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金木犀  作者:
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 窓を開けると金木犀の香りが漂う。この香りを嗅ぐと、ランドセルを背負って通った小学時代を思い出す。嗅覚が脳を刺激するのだ。今日は幾分調子が良いようである。

「佐藤さーん、おやつの時間ですよ」

 若い女性介護スタッフが茶菓子を持ってきた。ここは認知症専門のグループホームという施設である。建物は施設というより少し大きめの一戸建てのような外観で、私も含めた十名程の入居者は、それぞれに個室が用意されている。

 入居者の中でも比較的程度の軽い私は、多目的室と呼ばれるリビングのような場所には足を運ばない。それはあの場所にある全ての環境が、「あなたは病気なのですよ」とでも語り掛けてくるような気がするからだ。

「今日は天気がいいですね、散歩でもされますか?」

 重松という女性スタッフは、私がレクリエーションに参加しないことをよく気にかけてくれる。その言葉に甘え、いつもの場所へ車椅子で向かった。

 金木犀のオレンジの花が咲き乱れるこの小さな公園に出掛けるようになったのは、いつ頃からだろうか。以前は、車椅子に乗っている自分が周りからどう見られているのかが気になり、なかなか外に出る勇気が持てなかった。

 外出の時間は限られている。私専属のスタッフではないのだ。ポケットから取り出した、皺くちゃになった紙切れをベンチに座った重松さんに手渡した。

「佐藤さん、本当にこの手紙好きなんですね」

 好きという表現は適切ではない。この手紙が私に安心感を生きる活力を与えるのだ。

「よろしくお願いします」

「はい」

 笑顔で答えてくれる。心の許せる職員がいるというのは幸せなことだ。

「あなたへ」

 ゆっくり瞼を閉じると紀子の顔が浮かび上がってくる。


 あなたへ

 あなたとこれまで過ごしてきた十二年間、本当に幸せでした。歩も生まれ、大変なこともあったけど、決してあなたと一緒になったことを後悔したことはありません。

 あなたとの思い出、家族との思い出、私にとってそれはかけがえのない宝物です。

 あなたが、記憶の障害以外にも、私たち家族に色々と気を遣っていること、気づいていました。でもそれが痛々しく、申し訳なく、あなたが家を出た時、迎えに行く勇気を私は持てませんでした。

 あれから五年の月日が経ちました。何度もあなたに連絡を取ろうとしました。けど、できませんでした。それは、その資格が私にはないと思ったからです。

 私は昨年、再婚しました。そのことをあなたに連絡するべきかとても迷いました。私のことを恨んでいるかもしれない。そんな思いがずっとあり、これまで報告をすることができませんでした。ごめんなさい。

 俊介は中学生になりました。運動は苦手ですが、野球部に入りました。きっとあなたの影響を受けたのだと思います。歩は来年小学生になります。ぜひ一度、会ってあげてください。私も主人も、あなたと会えること、会って、きちんと話ができることを望んでいます。

 最後になりますが、お体を大事に、いつまでもあなたが健康でいられること、お祈りしています。 

                                        江藤 紀子

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