は白地の浴衣にツインテールなので、チョコチョコ走っていたら気が付きそうなものだが。

(仮によまちぃに追いつかなかったら、どうなるんだろうな。)

 余計なことを考えて、気が重くなる。洋風の建物とカフェテラスの間に、ジェットコースターのコースの一部が覗いた。

 本来ならばたくさんのお客さんが乗っているはずで、歓声が響いていたのだろう。

 今はとても静かだ。

『足を止めていても仕方ありません。とりあえず先へ進みましょう。』

「それもそうか…。」

 白い階段を下りて、芝生の上を走る。

「よまちぃはどうして、ウチの探偵事務所に来たんだろう。」

 呼吸を乱しながらも、足は動かしている。走りながら、朝陽が電話の向こうのノエルに問いかけた。

「よまちぃが亡くなったのって、だいぶ前だった気がする。」

『それは…』

 どうでもいいのでは、と言いかけてノエルは言葉を飲み込んだ。

 朝陽は依頼人に動機を求める質だった。わかっているので、意見をあげる。

『朝陽昇…。探偵さんのお父さんが亡くなったのが、引き金になったのではないでしょうか?』

「親父?」

 芝生を抜けると、建物に左右を囲まれた通りにやってきた。照明の数が減り、下は煉瓦敷き。

  背の高い塗り壁に、ペンキで大きく『ウラノ ロケット コースター』と横文字で書かれている。

 このアトラクション、一体どこまで行くつもりなんだ。

「そういえば、よまちぃは俺に会う前から親父のことは知っているみたいだった…。」

『依頼をするために事務所へ来た時も、電話で会話した時も、強くその名前に想い入れがあるようだったので。自分の死をよく知る人物が、この世からいなくなったことで、誰かに自分を知っておいて欲しいと思ったのかも。』

 当てずっぽうなノエルの推理は、当たっているような気がした。そうでなければ山の上の遊園地から、はるばる探偵事務所まで来ないだろう。

 何かしら朝陽とよまちぃに接点があるとすれば、朝陽昇の存在以外には考えられない。

「親父は死んでも、捜査資料という形で、よまちぃのことを残していたのに。」

 道が真っ直ぐになって見通しがよくなったところで、ようやくジェットコースターのアトラクションが見えてくる。

 細い入り口はアーチ状になっていて、その奥には荷物などを預けるカウンターが見えた。

 ヒラッと白い裾が揺れるのが、壁の隙間に見える。赤い金魚と水面の模様。

 迷の浴衣だ。ようやくとらえた。

「いた!」

 マラソンのゴールがようやく見えたような気になって、安堵すると共に足を速める。

「よまちぃ!」

 と名前を呼んでみるものの、聴こえていないのか、足を止めてはくれないようだ。

 煉瓦造りのアーチをくぐり、カウンターをすぎると黒い階段。手すりに手をつきながら、二段飛ばしに駆け上がる。

 何かに引っ掛けて、ネクタイピンが吹っ飛んだ。面倒くさいので拾わない。

 ネクタイも外して捨てる。

 階段が急だ。気が利かない。

「待てよ! よまちぃ、逃げなくていいから!」

 階段を上がった先は屋外で、テントのような屋根はあるものの、あとは転落防止の柵があるだけで何もない。

 開放的な空間。そこが乗降口だった。

 誰もいないので広く感じてしまうが、東西に長いレールが走っていて、その上に無人のコースターが鎮座。

 進行方向にはレールだけが飛び出して行き、当然だが地面はない。朝陽は絶叫系が大嫌いなので、こういう場所に来る機会は最初で最後になりそうだ。

 そこに。

 彼女は立っていた。

「よまちぃ?」

 後ろ姿だ。開放されている項や、浴衣の裾から覗く白い生足に、涼やかさを感じる。

 すでに亡くなったはずの少女が目の前にいるのだとしても、照明がついているおかげで恐怖はなかった。

 古びた白熱灯だ。掃除はあまりされていないのか、蜘蛛の巣とホコリだらけになっている。

 世界に二人で取り残されたような、不思議な気持ちになる空間だ。

「輝様。」

 今度こそ呼びかけに答え、迷が振り返り、柔かく笑う。緊張した面持ちが、崩れる一瞬。

 その一瞬の表情の変化に、目を奪われてしまう。彼女はここで、他ならぬ朝陽を待っていたのだ。

 他に人影はなく、完全に二人の貸切り状態。迷が笑ってくれたことで、朝陽は一安心だ。

 ヒリヒリしていた心臓が、ようやく少し落ち着く。

「やれやれ。急にいなくなるなよ。探しただろ。」

 とおどけた調子で言ってみる。

 迷は浴衣の袖で口元を隠し、浅く笑った。

「よまちぃがここにいること、探偵さんやノエルさんは知っていたのでは?」

 と的確な指摘で返してくる。

 それから、ふいに表情に陰が落ちた。

「だって、よまちぃがもう死んじゃっていることに気がついたなら…この場所のことも、わかっていたのでしょう。」

 儚げで、悲しみを秘めている瞳の奥。

 そういう風に言われると、知っていたと肯定することすら、心が痛む。

 知っているよ。

 よまちぃ、もういないはずの人なんだよね。このアトラクションで事故に遭い、もう亡くなってしまった命なんだ。

「知ってるよ。ここで事故があったことは。」

 と軽々しく言ってみる。

「でも俺やノエルは、こういうの慣れているんだ。探偵なんてやっているとな、世間様のいろんな部分を見るから、たまにヒョッコリこういう依頼もあるのさ。」

「ホントですか!?」

 よまちぃが思いのほか食いついてきた。

「世間様のいろんな部分ということは、中にはフェアリーテイルな事件とかもあるのですか!?」

 よまちぃの手がワキワキ動く。ぐっぱぐっぱしながら、手が上下に。

「フェアリーテイル?」

 コテンと朝陽が首を傾けた。なんのことやら。

 繋ぎっぱなしの電話の向こうで、ノエルもコテンと首を傾げている。

 一度テンションを上げておいて、それからよまちぃはまた表情を曇らせた。

「なんちゃって…。ウソでしょ、ほんとは、よまちぃの事を気遣ってそう仰っているのです。」

「そんなことないって。どんな事情があったって、よまちぃは俺の依頼人に変わりないんだ。途中でいなくなるなよ。」

 てふてふ。

 という頼りない歩き方をして、迷は朝陽に近寄り、体を預けた。

 軽い体重がぽふんと寄りかかってくるので、何も言わずに抱きとめる。

 幽霊だから触れないということはないようだ。小さな背中。触れるとくずれそうだ。

「……俺を頼ってきたのは、どうして?」

 何気なく、小さなオツムに問いかける。

「ほんとは、ただ、よまちぃという存在を誰かに覚えておいて欲しかっただけなんです…。昇様がいなくなってしまったら、あのアトラクション事故のことは、無かったことになってしまいそうで、ちょっと怖くなって…。」

 ちょっと怖くなったので朝陽探偵事務所にやって来た、迷の行動力は並々ならぬものがある。

 しかし、それを聞いてノエルの読み通りだったと確信し、朝陽は短く息を吐いた。

 やはり迷は朝陽昇繋がりで、朝陽に救いを求めたようだ。置土産とは、そのことだろう。

 忘れられること。存在を知る人がいなくなること。その恐怖に苛まれ、迷は朝陽を頼ってきた。

 まぁ、いっか。

 たまには、幽霊が私的な理由で依頼に来て、一晩付き合わされる夜があったって。

 朝陽探偵事務所はユルーイ感じで営業しているので、たまにはそんなのもアリだろう。

「うんうん。わかった、わかった。ここで事故があったことも、よまちぃっていう一人の人間が確かに生きていたってことも、絶対に忘れない。親父も資料という形にして残していたし、俺も記憶から消さない。」

 モソッと腕の中で動いて、迷が顔を上げた。瞳がウルウルしている。なんだ、なんだ、今日は泣きそうな女性に出くわす機会が多いな。

 綺麗に結ってある髪の毛をクシャクシャにしないように気をつけながら、まあるい頭のてっぺん近くをナデナデしてやる。

「泣くなよ。俺は記憶力には自信があるから、君のことを忘れたりしないよ。」

「はい。ありがとうございます、輝様。」

 迷がくるりと腕をまわして、悪戯に抱きついてくる。やはり、ちょっとばかり子供っぽいところがあるようだ。

 朝陽の自信有りげな返答を聞いて、ようやく迷は少し気分が変わったらしい。

「ねぇ、よまちぃのこと、幽霊だと知って怖くなりましたか?」

「んー、いや、べつにー?」

 朝陽の場合、幽霊の類は基本的にあまり好きではない。だが、「害がないなら大丈夫」という、かなりアバウトな感覚で生きている。

 まぁ、よまちぃは大丈夫でしょう。

「流石にあのビデオの中で起きていたような、アクアツアーの謎の生き物の演出とか、鏡の中から引っ張る腕とかは、ちょびっと怖かったけどな。」

『ところで探偵さん。』

 声がかかって思い出す。

 電話の向こうのノエルは、空気を読んで静かにしていた。ノエルは空気を読むし、風も読みます。

『時間過ぎてます。』


 コチン、と針の動く音がした。


「時間って?」

『あの日、この場所で、事故が起きた時間です。』

 言われてハッとする。

 そういえば。そもそも、事故当日の入場券を手にし、事故から数分前を示す時計を見たから、ここまで走ってきたのだ。

 すっかり忘れていた。

「そういえば、そうでした。」

 夜中迷の姿をとらえた時点で、その件は片付いたのだとばかり思っていた。

 咄嗟に体を離し、迷の顔色をうかがってしまう。

 目の前に立つ迷は、浴衣にジェットコースターの乗降口が背景という異様な取り合わせで、そこに立っている。

 透けてしまいそうな薄い生地に、体のラインが浮かび上がって、艶やかだ。

 少し困ったような表情で、ジェットコースターの敷かれたレールに視線を落とす。

 つられて朝陽も視線をとられる。

 

 ギイイィィ……


 と、何かの生き物の悲鳴のような音が聴こえた。足下はコンクリートを固めただけの土台で、お粗末なものだ。

 軋むレールからの振動が伝わってくる。

(地震?)

 足の下で細かな揺れが感じられるが、周囲を見回す限り、震災ではなさそうだ。

「探偵さん、せっかく来てくれたのに、ごめんなさい。あの日のよまちぃは、…もう、あの事故からは逃れられないようなのです。」

「え……?」

 言われた言葉に現実に帰る。

 ここは事故が起きた当日の遊園地で、あの日、あの時間の事故現場だ。

 ゴトン、ゴトトン、と不規則なアトラクションの走行音がする。

 様子が変だと、すぐにわかった。

 何か言いたげな複雑な顔をした迷は、朝陽を見つめ返したまま、空気に溶けるように体が薄くなっていく。

 徐々に存在が不確かになり、その迷の消滅に比例するように、不快音は大きく確かなものになっていく。


 ギイイィィ……

 ゴトン……ゴトトン…


 死の足音だ。

 繋ぎっぱなしの電話が切れた。目の前の迷を失わないようにと、朝陽が手を伸ばすが遅い。

 その手が、虚空を掴む。

「よまちぃ!」

 薄く姿は見えるのに、ホログラムでも見ているかのように、実態はなく手をすり抜けてしまう。

「気をつけてください、輝様。輝様をここにお呼びしたのはよまちぃですが、……あのビデオに映っていた怪奇は、よまちぃではないのです。」

 びちっとまた両手で、迷が朝陽を指差した。その子供っぽい仕草の中に、背景が透けて、後ろにあるレールが見えた。

「依頼の通り、この裏野ドリームランドには何かがいます。裏の世界に続く入り口が、ドリームキャッスルの……」


 バン!


 と派手な衝突音!

 それはノエルの言うように、人が転落し叩きつけられる音だったのか。

 あるいは資料に残されていた通り、アトラクションの急停止だったのか。

 この位置からは山なりに上がっていくレールしか見えない。その先は曲がりくねって、夜空の中だ。

 具体的にその音が何だったのか、この位置からの把握は不可能だった。

 ただ。

 ついさっきまで、そこにいたはずの少女の姿がない。

(嘘だろ……。)

 あの衝撃音に殺されたかのように、そこに彼女の姿は見当たらなかった。

 パチンと軽い音をたて、白熱灯が切れる。

 ふいに目眩のように視界が歪み、気分が悪くなって、朝陽は頭を抱えて膝をついた。

 夜中迷の存在が消えた。

 正しい時間に、世界が帰っていく。

「ちょっと、待って……くれ………」

 前が見えない。

 たくさんの視線を肌で感じる。何かに取り囲まれた中で、うずくまっている気分だ。体が地面に引っ張られるように重い。

 迷が消えた。たった今、ここにいて、抱きしめたのに。また死ぬ痛みを味わったのか?

 この先、ずっとそうなのか?

 あと少し駆けつけるのが早ければ、助けられたのに。命は無理でも、魂だけでも、救えたのに。

「俺のバカ!」

 うずくまって地面も近いことなので、思い切り地面に頭を打ち付けた。

 自分への制裁のつもりで、それが自分で思っていたより加減が強くなってしまった。

 ゴン!

 とすごい音がする。


 真夏の深夜のことだった。

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