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炎上


 誰もいない遊園地の中を、二人は疾走していた。雛子と朝陽だ。

 どちらかといえば朝陽が手を引かれている形で、二人は車を置いた駐車場までの道のりを逆走していた。

 電灯の明かりで、かろうじて足下は見えているが、荒れたコンクリート舗装で落ち着かない。

「逃げるの! 早く!」

 雛子が悲鳴のような声をあげる。

 腕を掴んで引っ張られている朝陽は、ひたすら、

「痛い痛い痛い痛い痛い」

 を連呼していた。

 情けない。

 ちなみに朝陽の手には通話中の携帯電話が握られたままで、その朝陽の後ろから、迷がトテトテついてきている。

「えー、戻るんですかー?」

 と迷は不満気だ。

 暗闇が距離感を鈍らせるという、面白いことになっている。行きはそれほどでもないと思っていた距離が、引き返すとなると長い。

 一旦、遊園地の入口付近まで走って戻る。ゲートまでは百メートルくらいだったのか。さらにゲートを超えて少し歩き、下り階段。

 さらに噴水のある広い庭を走り抜けて、また階段。その下にようやく、駐車場があった。

 せわしなく電灯がついたり消えたりして、一行の周囲だけを照らしている。

 まるで、見えない何かが一行にくっついてくるかのようだ。

「あのアトラクション、動いてたわ!」

「そうだけど、落ち着けよ!」

 バタバタと足音が響く。下りの階段はスピードを出すと危険で、足がもつれそうだった。

 雛子の走るスピードに合わせようとするのと、階段を丁寧に一段ずつ下りるのを両立しようとすると、足の動きがおかしくなる。カクカクカク。

「早く、早く、早く!」

と急かされて進み、どうにか車の傍まで戻ってきた。駐車場は相変わらず閑散としている。

 深い山の木々が覆いかぶさるように迫り、闇は一段と深まっていた。

 停めた車に背中をつけて、ようやく雛子の逃走が終わった。朝陽も続いて車に寄りかかり、雛子の横に並ぶ。

 ゆっくりとついてきた迷は、そんな二人の前に立ち、足を止めた。

 一番近くの電灯が点灯し、照らしてくれる。

「大丈夫ですか?」

 迷が問うた。

 朝陽と雛子が、口を開いて同時に身を乗り出し、そして、互いに同じ言葉を言いそうになっていることに気が付き、口を閉じた。

(なんでお前は大丈夫なんだよ)

 と言いたかったのです。

 迷は初めから怖れない様子で、回るメリーゴーランドを楽しそうに見ていたのだ。

 そう。

 すでに閉園され、様々な噂を残したこの遊園地で。一つのアトラクションが眩い光を放ち、稼働していたのだ。

 メリーゴーランドなので。

 それほど怖くはなかったのだが、多分あれがゴースト・ハウスとかだったら話が違ったのでしょう。

 まぁメリーゴーランドだからな。今時いろいろなミュージックビデオやイメージビデオにも使われて、『幻想的』という言葉の代名詞になっているからね。

 べつに動いてもいいよ。深夜の遊園地ならなおさら。

 だが、それでも『怖い』と感じてしまったのは、事前に噂を聞いていたからだ。

 この裏野ドリームランドに纏わる、奇妙な噂を。

「ったく、振り出しまで戻っちまった。」

 しかも汗だくになっている。顔のまわりの空気も、吐く息も熱い。

 朝陽が余計な一言を言うので、

「アタシのせいだって言いたいわけ!?」

 雛子の怒りをかってしまう。

 人によって色々とありますが、恐怖が怒りに変わる人もいるので要注意。

「見てたでしょ? 動いてた!」

「見たよ。」

「あそこに何かいた!」

「あぁ…まぁ、……いたかもなぁ。」

 曖昧に答えて雛子の怒りから逃れようとする朝陽。しかし、掴まれたままだった腕をさらに強く引かれて、顔をあげる。

 雛子が、真剣な目つきで、見つめ返してきていることに気がついた。

 瞳が潤んでいる。

 あぁ、そうか、泣きそうだ。

「泣くなよ……。」

 面倒くさそうに朝陽が口にした。

 メリーゴーランドの回転を見て泣くメンタルがわからない。こんなことを言うと冷たい奴と思われそうだが、早く調査に戻りたいのが本音だ。

(あれが噂通り霊的な何かの仕業なら、ノエルが見ればすぐわかる。…そんで、ノエルが反応しなければ、何か人為的な理由。人がしたことなら、調べればタネは必ずでてくるはず…。)

 噂のような信憑性のないものを調べる時は、そういうやり方が一番だ。

 ということを、朝陽は探偵という仕事をしている中で気がついた。

 都市伝説と言われるようなものを調べるには、霊を感知する力を持つノエルを使って、消去法で絞っていくのが一番早い。

「怖がらなくていい。あの場にいたら危険だったかもしれないから、咄嗟に離れたんだよな? ありがとう。」

 ふいに優しい声を出し、自分の方が少し大人ぶって、朝陽が雛子に言葉をかけた。

 目の前に困っている人や、怯えている人を見かけた時に、自然と発動してしまう朝陽の『褒め殺し慰めモード』だ。

「お嬢さんの判断は賢明だった。助けられたぜ。だから、もう大丈夫!」

 と一通り褒め褒めして、朝陽は雛子の頬に手を当てた。

 魚の骨のイヤリングがキラリと揺れた。その朝陽の自信有りげな「大丈夫!」に、雛子は少し落ち着いたようだ。

 そしてまた怒りに変わる。

「べつに泣いてないわよ! バカにしないで!」

「バカにはしてないだろ…。」

 慰められるのも嫌なんかい。

 やだもう、面倒くさい。

「私は泣いてないからね!」

 と再度力強く否定してから、雛子は朝陽の手を引き、車の裏側に移動しようとする。

「ちょっと来て! 話があるの。」

「なんだよ急に!」

 移動する、ということは、朝陽以外には聞かれたくない話か。

 その「朝陽以外」が、この場には迷しかいない。さっきから、浴衣の襟を気にしている。

 依頼人である迷から目を離すわけにもいかないので、朝陽は再び携帯を耳にあてた。

「ちょっと待て、……悪い、ノエル? しばらく、よまちぃを頼む。」

 と慌ただしく電話の向こうに指示を出し、朝陽は自分の携帯を迷の手に握らせた。

 しばらくノエルと雑談でもしていてください。

「ん? なんですか?」

 不思議そうに見上げてくる迷の、その小さな頭を、朝陽は優しくナデナデした。




 「それで、話とは?」

 迷とは車を挟んだ位置にまわって、朝陽が問いかけた。

 ようやく朝陽を開放し、雛子は腕を組んで車に背をつけている。

「さっきのメリーゴーランド。なんで動いてたの?」

「さあ? 電気が通ったままみたいだし、まだ誰かが管理しているとか? それで動源が入ったままとか。」

 思いつきでテキトーな言い方をする朝陽。

「ホントにそう思ってる?」

 疑うように、雛子がジッと下から見上げてくる。近い近い!

 浴衣にしろ肩出しファッションにしろ、裏野はアグレッシブな女性が多いな。

「思ってるって……?」

「幽霊の仕業ということはない? 可能性はあるの?」

 鋭く刺すような上目遣いだ。

 気圧された朝陽は、数歩後退。

「捜査はまだ途中だし、捜査状況を他人に話す義務はありません。」

 と当たり障りない解答をする。

 雛子の真意がわからない限り、下手な返答をすると怒りがこっちに飛び火しそうだ。

 補足要員ノエルの霊感について話してしまったので、初めから幽霊の仕業だと決めつけている「いい加減な捜査をする探偵」と思われたのかもしれない。

「教えて。アタシにも、裏野ドリームランドに纏わる噂の真実を知る権利はある。」

「権利?」

「アタシの弟も何年も前に、この遊園地から消えたの。…まるで、この巨大な夢の国に、食べられてしまったかのように。」

 嘘をついているわけではないと、ひと目でわかる表情だったので。

「え?」

 普通に聞き返してしまった。

「消えた、というと?」

「噂にあるでしょ? この遊園地からは、『子供が消えることがある』…って。昔、アタシも弟と一緒にこの遊園地に来たことがある。だけど、弟だけが園内で行方不明になったのよ。」

「大げさな。はぐれたんだろう。」

 と言っておいて、朝陽の背中を何かが駆け巡る。

 悪寒だ。

 薄ら寒い風のようなものが、背中を下から上にスゥッと撫でていく。

「アタシだってはじめは迷子かと思って探したけど、弟は見つからなかった。従業員さんにも手伝ってもらって、その後は警察にも手伝ってもらったけど…。」

「まだ見つかってないのか。」

「警察は『知らないうちに遊園地の敷地外へ出て、山の中で迷ったんだろう』と結論をだして、山の中まで探してくれたわ。けれど、結局見つからなかったの。」

 すると今でも雛子弟は、行方不明のままということだ。

 髪を耳にかける。雛子の仕草はどこか、先程までと違って心細い様子だ。

 それだけでも、雛子が未だ弟のことを強く想っていることがうかがえる。

「幽霊の仕業かと俺に聞いたのも、動くメリーゴーランドから逃げたのも、自分の弟が幽霊になったと思ったからか?」

 ストレートに朝陽が問いかけた。

 幽霊になる。つまり、すでに雛子弟は亡くなっている。

 そんな最悪の状況を、雛子は不本意ながら想像してしまったのだろう。朝陽の指摘に、雛子は素直に頷いた。

 ここにきて、しおらしい態度だ。

「警察の捜査は打ち切られたけど、アタシはその後もこの場所に通い続けた。…今日という日まで何度も。そしたら今日、山道であの女の子にあって、裏野ドリームランドの噂の真相を調べるために、探偵が来るっていうから。」

「で、俺の捜査で弟のことも何かわかるかもしれないと思って便乗した?」

 先んじて朝陽が結論を予想し口にした。雛子はまた頷いて返す。

『裏野ドリームランドでは度々、子供がいなくなることがある。』

 確かに、噂通りだ。

 もしも雛子の話が本当ならば、この遊園地ではこれまでに何人の子供が消えたのだろう。

 そして、その子供たちは、どこへいってしまったのか。

(動くメリーゴーランドに、いなくなった子供たち…。マズイな、マジで噂通りだぜ。)

 行方不明者の案件は、朝陽も把握していなかった。裏野の警察官だった父、朝陽昇なら、何かしら情報を知っていたかもしれないのに。

 下調べとか全然しないタイプの朝陽さん。長生きしないタイプだ。

「この遊園地に纏わる噂の実態が、弟でないことを祈るけど…。」

 ため息のまじった雛子の言葉に、朝陽は言葉を返そうと口を開いた。

 そしてその口を半開きのままで、思考をまとめるのに、四秒かかる。

「何、アホみたいな顔して。」

「いや、…。」

 気の利いた言葉がパッと出てこねぇ。

 が、頑張れ。なんか、あるだろ。

「心配しなくても、弟さんは、きっと、無事だ。それを俺が、必ず証明する。」

 ぎこちなく断言した朝陽に、

 いち、

 にの、

 さんで、

「ふっ……あはは!」

 雛子は笑い出した。

 唐突に。

 その笑い声が響いている間だけ、ここが真夜中の廃墟遊園地だということを忘れさせられる。

 ようやく彼女の表情に明るさが戻った。

「なんだよ。」

 慰められるのは嫌で、人が気をきかせると笑うのか。

「ごめんなさい。…探偵さん、意外と優しいんだなと思って。」

「じゃあ、第一印象はどう思っていたんだ。」

「探偵なんて言うから、達観しているのかと。案外、まだ青いのね。」

 おっと、これは?

 若さ故の同情だと思われたか。朝陽は歳の割に内面が成長足らずで、簡単に人に同情もするし、できない約束も、無茶もする。

 まだまだ青いという表現で間違いないが、それをさとられないように本人は気をつけていたつもりだったのに。

「……一本、取られたな。」

 してやられた感満載で、朝陽は短く息を吐いた。途端に気だるくなって、腰に手を当て、項垂れる。

 そんな朝陽の様子を見て、雛子は微笑み、朝陽の傍へ身を寄せた。

「今夜、期待してるから。」

 思わせぶりに口にしてから、二歩下がって、言葉を重ねた。

「弟が見つかるのを……ね!」

 歳相応の、可憐な笑顔が咲いた。

 




 一方で、一人取り残された迷は、朝陽から手渡されたスマホを、手持ち無沙汰に持て遊んでいた。

 ふむ。

 朝陽はずっと調査の補足要員と電話でやり取りしていたようなので、この向こうに朝陽の相棒がいるとして間違いないか。

 と思って迷は、その携帯に向けて話しかけた。

「もしもし、輝様の相棒さんですか?」

 とか、思い切って問いかけてみたりする。だって、実際にこの電話の向こうに朝陽の相棒がいるとしたら、それはつまり『公式』だからな。

 神に等しい。

『今晩は、夜中迷さん。僕の名前は街角ノエルといいます。』

 と丁寧な挨拶が返ってくる。

「ノエルさんと仰るんですね! …ということはCP名は朝ノエ! ふおぉぉ!」

 CP名が確定しただけで、かなり盛り上がれる迷。

 名乗っただけで盛り上がる迷に、電話の向こうのノエルは、

『僕、なんか変なこと言いました?』

 ちょっと不安になって言葉を返す。

「いいえ!」

 変なのは迷のテンションだけだ。

 しかし今、この電話の向こうに『公式』がいると思うとハァハァする。

「あの、今、輝様は雛子さんとお話をしています。よまちぃは待機です!」

『そのようですね。しばらくは、僕とお話をしませんか?』

 ノエルは随分若い男の子のようだ。

 中学生男子くらいだろうか。

 ますます、探偵である朝陽との接点がわからない。

「光栄です、ノエルさん! では、ノエルさんと輝様の馴れ初めなどを話しませんか!?」

 いきなりぶっ飛んだ。

『馴れ初めですか。…それもいいですね。』

 しかし、ノエルは乗ってくる。

 朝陽と雛子は停車した車の裏にまわったようで、迷の立つ位置から二人の様子は見て取れない。

 迷は車から少し離れて、近くの電灯に寄りかかった。夜は蝉も鳴かずに静かだ。

『僕は数年前、ある事件に巻き込まれて両親を亡くしました。』

 と、

 たいぶ重い話が、突然やってくる。

『その時、事件を調べてくださったのが、警察官だった朝陽昇さんだったのです。』

「朝陽…昇。輝様のお父様ですね!」

 その名前には覚えがあり、迷は思わず口にする。

 すると電話の向こうで「はい」と短く返事があった。

『朝陽さんは懸命に事件の捜査をしてくれました。素敵な警察官さんでしたよ。』

 と、ノエルが朝陽昇を褒め褒めする。

 のを聞いて、迷は萌え萌えする。

『朝陽さんは亡くなってしまいましたが、今はその朝陽さんに代わって、探偵さんが僕の面倒を見てくれています。だから僕にとって彼は……お兄さんのような感じなのかな。』

「ふおぉぉ! お兄さんみたいな感じ! ということは兄弟ごっこラブコメに発展する可能性があるのですね! きゃあっ☆」

 そんな、そんな!

 それじゃあ、まるでフェアリーテイルだよ!

「今すぐ描かねば!」

 公式のネタ提供を神託のように崇める迷に、ノエルはどう返答していいのかわからないので、しばらく黙った。

 と、今度は迷の方から切り出してくる。

「ですが、まさかノエルさんが朝陽昇様をご存知だったとは!なんたる偶然!運命の赤い糸!」

 朝陽昇。

 探偵である朝陽輝の父親であり、警察官だった人物だ。

 惜しくも、すでに帰らぬ人となっている。

『えぇ。昇さんは最期の時まで事件をあきらめずに調べてくれていた、僕の恩人です。』

「ふぉ!? そこにもフェアリーテイルの予感が! 歳の差ありすぎて、なんだかちょっと、えっちじゃない!?」

『フェアリーテイルってなんですか?』

「いけません、いけません、ノエルさん! まさかノエルさんが昇様ともフェアリーテイルの可能性があったなんて、そんなことを輝様が知ったら親子で一人の男子を取り合うことに…!」

 勝手に修羅場に発展する三角関係。

 迷はほっぺたに手を当て「やんやん」言いながら体をねじりまくっている。まさか推しCPに、他のカップリングがあったとは。

 迷のその興奮がよくわからないので、ノエルはとりあえずフェアリーテイルを横に置いておく。

 そして。

 本題を進めた。

『それはそれとして、迷さんも朝陽昇さんをご存知なんですよね? それはもしかして、僕と同じように、事件で関わったからですか?』 

 何気ない口調で、確信をつくようなことを、ノエルが口にした。

 ほんの一瞬、沈黙があたりを支配する。闇が僅かに色を増したような気がした。

 実のところはこれが、ノエルが朝陽に伝えていた「僕と同種」の本当の意味だ。朝陽探偵の父である朝陽昇と、事件を通して繋がりのある存在。

 そういう意味で、迷とノエルは同類かもしれない。

「事件で関わったって、なんのことですか?」

『そのままの意味です。朝陽警官の残した資料の中に、迷さんの名前もあったような気がしたので。』

 ふいに楽しい会話の空気が変わり、ノエルの声のトーンも、一段階低くなる。

 迷は心の中を探られているような恐怖感を覚えた。

 その質問には、答えられない。

「事件……。」

 閉ざしたはずの口から言葉を零す。

 さらに数秒待って答えが返って来ないので、しかたなくノエルの方から提案をした。

『答え辛い質問だったのですか? では質問を変えます。……迷さんが、朝陽探偵事務所を訪れたのは、朝陽昇の死に関係がありますか?』

 再度の質問で、話の中身を変えた。

「昇様の死」

『聞いた情報ですと、迷さんが探偵事務所に来た時、しきりに朝陽昇の名前を出していたそうなので。』

 聞いたというか、電話が繋ぎっぱなしなので、聞いていた、という方が正しい。

 次の質問にも答えられないで、迷はまた沈黙を泳がす。視線も泳いだ。

 灰色の舗装に、影は落ちていない。

 電灯に寄りかかっているので、光源は真上だ。

「答えられません…。」

 本当は否定しようとした。

 そして自分の声が冷静を欠いている時の声であることに気がついてしまい、それを気取られないようにと思うと、喋ることができなくなってしまう。

 次の言葉は?

 的確な返答は?

 何も頭に上がってこない。

 逃げるようにまた黙りこんだ迷に、徐々に尋問のような口調になっていたノエルは、再び会話を変更した。

『では、今の質問も取り消します。失礼致しました。』

 口調も、なるだけ穏やかに聞こえるように落ち着ける。

『では初対面の女性に質問攻めも失礼なので、今度は僕の方からお話をしますね。』

 優しさという名のクッションを、間に挟むようにした。

『信じるか信じないかはお任せしますが…、僕には昔から、亡くなった人の姿が見えることがありました。』

 と打ち明けた。

 それが迷を、さらに恐怖へ陥れる。

『昔はともかく、今では割と感度が高くて、だいたい死んでる人と生きている人の区別はつきます。』

 その力を今では、恩返しと思い、探偵である朝陽の捜査に役立てようと努力している。だが、そこまで打ち明ける必要はないかなと遠慮した。

 かわりに一番聞きたかった、大切な質問を口にする。

『夜中迷さん。貴女はもう、亡くなっていますよね?』

 ハッと短く息を吸った。

 それから、迷の手から携帯が滑り落ち、地面に衝突して音をたてた。



   ☆★☆



  生臭い。

 この臭い、なんとかならないのか。

 水が腐ったような臭いとも違う。なんというか、川で釣った魚の臭いだ。

 それがどこから臭うわけでもなく、あたりに充満している。

「はぁ……ふぁ……」

 現在地はアクアツアーのアトラクション内部。その岩山付近だった。

 解説するとこのアトラクション、湖に船を漕ぎ出し、岩山や密林を通って、ゴールまで船で進むという仕様らしい。

 途中、コースは山なりにうねったり、カーブや急降下を経て、ゴールへ進む。そのため、どちらかといえば雰囲気よりもスリルを楽しむアトラクションだったようだ。

「疲れたかい。」

 と問われて頷く。

 湖から岩山までは、逆さに積まれていた船を放り込んで、手漕ぎで進んできた。

 動力があればコースの上を自動で進んでくれたのだろうが、仕方がない。その上、山の入り口まで来て水がなくなったので、そこからは徒歩だ。

 乗り捨てた船はそのまま置いておく。

「とりあえず、水から離れておけば大丈夫ですよね?」

 なんて気休めなのかな。

 奇怪な音や声を聴いたのは水中だからという理由で、なんとなく水から離れておけば大丈夫と思っているが。

 それにしても何をどうやって人の腕を食いちぎったのか、「それ」が一体どういうものなのか、全くわからない。

「なんか、洋画みたいですよね。」

 鮫に襲われる的なね。

 そんな浮いた台詞がこの場面で出てきたのは、半分は現実だと思っていないからだ。

 助かるよな。

 生きて帰れるよな。

 と心の中では信じている。

「どこまでいったんだろう…。」

 と運転手が言うのは友人さんのことだろう。どこかで倒れていそうなものなのに、いっこうに見つからない。

 歩き始めてかれこれ一時間だ。

 優秀なライトのおかげで自分の周りは見えるが、その外は闇に閉ざされている。

 天井付近には照明が吊るされていたらしき跡、コースとなっていたと思われるレールは、水が無い為剥き出しだった。

 その脇に設置された、一段高くなった歩道らしきところを歩いている。地面は濡れて、ところどころ滑りそうだ。

「心配じゃないんですか?」

 そりゃあ、この裏野の山道で迷ったことは、自分が不甲斐ないからだったとはいえ。

 それにしても、人探しに来てこんな目にあって、どうしようもなく苛立ってしまう。

 あんな妙な噂を知っていたくせに、こんなところまできたのは何故だ。友人が酷い怪我を負っているかも知れない時に、そこまで冷静でいられるのは何故だ。

 ちっとも焦ってないんじゃないのか、と。運転手に怒りを覚えてしまう。

 それほど冷静を欠いてきた。自分でよくないと気がついている。

「心配だし、焦っているけど、顔に出ない体質なんだよ。」

「本当ですか? 状況わかってますか?」

 たびたび問えば、ムッツリとした不機嫌な表情が振り返る。

「当たり前じゃないか。友人が何かに襲われているんだ。このままだと俺達も襲われるかも知れない。」

 どうでもいいけど上り坂でキツイ。まぁ、作り物とはいえ山なので、そのうち下りになるんだろうが。

 ロードを引きながら、ぼちぼち進む。視線は常に前に置き、友人を探した。

 壁がヌメヌメしているのはなんだろうか?

「友人さんは生きてますかね。」

「どうだろう。」

「すみません、今のはさすがに不謹慎でした。」

「それは構わないが、水に気をつけて。」

「この遊園地、他にはどんな噂があるんですか。」

 会話を途切れさせるのが何故か怖くて、つい聞いてしまった。

 ふいにロードが何かに乗り上げて、縦に揺れる。ライトの光も大きくブレた。

 トンネルのような空洞を歩いているので、足音が大きく響く。

「怖がっていたくせに、今度は知りたがりになったな。」

「そんなんじゃ…。」

「この裏野ドリームランドにはね、怖い噂が色々とあるよ。ドリームキャッスルには地下室があるなんて、そんな噂もあったなぁ。」


 パシャン


 と水の跳ねる音がした。後方だ。続けてビシャビシャと、水が大量に滴るような音までする。

 明らかに、ただ水面で何かが跳ねたような音じゃない。それはまるで、何かが水から上がってきたかのような音だ。

「え……?」

 そして背中に冷気!

 冷たい、冷蔵庫の中のような空気が流れてくる。背後からだ。背中に刺さった。

 ゾクゾクと、全身の毛が逆立つ。

「後ろになっ……」

 にか、いますよ。

 が口から出る前に、先を歩いていた運転手が駆け寄ってきて、口を塞がれた。

 それがまた、ひどく殺気をはらんだ様子で抑えこまれたので、心臓が驚いてひっくりかえる。

 息が詰まるのを感じた。

 ひっ。

「大きな声を出してはダメだ。」

 言われてそのまま、通路の脇の壁に押し付けられる。岩山を模しているためゴツゴツしているので、背中が押し返されてかなり痛かった。

 しかし、意図はわかるので、黙って頷く。ここではしゃいでいたら、すぐにでも居場所は気づかれてしまうだろう。

 そうなった時、どうなるのか。

(裏野のドリームランドのアクアツアーには、謎の生き物がいる…。もし、それに遭遇したら、どうなるんだ…)

 とりあえず、前例として腕をちぎられている人がいるわけだからな。

(食べられるのか…?)

 

 ピシャンピシャン


 と水音が続いた。

 どうやら水が滴っているらしく、それは近付いてきているらしい。

 漂う冷気は霧状になり、それがゆっくりと迫ってくるのがわかる。目に見えて、白い世界が近寄って来ていた。

(霧が、濃い……)

 霧の出処は、来た道の方向だ。つまり後ろ。

 体が冷やされ、真夏の熱帯夜に関わらず、寒いとすら感じてしまう。

 白い霧。

 まるで煙だ。流れてくるのがわかる。もうとてもここが、遊園地のアトラクションの中だなんて思えない。圧倒的に、世界が違いすぎる。

「水から上がってきたのか…?」

 運転手の呟く声が、とても近くで聴こえた。息が耳に触れる。

 体の温もりを敏感に感じてしまうのは、寒さのせいだ。今は一度でも温度があるなら分け合いたい。

「てことは、船を置いたあたりですか…。」

 なるだけ小声で話す。

 そんなに距離がない。水から上がってきたのだとすれば、水から離れておけばいいという定説はどうなる。

 心臓が、脈拍が、うるさい。

「なにか、なにか、こっち来ませんか。」

 死にたくはないので、冷静ではいたいのです。なのに、悪いと思いつつ、パニクった。

「ねえ、ねえ、ねえ、ねえ!」

 静かにしろよ!

 自分!

 と叫び出しそうなほどに、自分が冷静を欠いている。位置をさとられぬように黙っていればいいものを、小声とはいえ、口が止まらない!

 一応、わやわや言うのも小声なので、半分は理性が残った状態といえるか。

 しかし、口は言葉を発してしまう。

「シッ! 黙って!」

 運転手も小声で返し、そして口をさらに力強く塞ぎに来る。

 無理もない。

 どちらかが余計なことをすれば、もう一人も巻き添えだ。

 霧の向こうから何かが、水からあがった何かが、こちらへ近付いてくる気配がする。

「……ーっ。」

 口を塞がれて声が出ないのに、口が何か叫びたがる。それで仕方ないから必死に呼吸ごと止めた。

 なんにも言うな。

 今は、やり過ごさなければ。

 「何か」に「何処か」を食いちぎられてしまう。


 ピシャンピシャン


 という音は、まな板で鯉が跳ねるような音だ。

 嘘です。ごめんなさい。まな板に鯉なんて乗せたことない。

 何で例えたらいいんだろうか。

 濡れた足でプールサイドを走るような音だ。釣り上げた魚を一旦アスファルトにおろしたら、苦しそうにもがいて尻尾で地面を叩く音というか。

 例えがグロいな。

 とにかくそんな音がして、何かが水からあがってこちらに近付いてくるのがわかる。

 おそらく距離はそう遠くないが、霧で視界が真っ白になっているため、姿が全く見えてこない。

 霧のベールに包まれている。正体不明の、『生きた何か』だ。

 それは低く、


 はああぁぁ………


 と息を吐いた。

 まるで人間の唸り声のようにも聴こえる。仮に人の声だとすると、男か。

「ひ、人……?」

 なのか?

 その中途半端に化物のような声はなんだ。人なら人だと言ってくれ。

「人だとすれば、友人かも知れない。」

 まだ壁に押さえつけられたままで、そんな言葉を耳にする。

「まさか、追い越してたんですか?」

「友人は何処かに隠れていたのかもしれない。」

「そんな。」

 仮に、そうだとすれば。ようやく友人を見つけたことになる。

 帰りたい。

 いや、隠れるところなんてあっただろうか。確かに、緊急時用や関係者用の通用口のような扉があったような、なかったような。

「ど、どうしますか…。」

 水の音がしたということは、友人は襲われて水に落ちていたのか?

 ここまで自力で上がってきたのか?

 水中じゃあ血は固まらないし、出血死しそうな気がするが。あくまで素人考えだからな。意外と無事なのか?

「人なのか、人じゃないのか。」


 そこんとこが重要だ。


「見てこよう。」

 胸や腕を圧迫されるような感覚がなくなり、運転手が体を離したことに気がついた。

 少し体が軽くなり、腰を浮かせるとジンジン痛い。岩が食い込んでた。

「危ないですよ! もし…ご友人じゃなかったら…。」

「そうなったら、君だけでも逃げた方がいい。そうだな、俺が帰って来なかったら先に行ってくれ。」

「は!?」

 おいやめろ。

 フラグはよせ。なんの得にもならんぞ。

「いいかい? わかったかい?」

 そんな押し付けるように言わないでほしい。

 どうにか引き止める言葉を探しているうちに、迷彩のウインドブレーカーが、闇に向かって歩き出してしまう。

 湖の方から漂ってくる、白い霧の中へと消えていく。

「帰ってきますよね!?」

 と背中に呼びかけるが、確約が得られない。

 岩に囲まれた通路の中、枯れかけた水路を上がってきた「何か」。

 それが何かを確かめるため、果敢にも霧に向かって歩く運転手。

 霧の中のものはなんだろう。

 友人か?

 魔物か?

 シャチか?

 もう、何をどう捉えればいいのかわからない。噂に詳しい運転手も、一度も姿を見ていない腕だけの友人も、アクアツアーに棲むという生き物も。

 どれが敵で、誰が味方なのか。

「万が一俺の帰りが遅かったら、君は先に、このまま真っ直ぐ進んでくれ。山を下って水際についたら、密林に入って姿を隠すんだ。」

 そんな長い指示は受け付けない。

「巻き込んでごめんね。」

 運転手は浅く笑った。そしてついに、霧に包まれて見えなくなった。

 はじめに車に乗せてくれた時を思い返す。ここまでの道中、ずっと優しかった。

 大丈夫。

 戻ってくる。

 と信じていないのか、心臓が落ち着きなかった。立ち尽くし、気長に待つ余裕もなくて、真っ白な霧をジッと睨みつける。


 ピシャン


 と音がして。

 それから、水音は止まった。

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