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校庭には世界各国の国旗が垂れ下がり、校舎のスピーカーからは吹奏楽演奏が大音量で流れている。大勢の大人に囲まれて、校庭は異常な雰囲気に包まれていた。
片手にピストルを、もう片方の手は耳を押さえ、スタートの合図が送られる。
「よーい…」
ピストルの音が数回に分けて響き渡った。
一人の走者が半周し、次の走者へバトンを繋ぐ。順番を待つ列の長さがどんどん短くなっていく。体育座りの私を他所に、座って待っていた周りの級友たちは皆立ち上がり、クラスメイトを応援している。
その時が来た。
トップでバトンが繋がれた。
無我夢中で走った。だがそれも虚しく、ゴールを半分ほど残したところでトップを明け渡してしまう。必死に食らいつこうとするが、その距離は縮まることはなかった。
青い二十五番のビプスを着た少女が見る見るうちに距離を縮めていく。
残り数メートルのところで華麗にトップに躍り出た。
呼吸が整うのとは反比例して心臓の音が大きくなっていく。
私の目はリレーの続きなどではなく、青い二十五番に向いていた。
ゆっくりと瞼を開け、外の空気を目いっぱい吸い込む。
「ありがとう、それでは戻りましょう」
重松さんは立ち上がり、「承知しました」と言いながら車椅子のロックを外した。
「ずっと聞いてみたかったんですけど」
「どうぞ」
「奥さんとはお会いになったんですか?」
「いいえ」
「どうしてお会いにならないんですか?」
「それは妻を、元妻を愛しているからです。分かりますか?」
「うーん、私には分かりません。そろそろ行きましょうか」
「お願いします」
(あなた)
(何だい?)
(あなたのことは忘れません。その代り…)
(あなたも私たちのこと、ずっと覚えていて下さいね)
(それを僕に求めるのかい?)
(それが私たち家族の在り方なのよ)
(そこに僕も含まれるのかい?)
(もちろんよ)
秋の夕日がスポットライトのように私を照らす。風も少なく、心地の良い空気に包まれる。
人生というのは、何が起こるか分からない。だからこそ一日一日を意味のある一日にしなくてはならない。私は記憶の障害が顕著になってきた頃から、日記をつけることを自分に科した。そのノートをメモリーノートと名付けた。
薄れゆく記憶をメモリーノートに刻み、自分の人生の形を残す。いつの日か、紀子や俊介、歩、そして友人の手に渡るように……。
「金木犀の匂いってトイレの芳香剤に似てませんか?」
一瞬、紀子のセリフのように感じた。




